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メンバー紹介VOL.4 高みを極めるピカピカジャンプ姫 増岡侑莉子さん

こんにちは~。ファンベースカンパニーの松田紀子です。

コロナウイルスの蔓延で、弊社もリモートワークになっています。

そんな中でも地味に、取材と執筆を続けていきますよ!

ということで弊社メンバーのインタビュー企画第4弾。
わがファンベースカンパニーは野村ホールディングスの出資を受けておりまして、野村證券からの出向者も何名か在籍しています。

今回ご登場いただくのは、その「野村證券」でピカピカの證券営業レディだった増岡さんことまっすーちゃん。(野村證券社内用語では、めちゃくちゃいけてる出世株社員のことを「ピカピカ」と呼ぶんです。本当です)

私、初めてまっすーを見たとき、その美しさに驚いたのよ。だってほら。

               ↓

コメント 2020-03-31 151220

例えれば、昭和の正統派の女優さんみたい? 小津安二郎作品に出てきそうな。今回はそんな正統派美女に、證券時代の話をたっぷり聞きました~。

増岡侑莉子さん(1987年生まれ)
●前職 野村證券 新橋支店 ウェルスパートナー課 
●ニックネーム まっすー
●趣味 暗闇トランポリンジム(jump one)

松)今日はありがとうございます~。

ま)こちらこそよろしくお願いします。…インタビュー、緊張しますね。

松)いつも通りのまっすーでお願いします! まっすーは、そもそもどうして野村證券に入社したの? 證券会社を新卒で選ぶって、かなり根性いると思ってるんだけど。

ま)私、実は大学在学中まで専業主婦志向だったんです。卒業したら、すぐに結婚して家庭に入りたいと思ってました。子育てして、その子をお受験させる母になるんだろうな、って。

松)あらまあ。それがなぜ?

ま)その考えを父に話したら、「働かないなら今すぐ実家を出ていけ」と言われて。そもそもまだ結婚相手もいなかったのでw、しぶしぶ就活をして、野村證券とのご縁がありまして。

松)専業主婦志向からのゴリゴリ證券会社入社w、ふり幅でかいな。入社の決め手はなんだったの?

ま)当時の私は、「働いても、結婚するまでの数年だろう」とタカをくくっていたので、だったら一番キツくて厳しいと言われるところに就職しようと思って。證券の仕事内容もよくわからなかったんですが、採用説明会で業務内容を話してくださる先輩方が熱心な方ばかりで、本当に魅力的で。何もわからない私によくわかるように説明してくださって。仕事に対する姿勢も真摯だし、私もああなりたいと憧れて、入社を決めました。

松)「数年しか働かないなら一番厳しいとこ」、という思考回路がもう凡人じゃない気がしますw。 入社してみたら、専業主婦願望は消えていた?

ま)はい。実際に働いてみたら、もともとの負けず嫌いな部分と、せっかくやるなら頑張りたい、という意欲が沸いてきて。社内での小さな成功体験を繰り返す中で、だんだん居心地がよくなってきて、気が付いたらもう10年目です。頑張る人を応援する野村證券のカルチャーも、性にあってたみたいです。

松)ビジネスの才覚があったんだね。もて余さずに発揮できてよかった。10年間悩みなく一気に駆け抜けた感じなんだ。

ま)いえ、やはり葛藤はありました。入社6年目くらいになったときに「このままの自分でいいんだろうか」とふと疑問がわいてきて。なんとか野村證券の中で通用する道しるべみたいなものは見えてきていたけど、仮に野村の看板が外れたとき、自分は何が出来るのかな? 他社や他業種に行ったときに、果たして自分は通用するのかな? と思って。

その時は、組織を作る土台となる人事系の仕事に興味をもっていて、「どんな仕事があるんだろー」と、仕事内容を見てみたりしていたのですが…。突然、人事異動で学生採用プロジェクト担当に任命されたんです。

松)野村證券社員が、学生のリクルーターみたいなのを務めるプロジェクトね。

ま)はい。それでひたすら説明会で学生と対峙していたら、いつのまにか「増岡さんみたいになりたいから、野村に就職します」という学生さんがちらほら表れてきてくれて。仕事を決めるって人生の一大事だと思うんですが、その一要素に私がなれたということが、とっても嬉しかった。
そんな、私を慕って入社してきてくれた子がいるのに、その子たちを置いて自分だけが野村じゃない道を選ぶことにどうしても抵抗があって…。しかも、採用を通じて野村の幅広さを認識出来て、まだこの会社で成長できそうだなと思って残ることにしたんです。

松)なるほど~。それは大きな出来事だったね。人とのつながりが転職を引き留めた。

ま)その後、金融公共公益法人部(各地域の自治体や地銀がお客さまの部隊をサポートする部隊)に配属になって、そこで働いている方の仕事の仕方から「野村證券というリソースをどうお客様のために活用するか」という概念が生まれました。半年後支店に配属されたんですが、法人を担当したおかげで、以前よりも考え方や提案力が広がっている感覚がありました。この体験は今の仕事に結びついていると感じています。
ちょうどそのころに、社内のイントラネットで、さとなおさん(佐藤尚之)の『ファンベース』(ちくま新書)がおすすめ本として紹介されていて。興味を持って読んでみたんですよね。

(↓毎度おなじみ「ファンベース」) 


松)お、いよいよそこでファンベースとの出会いが。やはり本の力って大きいなあ。読んだ感想はどうでした?

ま)読んでみて、すごく合点がいきました。私、それまでも自分のまわりのすごく狭い世界の中で、一ファンとして自分の好きなものを周囲に推奨することが好きだったので。自分の好きなものを伝えて、みんなが知ってくれて、みんなもファンになるという循環が好き。それって幸せの連鎖じゃないですか。それを全肯定してくれている本だなあ、と感動しました。

松)確かにまっすーは推奨派だよね。社内のみんなにトランポリンジムや炭酸紅茶をオーガニックリーチしまくってる。

(↓ まっすーの薦めで弊社女性メンバーが続々とレッスン体験していたトランポリンジム)

ま)自分が好きなものを周りに教えたがりなんですよね…。その後、ファンベースカンパニーが立ち上がるという話をきいて、社内公募に応募しました。

松)実際に異動してきてどうでした?

ま)毎日刺激的です。0から1を生み出すクリエイティブな部分もあるし、1から10を育てる部分も多いし。私はプロデューサー(クライアントとの営業窓口やプロジェクトマネージメント)として、みなさんが働きやすい環境やしくみを作ることがミッションだと思っているので、それができて楽しいです。

(↓ 美しいまっすーは、弊社サイトのモデルもやってくれてます)

コメント 2020-03-31 -2

松)證券との仕事の違いに戸惑うことはなかったですか?

ま)もちろんあります。私、野村證券では「その自信一体どこから出てくるの?」というくらい、根拠なき自信に満ち溢れた10年間を過ごしていたんです。それがファンベースカンパニーに入って、ファンベースの経験値がなさすぎて、自信と呼べるものが全くなくなってしまった。そんな自信喪失の自分が、なんだか私じゃないみたいな気がして。自分自身が失われた感じに陥っていました。

松)そういえば今年の仕事始めのミーティングのときに、そういう話を吐露していたね。あれから3か月経って、今のまっすーは自信を回復しているように見えるよ。

ま)私、あのときみんなの前で正直に吐露できたことが、すごく大きかったんです。
なんというか、等身大の弱い部分を自己開示できて、吹っ切れたw。
「自信がなくてもしょうがない、今できることを懸命にやりつつ、できることを増やしていくだけだ」って、開き直れました。

松)ええ話や。うちのメンバーは成長したいという人を全力で応援するし、力になりたいって思ってる。心理的安全性があるチームだからこそ、弱みはどんどん見せていいんだよ。

(↓ チームは「心理的安全性」がとっても大事、という記事です)

松)さて、ひとつ山をこえたまっすーが、今後この会社で実現したいことって何ですか?

増)プロデューサーとして、うまく周囲を巻き込みながらプロジェクトを成功させることができるような能力を身に着けたい。「プロのプロデューサーになりたい」ですね。まだまだみなさんに頼ってばかりですので。あとは、ファンベースという考え方を使って、日本を元気にしたいです。私が今まで幸せに暮らしてこられたのは、幸せに暮らせるようにしてくれた日本のおかげだと思っている。今の日本のままでも私は幸せなんですが、次の世代がこのままではしんどくなるだろうなと思っていて。

松)弊社の30代は偉いなあ~。みんな次の日本を考えてるもんね。幕末の志士っぽい。

ま)私、弊社スローガンの「好きの総量を増やす」という言葉が大好きなんです。
日本の企業がファンと一緒に新しい文化やカルチャーを生み出すときに、弊社が側にいて、そのお手伝いをしたい。結果、その会社が潤ってスキの総量が増えて、日本がもっと元気になれれば、幸せですよね。

 ーー今までピカピカの證券社員だったまっすーが、弱音を吐露することでなんだか吹っ切れた、という話が印象的でした。スランプがあっても、自分の置かれた位置を客観的に見つめなおすことができれば、そこからまた高くジャンプできるはず。

自力でジャンプの起点を見つけたまっすーが、どの高さまで到達できるのか本当に楽しみです!

※ 追記 増岡は2023年4月1日に出向元へ帰任しました。

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