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【ニュースコラム】東洋経済オンライン大坂なおみ選手に関する記事

―日本人は無知というレジームから脱却しなければ、本当の多様性は生まれない

連日、差別問題を書くのは、正直なところ心理的に大きな負担ではある。

昨日は色々あって、目を通すことが出来なかったが、とても期待していた記事である。

今回のことが「普通」でないのは、黒人の命にまったく関心のないアメリカの警察に異議の声を上げるに当たって、大坂が日本国民に賛同を呼びかけることもなく、この問題に対してどういう立場をとるかという議論に日本全体を巻き込んだことだ。

今回のジェイコブ・ブレークさんの事件のことも、ジョージ・フロイドさんの事件のことも、日本のテレビや新聞など、メディアは大きく報じていると思う。

大坂なおみ選手の行動は、あくまでジェイコブ・ブレークさんの事件というカテゴリーの1つとして報じられ、日本人の多くがそのように捉えていると思う。

大坂なおみ選手の行動はもちろん大きく報じられているが、彼女の行動に関係なく、ジェイコブ・ブレークさんの事件および関連するニュースは大きく報じられていただろう。

ジョージ・フロイドさんが亡くなって、あれだけの騒動になった上で起こった事件である。フツーの感覚を持ち合わせていれば、程度に差はあれど、日本人の多くの人が怒りのようなものを感じているのではないだろうか。

「どういう立場をとるかという議論に日本全体を巻き込んだ」というのは、言い過ぎである。

大坂は、日本で「ブラック・ライヴズ・マター(BLM)」にほとんど関心が払われていないことをよくわかっている。しかし、彼女の世界中のファンやフォロワーたちは、長年にわたって日本のメディアから疑わしいメッセージを受けとってきたがゆえに、憶測を広げるよりも、「知りたい」と思っているのではないだろうか。

クンタキンテーーーーーー

筆者の親はドラマ『ルーツ』をリアルに観ていた世代である。良い作品だと子どもの頃から聞いていた。数年前、BSで放送された際、全話録画コンプ済みである。

色々と感じるところはあった。想像より内容はマイルドでコミカルなシーンも結構ある。また、黒人が少し軽んじられている独特の空気は、あえての狙いなのか、当時の時代状況がそうさせたのか。それこそ、記事を書いたバイエ・マクニールさんに聞いてみたいところである。

黒人の方々に対する差別や迫害に、ちゃんと関心を持っている日本人は少なくない。キング牧師を扱ったドキュメンタリー番組は何度も制作されている。ジャズが好きな人なら、「狂った果実」の意味を知っている。

そのあとの文章にも、どことなく違和感がある。そこで、マクニールさんの別の記事にも目を通した。

多くの気づきや視座をいただくことができた。知らないところで筆者も差別に荷担していた部分があったのかも知れないと反省する部分も多かった。

そして読み進めるうち、何となく文章全体に漂う違和感の理由がわかってきた。

“日本人は差別問題に無知”という前提で文章が書かれている。そして、マクニールさんの文章に登場する日本人の多くは無知に描かれている。

マクニールさんが披露する、当事者としてのリアルな話は傾聴に値する。

では、こちらも日本人の当事者として、マクニールさんがご存知ないであろう日本人の複雑な状況について書いてみたい。

日本の学校教育では、「道徳」という時間がある。また、平和教育と呼ばれるものがある。すべての学校がそうではない。もちろん、世代間ギャップもある。だが、決して少なくない数の学校で実施されてきた。

平和教育というのは、戦時中に日本がどれだけ悪いことをやったのか、またどれだけ戦争が悲惨なものかを徹底的に教えることである。その中には、日本以外のアジアの方々に対する差別についても徹底的にやる。

平和教育に熱心な学校は、分厚い副教材を配布して、通常カリキュラムを無視。時間割に関係なく、ぶち抜きで平和学習を行う。

道徳の時間も、ほとんど教科書は使用されず、副教材が使用され、被差別部落の方々に関する問題や在日の方々に関する問題を徹底して行うのである。

平和教育にしても、道徳にしても、背景などの説明はほとんどなされず、「ヒドイ、ヒドイ、ヒドイ…」を、ただひたすら徹底的にやるのである。

これらの教育が貴重な知る機会になっていることは間違いない。だが、あまりの徹底ぶりにトラウマになってしまう人もいる。

だから、マクニールさんが思っている以上に、実は差別問題に対して日本人はセンシティブな感覚を持っている人が少なくない。

ただ、ハッキリ言って日本人にはズルいところがある。無知のフリをするのである。理由は色々あると思う。

・積極的に発言するのが怖い
・学校で習ったことを思い出すから、しんどい
・単純に面倒くさい
など…

無知のパターンとしては、次の3つくらいが考えられる。

1、本当に知らないパターン
2、無知のフリのパターン
3、無知ではないが無関心のパターン

もちろん、3つめが一番ダメである。

最近は日本への外国人観光客も増え、外国の方を見る機会も増えたが、以前は外国人の方々を見る機会が少なかった。そのため、感覚的に疎い部分があることは否めない。

ただ、それが差別感情かと言われれば、少し違う気がする。マクニールさんが指摘するように、メディアなどの表現やふだん知らずに取っている私たちの行動には、たくさんの問題があると思う。そこは、真摯に学んでいくしかない。

もし、大坂の行動を支持せず、BLMが日本とは無関係であり、大阪に沈黙してほしいと思うのなら心にとめてほしい。彼女はこれからも声を上げ続けるし、圧力にも屈しないと。アスリートは政治発言を控えるべきという認識を大坂は持っていない。一方で日本社会にいい影響を与えようと決意している。最近の彼女の発言や行動を見れば、これは明らかだ。

アスリートの政治的発言や行動については、今後もう少し議論が深められなくてはならないだろう。筆者は決してアスリートの政治的発言や行動に反対しているのではない。

少し難しい表現をすると、恣意による脆弱性を危惧しているのである。わかりやすく表現すると、不倫してもセーフな芸能人と不倫で仕事がなくなる芸能人みたいなもの。

大切な問題提起を世間の評価のみにゆだねるというのは少し怖い気がする。この選手は語ってもいいけど、あの選手はダメみたいなことも出てくるかも知れない。また、この問題について語るのはセーフだけど、あの問題はアウトみたいなことも出てくるかも知れない。

一定のガイドラインはほしいところ。現在の脆弱な状況を放置すると、結局アスリートが自由に表現できなくなることを危惧しているのである。そして、脆弱性は新たな悲劇に繋がる恐れもある。

日本はアメリカが400年以上かけて実現できなかったことを実現できる国になる可能性がある。自国の多様性を搾取するのではなく、多様性を受け入れる国になるという道だ。

その通りだと思う。私たちはもっと様々なことを学ぶ必要がある。ただ、そのためには“日本人は差別問題に無知”という、いわばレジームからの脱却も必要であると思う。そうして相互理解が成り立ち、本当の多様性が生まれるのではないだろうか。

本当に長くなってしまい、申し訳ありません。最後までご覧くださりありがとうございました。

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