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怒涛の週末が終わり平和な気持ちを味わう

先週の金曜日から私には大変な事が続きどうなるかと思ったけど、一山超えて今シンとした気持ち。

金曜日は夫が早く帰りプールへ。
空いていてゆっくり1レーンずつで泳いでたらクレーマーおじさんがやってきて夫のレーンに入る。
何度も話しているクレーマーおじさんだと夫に告げたが夫はそのまま泳ぎ続け、私が予想していたようにトラブルになる。
夫がレーンの中で立っていたクレーマーおじさんにぶつかり怒鳴り散らすおじさん。
それに応酬する夫。
ジムのスタッフが支配人を呼び対応してくれる。
私は見ていられなくてミストサウナに逃げ込む。
話が終わってから出て行って支配人にお礼を言って先に出る事を夫に告げる。
私の育った家庭の男を象徴するようなクレーマーおじさんと夫がトラブルになって恐ろしかった。
でも私は逃げた。そして私はそこに巻き込まれずに済んだ。
夫は自分の事をやり続けるだけ。
それに私は関係ない。
そのことにとても救われた。

私と夫は違う人。夫のトラブルを私は関与しなくていい。
その事を責める人はどこにもいない。
そのことに驚いたけど、それが当たり前なんだと認識できた。
それなりには恐ろしくて落ち込んだけどそれは私だけの気持ち。
そのことに心底救われた。

私は先に帰り夕食を用意した。
夫が帰ってきてから 怒りを出す。
あんなにダメだと言ってたのになんでわざわざ面倒な人とトラブル起こすようなことするのかと。

そしたら 変な奴だったなぁだって。
アホらしくなった。

いくら言っても心配してもこの人は無駄なんだとわかったし、私は巻き込まれなくていいと思えた。

私の育った家庭の男は私を責めた。
お前が先にちゃんとしてないからだ。
お前が気をつけていればこんなことにはならない。
お前が悪いからこんなことになったんだ。

そんなふうにクレーマーおじさんと同じように全て周りの人間のせいと怒鳴り散らすだけだった。
その機嫌を取るのが私の役目だと母は平気で言った。
あんたがやることよ。私が困るんだからあんたがやりなさいよ。

もうそんな人はどこにもいなかった。
その事がわかった。
夫は自分のことは自分でやる。
私は関係ない。

その事がはっきりして良かった。

土曜日は一年ぶりに友人が来て久しぶりに大阪駅あたりをウロウロ。
一年前はただ恐ろしくて心配ばかりでゆっくり楽しめなかったけど、今回は何も考えずに二人でウロウロして間違えたらやり直して、あちこち行けた。
夫と夕方はジムで風呂に入り近くの食堂で夕食食べる。

日曜日は夫が個人スマホを買うことになったので一緒に機種変更を検討することにして店に行く。
話を聞くだけ。見積もりしてもらうだけ。と言ってた夫が話を聞いてすっかり乗り気になって私が先に機種変更することに。
いきなりで何も用意してないのにあれこれとやらされて変な空気の中とりあえず新しいスマホを持ってかえる。
店頭のサポートが充実した手厚いプランのはずなのに大したサポートもないまま帰ってからアプリのログインをする。

モヤモヤした気分の月曜日にはメールの返信がエラーになり店に電話したら遠隔サポートに電話しろだって。
店頭のサポートなんて皆無。
高い料金プランを人の不安に付け込んで勧めたくせに何もしない。
そうだと思ってたのですんなり腑に落ちてモヤモヤしてた不安がどうでも良くなった。
できればいい人であって欲しいとつい信じたくなる期待を見事に裏切る。
それが当たり前なのだろう。
こういう人が普通なのだろう。
証券会社、銀行、病院、できればいい人であって欲しいと願う人はまず違う。
たまにいい人にあったら感激するレベル。
これが普通になるのだろうか。

どんどん変わっていく当たり前の前に戸惑い、取り残される恐怖。
それは自分で解消していくしかないのだろう。

自分のできることはやる。
わからないことはわかる人に聞く。
誰かに相談する。
一人でやれることなど知れている。

恐ろしくて心配ばかりで、とても人に話すなんて相談するなんて出来なくてここまで来た。

でも少しずつ進んでなんとか相談できるようになってきた。

ジムのトラブルは月曜日にジムのスタッフさんに相談した。
恐ろしい事態になった事を説明して
今後の対応を検討してもらう事を頼む。

メールの不具合は遠隔サポートの親切な人と解決して不安なことは相談できて、次も困ったら相談できると安心できた。

夫は自分の不機嫌や困り事は自分でやっていくようになった。

私は自分の気持ちを味わう事ができるようになった。
人の機嫌や顔色で振り回されずに私はどうしたいのかを自分に聞けるようになった。

不安も心配も悲しい気持ちもモヤモヤした気持ちもどんよりした気持ちもそのまま持ちながらシンとした気分で粛々と日常をやっていく。

今とても平和な気持ち。

私を振り回し、私を認めないくせに責任ばかりを押し付けて人のことを自分のことのように必死で守らされて踊らされていたことをしみじみ思う。
私が感じることは決して認めず、いつでもいい顔してどんな人とでもうまくやれと言い続けて私を押さえつけて使ってた気持ち悪い親や祖父母を本当に遠くに追いやれた。

どうなってもそれはわたし一人のこと。
何があってもそれは私だけの事。
そんな私という範囲がまるでなかった。
今は朧げながらできた。
そのことに救われた。

私は本当に囚われていた可哀想な子どもだったのだろう。
やっとそこから離れたところで息ができてる実感がある。

怖れと不安と心配しかない恐ろしい世界から なるようになっていく 今の私ができることはやるし無理なら誰かに相談できる なんとかなっていくだろうと思える世界に変わっていく。

それはまた変わるかも知れないけど
もう 戻ることはないと思える。

幼い頃からの私を押さえつけてやらせ続けた親や祖父母はもういない。
私に延々とダメ出しし続ける声も聞こえない。

私の気持ちを私がそのまま受け入れて
静かにいられる。

このことは三年半経って カウンセラーさんが五年はかかると言ってたことを何度も言い聞かせてきた私にとっては喜び。

五年経ったらきっともっと変われるはず。

本当の私なんて何?

そう思ってた。それに少し近づいてきた。
それでもやはりいろんなことが起こるし、落ち込むことも、凹むこともあるだろう。
それでもたぶんこれまでよりずっと楽になる。
それだけは確信できる。

またボチボチやっていく。
諦めないで。
私は私のまま。

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