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いつもマイノリティその3

数が多すぎた。
私の世代の人数はとんでもなく多かった。
転校前の中学校のクラスは各学年10クラス。
大学進学は1浪は当たり前。
時代はバブル。
そしてそれが弾けた。

私が教員採用試験を受けた時は一気に倍率が上がり、教職氷河期に突入した時だった。
その時は19歳の時から付き合っている彼がいて、結婚も考えている時期だった。
子どももなるべく早く欲しかった。
充分な準備ができないまま受けた試験の結果は当然不合格。
すぐに学習塾の専任講師になることを決め、教員採用試験も長期戦で挑むことを決めた。

採用試験に落ちているにも関わらず、この頃の私は自信満々で、もしかして自分にはこの先不可能はないのではないかと思うくらいだった。
それは大学の教育実習の大成功から始まった。小学校2年生のクラスで4週間の実習を受けた。子どもたちとあっという間に仲良くなり、普段の授業、研究授業ともすべて全力を出し切ることができた。
子どもたちを引きつける授業は、高校から専門学校にかけてやっていた
子どもショーの司会の経験が活かされた。
大学の担当教授から研究授業後、称賛していただき、「あなたは絶対に教師にならないといけない人です」とのお言葉をいただくことができた。

就職した学習塾は小学校のクラスと中学校のクラスがレベル別にあり、私は算数数学の講師として小学校5年生から中学校3年生までの一斉指導の授業を担当した。
各授業の準備はそれなりに大変だったが、仕事は14時からなので、20代の私にとってはとても気が楽だった。
いつも自信マンマンなので、どの授業もうまくいった。
これは最初の数ヶ月、私を担当し、指導してくださったカリスマ先生の影響を大きく受けている。
その先生の授業は神がかっていた。
一言でいうと面白いのだ。
メリハリがあって面白いので生徒たちは頑張る→授業が面白い→頑張る→授業が面白いのスーパースパイラルで皆みるみる成績が上がっていった。
この塾では教えることの楽しさを知った。

生徒たちの受験が近づくにつれて、授業準備はかなり時間がかかるようになった。
それでも納得がいくまでしっかり準備をして授業をしたので私のモチベーションが下がることはなかった。
問題は教員採用試験だ。
またもや充分な時間が取れないまま本番を迎えることになった。
しかし私の中で今回ダメだったら自分で塾を開いて、結婚してお母さんになろうという考えが大きくなっていたので、どちらに転がってもよかった。
いい加減な気持ちではなく、本当にこの時はそう思っていたのだ。
結果は当然の不合格。
しかし学習塾の仕事が楽しかったので悲壮感は全くなかった。
「授業は得意なんだけどな、私絶対失敗しないんで」と、今思うと大門未知子か!とつっこみたくなるくらい授業に関しては自信があった。
(次回につづく)


イタリアの一人歩きです。
リボルノという港町には2回行きました。
ピザから電車で15分程度で到着します。
駅から観覧車のある共和国広場までは約徒歩10分。そこから運河沿いを歩いて港に出ると、気持ちの良い潮風にあたることができます。
今回は1回目の11月25日の写真です。

要塞
ブーゲンビリアなのでしょうか?
潮風がとても気持ち良かったです
この雰囲気がたまらなく好きです
手前はパスタのコロッケ、奥はほうれん草がたくさん入ったしっとりした厚めのタコスみたいな生地でした
中味です。おそらくワインとの相性は最高です。
OTTO  PIZZA AL TAGIO LIVORNO
リボルノ中央駅

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