ある八百屋の話 ~過度な安売りは自身の未来を売っている~

そもそもこの「価格競争」と題して近視眼的に安さを追求した結果、待ち受けているのはその業界の衰退である。市民の心理として一度値段が下がったものが値上がりすることは許容しがたいことは、各社が値上げに慎重であり、値上げの際に世論の理解を求めることでもわかる。

私もものの値段が下がるのはありがたい話だ。生活が楽になる。しかし、適正な価格を超えてまで値下げの競争を行うことは、長期的に見ると自身の首を絞めることになる。最も避けたいことは、このサービスや商品はこの価格位のものだと誤った認識をされることである。

一度低い価格で人々に認知されてしまうと、それが不釣り合いな評価であれ、そこから価値を上げるには大きな労力が必要になる。10年前と今とでは原価や最低賃金が変わっているのにもかかわらず価格は据え置きというのは無理がある。

そこに対して一定の価格を維持する努力も必要かもしれないが、差額を全て企業努力で埋めるには当然利率が下がる。その結果従業員の給与は上がらない。あるいは、同じ利率を維持するために従業員が酷使されるケースもあるだろう。稼いでも上がらないじゃないかという声も耳にするが、それは課題がすり替わっている。価格が低すぎるという話は、上げたくても上げられない状況は改善すべきということであり、これはシステムや業界、消費者の意識の問題である。一方で、会社が稼いでも給料が上がらないというのは、会社が本当に従業員に分配できるほどの利益があるのであれば、それはあなたの会社の問題である。会社に相談するなり転職するなりされてはいかがだろうか。

もちろん、お値段以上の価値を提供しようとする企業の努力は尊敬する。要するに、お値段以上の価値が提供されることは当たり前ではなく企業の努力と好意であることを認識し、お値段以上の価値が提供されないからといって文句を言わないことを心掛けたいということである。それ以上を求めるのはあくまでその人の希望に過ぎないし、あるお店で素晴らしいサービスがあっても、別の店で同じようにしないといけないわけではない。そこから先は企業のコンセプト、ブランディング次第なのだ。

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