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人口減少という危機~ではなぜ人口減少を問題に上げるのか~

※この記事は以前投稿した「人口減少という危機~増えすぎた人口、長くなり過ぎた寿命~」の続きとして書いております。よろしければ前記事をご参照のうえ、お読みいただければ幸いです。
https://note.com/famous_tulip573/n/n4d0721c883ee

さて、以前の記事で

「人口減少が課題だという声をよく聞く。
課題の捉え方が違うのではないかと思う。
問題は人口が減ることではなく、人口ピラミッドの歪さと環境の変化に対応できないことではないか。」

と書いた。

であるならば、なぜこうも人口減少が課題であると叫ばれるのだろうか。

以前の記事で書いたように、人口の減少という課題の捉え方がそもそも違うのではないか、ということが一つの理由であるかと思う。

また、最近たまに見かけるようになったが、そもそも人口減少という現象は日本にとって本当にマイナスなのか、見方次第ではプラスなのではないか、という話もある。AIをはじめ技術の進歩により仕事は効率化されるため、人口が増加していると職につけない人が増えることや、人口減少することで医療費などの社会福祉の負担が減るという点から語られる話だ。

個人的に100%賛同するものではないが、人口減少が本当に悪いことなのか、という問いに関しては共感するところである。

これらはいずれも課題の捉え方の違いではないだろうか。課題を正確に捉えていない、または私と捉え方が異なっている(どちらが正しいということではない)ため、人口減少は重要な課題であると言っているのだ。
前記事で述べているように、私は人口減少という課題は、ちゃんと分解して考えるのであれば、「検討すべきは時代の変化に対応できるかと少子化対策なのではないだろうか」と考えている。
しかし、これはあくまで私の意見であり、それぞれに信じるものも考え方も違うだから、そもそもの課題意識、認識として「やはり人口減少は大きな課題である」ということは否定できないし、否定するものでもない。

先ほど、理由の一つと書いたが、それでは別の理由についても考えてみよう。

他に考えられる理由としては、「簡単だから」だ。
「人口減少が喫緊の課題であり、町として(あるいは市として、県として、国として)最優先で取り組むべきものである。」
という言葉、皆様の自治体で耳にしたことはないだろうか。

誰もがわかりやすく、明らかであり、耳障りがよく、大して調べなくてもそれっぽいことが言える。そんな魔法の言葉として用いられているのではないか。

少し解説していこう。
「誰もがわかりやすく、明らかであり、」という点については説明するほどのことでもない。本質についてはどうあれ、確かにこの課題はすでに表面化しており、多くの人が実感を交えて課題であるとわかっていることなのだ。ほとんどの人がこの課題に対してわからない、ということではない。
「耳障りがよく、」という点については、これは人口減少に限った話ではないが、命、それもとりわけ新しい命や幼い命の話をすると否定が難しい。確かに新たな命は歓迎されるものであり、庇護の対象だからだ。課題と多少ズレていても、これを出されるといわゆる負けイベントのように、有無を言わさずに話が通る傾向が強い。
「大して調べなくてもそれっぽいことが言える」というのは、この課題意識がありそれに取り組んでいきますと言えば、「やっているように見える」ことを指す。もちろん、全ての人がそうではないし、本当に人口減少が課題だと取り組んでいるのなら問題ない。
ここで行っているのは、あくまでポーズとして使用しやすいから使用しているのはいかがなものかという話だ。

ちなみに、少子化対策は長期的な視野で効果を見極めることになり、その政策への評価はかなり先の話になる。また、現役の政治家の在籍期間中に実害に及ぶ可能性は低い。なんとも便利なものなのだ。

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