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“理不尽さ”を受け入れても、“信念まで”曲げることはないんだよ。

皆さん、こんばんは!えりです。
 
本日も、ご覧いただきありがとうございます💙 
 
私が、noteでの発信活動を始めた当初を振り返ると、
 
“私自身のこれまでの経験や、現在の歩み”
 
そして、“そこから、得た自分なりの気づきや、生み出したちょっとした工夫”
 
そんな、「“人生踏んだり蹴ったりで、ちっぽけな私の知見の断片”が、私と“同じような問題を抱えた方々の力”になれば。」
 
力になるなんて、大袈裟なことではなくとも、「ただ、“私の歩みの過程を、お見せすることで、ひとつのロールモデルとして、参考”にしていただけたら。」
 
という想いが、最初のきっかけでした。
 
“支えてくださる皆さんのおかげ”で、今では、こうして、“自分の内側にしまい込んでいたものたちを、言葉にして、一つひとつお伝えすることが、私の生きる力”になっております。
 
“どんなに稚拙でも、自分の言葉で表現する、ということが、私のモットー”です。
 
“自分と似た経験や感性を持つ人は、私たちが、足を進めるうえで、大きな道しるべのような存在”になってくれるのではないでしょうか?
 
この“混沌とした世の中で、自分を見失わずに生きていくことは、容易いことではありません。”
 
だからこそ、“支え合う仲間が必要”なのです。決して、共感を求めているわけではないのです。ただ、声を知ってほしい。雑踏、騒音にかき消される前に、掬いあげていきたい。
 
そんな想いで、本日も、片隅から、小さな声を上げさせていただきます。
 
それでは、早速、本日も、小話から参りましょうか~🌼 
 
突然ですが、皆さんは、「自分は、“ステレオタイプ”が強い方だ。」と自覚した経験は、ございますでしょうか?
おそらく、多かれ少なかれ、何かしらの“固定観念”をお持ちなのではないでしょうか?
 
例えば、「あの人は、明るくて、コミュニケーションが上手。人気者だから、私のことなんて、相手にしてくれない。内気な人の気持ちなんて、分かるはずがない。」
 
「高学歴で、大企業に勤めている人、正社員が、勝ち組。フリーターや、契約社員は負け組。」
 
「結婚している女性が、幸せで、おひとり様は、惨め。」
 
「太っていて、顔も可愛くないから、恋人ができない。」
 
「女性なのに、愛想がなく、気が利かない。男性なのに、気が弱く、頼りない。」等々…。
 
今、挙げさせていただいたものは、本当に、ごく一握りに過ぎません。
 
このように、私たち、人間は、“無意識のうちに、あらゆる物事をジャッジ”しながら、日々を、生きています。
 
それは、自然なことですし、“他人のフィルターをかける”は、決して、悪いことではありません。
 
世間に適応していくためには、ある程度、そうした“勝手な思い込み”も、“多数派の意見”として、知っておくことは必要です。
 
かといって、「全てを受け入れる必要はない。あくまで、“処世術のひとつ”。“世渡りの知恵として、理解しておくと、生きるのが少し楽になる”。」というメリットも、あるかと思います。
 
場合によれば、危険から、自分の身を守る盾にもなりえます。
 
「面接を、何度も、ドタキャンしたり、雑に扱われるような会社からは、離れる。」
 
「女性一人で、夜道を歩くときは、細心の注意を払って。繁華街には近づかないようにする。」
 
例を挙げると、このような感じです。
 
これらの“イメージ”は、全て、私たち人間に、備わった防衛本能とも言えます。
 
しかし、その“フィルター”が強すぎると、“自らの足枷となり、自分の可能性を狭める”ことにもなりかねません。
ですので、“自らがつくり上げた妄想”によって、苦しまれていらっしゃる方は、“借り物のフィルター”を、外してみましょう。
 
一枚ずつで、良いのです。また、“日によって、環境によって、かけてみたり、外してみたり。”
 
自由に、気楽に、試してみてください。
 
そして、決して、忘れないでくださいね。「“常に、選択権は、あなた自身が握っている。”」ということを。
 
この事実を踏まえたうえで、“自分で決める”訓練を、一つひとつ積み重ねていきましょう。
 
気づけば、“目の前の世界が、これまでとは、少し変わって見える”はずです。
 
そのときには、“借り物ではない自分自身のフィルター”を手にしているのではないでしょうか?
 
それが、“周囲と調和しながらも、揺るがない、強くしなやかな軸”となるでしょう。
 
そんな“自分の軸さえあれば、あなたは、きっと大丈夫”です。
 
「異なる顔を持っていたとしても、“帰る場所に、連れ戻してくれる”から。」
 
さて、ここまで、お耳をお貸しくださり、ありがとうございます😊 
 
それでは、皆さん。お待たせしました。ここから、本日のメインテーマに入っていきましょう~!
 


“アラサー女子にかけられた呪い”に、どうか惑わされないで!

皆さんは、「20代の半ば、“25歳を過ぎた辺りから、謎の生きづらさを感じ始めた。”」
 
そんな経験はございますか?
 
私は、まさに今、“謎の苦しみ(不自由さとも言えるでしょうか?)の渦”に、巻き込まれようとしています。
 
「仕事、キャリア、お金、健康、恋愛、結婚」等々…。
 
もっと、大きい括りで考えると、「自分は、これから、どこに向かおうとしているのか?どう生きるべきか?誰と、どこで、何をして生きていきたいのか?」
 
極論を言うと、「何のために、生きていくのか?」といった“生きる意味”にまで、辿り着いてしまいます。
 
こうした、まるで、“抜け道すら、全く見えない迷路の奥に引き込まれていくような。”
 
そんな、“人生における低迷期”のこと。
 
心理学的な専門用語では、“クォーターライフ・クライシス”という言葉で、表現されています。
 
アメリカや、イギリスなど、欧米では、“この年代の若者が陥りがちな一般的な概念”として、認知されているようです。
 
ですので、「こんなことで、悩んでいるのは、“自分だけ”?」と、不安や、孤独感を感じていらっしゃる方は、どうかご安心ください。
 
「“鬱々とした感情”を抱えているのは、あなただけではないんだよ。」
 
これが、今、“私が伝えたいこと”です。
 
「誰かも、どこかで、“同じ壁にぶち当たっているんだろうな?”」
 
そんな、“旅路を共にする誰かの声を聞く”と、“心の錆が、少しずつ取れていく”ように、視界が開けてくるのではないでしょうか?
 
それは、“唸り声”、“溜息”、はたまた、“あくび”かもしれませんね。
 
この25歳を回った、巷では、そう呼ばれている、“アラサー”世代。
 
特に、「“アラサー女性”に向けれらる刃」について。
 
ここで、ひとつ、“私のエピソード”を、ご紹介させていただきますね。
 
それは、親戚の女性からの心無い一言です。
 
どんな内容かというと、、、。
 
「えりちゃんは、別に、無理して、仕事を探さなくてもいいんじゃない?“仕事よりも、素敵な旦那さんを見つけるほうが、早いよ。”」
こうした言葉でした。
 
親族の不幸ごとや、法事などで、顔を合わせる度、飽きもせず、詮索してくるのです。
 
「仕事は、決まったの?彼氏はいるの?そろそろ、相手がいてもいい年頃よ。」
 
この女性の“悪意を感じてしまうほどのしつこさ”には、毎回、うんざりさせられています。
 
「単なる“世話焼き心”や、“期待”、“好奇心”から出た言葉だろう?」
 
と、半ば諦めながら、聞き流すようにはしておりますが、、、。
 
野放しにしておけばおくほど、“益々エスカレートしていく詮索好き”には、そろそろ、私も、“堪忍袋の緒が切れそう”です。
 
こうして、親戚女性から投げられる“火種の数々”は、私の中に棲みつく“不安”や、“孤独”、“疲労感”、“ストレス”といった“負の感情”を、水面下で、増幅させていきました。
 
そして、そのまま、たっぷり“貯蓄された燃料”により、“火種が着火し、いざ大爆発!”
 
となる一歩手前で、ふと冷静になることができたのです。
 
元々、“分析好き。”
 
「気になることは、“とことん突き詰めたい!”」そんな“オタク気質”の私です。
 
この際、“感情の渦に飲まれて、大火事を起こす”くらいなら、「この火種たちが、“火種になりえた原因”について、“奥底に潜む深層心理”に、“向き合ってみようではないか。”」
 
そう、自然と、“視点を変える”ことができたのです。
 
こうして、“自分なりの分析”を進めた結果、この“火種の裏に隠されていた”、ある“2つの事実”が明らかとなりました。
 
まず、1つ目は、「“世間の固定観念”=“普通は、こうあるべき”という姿に、“自分自身が縛られている。”“実体のない普通”への“執着心”。」
 
そして、2つ目は、「その“世間でいう普通”という“枠組み”には、“ハマることができない自分の存在。”自分自身は、いわゆる“マジョリティ”側の人間ではないのかもしれない?という“自覚。”」
 
これらの“自分自身が抱えてきた問題。”
 
“目をそむけたくなるけど、向き合う必要のある”、“自分の心の暗部”に触れられたことは、私にとって、“意外な収穫”でした。
 

自分の闇と向き合う中で気づいた“無意識の偏見”

ここまで、お話ししていく中で、「“アラサー世代”になると、“女性として生きることに、苦しさを覚える”のは、“周囲からのプレッシャーのせい”だ!」という“思い込み”が、“実は、間違いであった”ということに、“お気づきになられた方”も、いらっしゃるのではないでしょうか?
 
そうです。この“謎の女性としての生きづらさ”を創り出していたのは、“世間”ではなく、そこから、“外れることを恐れる自分自身の防衛本能”なのでした。
 
確かに、“火種を投下してくるのは、他人”かもしれません。しかし、それに“反応し、火をつける”のは、“あなたの中”で、形成された、“性役割に対する偏見”なのではないでしょうか?
 
“燃料がなければ、炎を燃やすことはできません”からね。
 
ですが、私たちは、そんな“性役割に対するイメージ”を、“日頃から、受け入れ”、“自然と演じている”部分も多いかと思います。
 
私も、これまで、長らく、“学校”や、“職場”など、“集団の中”においては、常に、この“性役割”というものを、“強く意識して生きてきました。”
 
というより、「“囚われてしまっている。”」という表現のほうが、ふさわしいかもしれません。
 
「服装や、所作は、“女性らしく。”常に、“笑顔で愛想よく。”細やかな“気遣いを心がけた立ち居振る舞い。”周囲と、“歩調や波長を合わせて、円満に。”」
 
自分には、“足りない要素”を、必死で、かき集めては、世間でいう“いい子”を、“演じていました。”
 
しかし、ある時点から、“自分を取り繕うこと”に、“疲れ果ててしまった”のです。
 
“本来の自分”は、「ファッションも、モノトーンなど、“ジェンダーレスな感じ”が好き。どちらかというと、“愛想は良くない”ほうだし、“気分屋。”“気も利かない”し、基本“自由人。”言いたいことは言わせて。“自分にも正直”でいたいし、人とも、“本音で接したい。”」
 
“本当の私って、こんな人。”
 
これも、“一種の勘違い”かもしれないけど、少なくとも、「“こうありたい!”」と“自分が望む姿”は、こんなイメージ。
 
このように、“理想と現実”、“他人に見せる顔”と、“自分だけが知っている素の自分”との間に、ここまで“ギャップ”があると、苦しいのは当然ですよね。
 
そんな中、私は、少しずつ、「“世間の期待する”いわゆる“理想の女性像”から、敢えて、“外れてみる。”演じるのを止め、“本来の自分を出す場を増やしていく。”」という“挑戦”を始めてみました。
 
勿論、そう“簡単に、立ち居振る舞いを変えることはできず”、“道半ば”の状態です。
 
何しろ、長年、“必死で、演じてきたいい子ちゃん”が、“板につきすぎており”、「突然、“キャラ変!”」というわけにはいきませんが、、、💦
 
今は、少しずつ少しずつ、“安心できる場所”や、“時間”、そして、“人”が“増えてきている”ように感じております。
 
そして、“何よりも、大きかった”のが、“一緒にいて、心から安心でき、笑い合える”、そんな“本音で付き合える同志と出会えた”ことです。
 
勿論、“世間の枠組みから外れること”は、とても“勇気のいること”です。
 
私も、日々、“葛藤の中で”生きています。
 
でも、そこから、例え、“外れたとしても”、決して、「“あなたの価値がなくなるというわけではない”のです。」
 
あなたは、ただ、「“その道が違うと感じただけ。”」
 
それは、きっと、「“自分を信じる勇気を持てたという証。”」だと、私は、思います。
 
こうして、「自分とは“違う価値観を持った人”と接してみること、そして、“自分の本音”に耳を傾け、敢えて、“横道にそれてみる”こと。」
 
こうした“小さなチャレンジ”を続けることで、徐々に徐々に、“自分をがんじがらめにしていた足枷”を、“緩めて”いきましょう🍀
 
気づけば、“自然体”でいられる、“合わせなくても合う”、そんな“ソウルメイトのような存在”に、出会えるかもしれませんよ。
さて、本日も、お別れの時間がやってまいりました🌛 
 
長らくお付き合いくださり、ありがとうございます✨ 
 
この頃は、“満開だった桜の木々たちも、新緑へと”、徐々に姿を変えようとしています🌸🍃 
 
穏やかな“春の陽光も束の間。”
 
“初夏の気配”を感じさせるような陽気ですね🌞 
 
皆さん、外にお出かけになる際は、“日傘”や、“冷感スプレー”などで、“暑さをしのぎながら”、“ゆったりと”お過ごしくださいね。
 
それでは、また、次回、お会いしましょう~👋 
 

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