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母が作ってくれた、こんにゃく畑弁当

高校生の時、私のお弁当のおかずの中には、よくこんにゃく畑が入っていた。

ハンバーグや卵焼きといったお弁当によくあるおかずが並ぶ中、紫色のハートのゼリーは異様な存在感を放っていて、今でもよく覚えている。

おそらく、お弁当の品に困った母がお弁当の面積を稼ぐために入れたのだろう。

私はもともと、「お弁当が人と違って恥ずかしい!」とか「ちゃんと作ってよ!」というタイプでもなかったし、フルタイムで働く母の疲労を考えたら「そりゃ楽したいよな」と思っていたので、お弁当のおかずに別に文句はなかった。

いつかの日か母に、「お弁当、こんにゃく畑で面積取ってんのウケる~」と軽い冗談のつもりで言ったことがある。

その時、母は「ごめーん」といつものように笑っていたのだが、ことのほか私の言葉に傷ついたのか、それ以降、私のお弁当にこんにゃく畑が現れることはなかった。

それに気づいた時にはすでに2~3か月が経過しており、なんとなく私も気まずい雰囲気になってしまって、謝るにもタイミングが見つからずそのままで。

こんにゃく畑と入れ替わりに、冷食の数も減って手作りのおかずが増えた。

前に比べると、彩りも豊かになって周りの子と比べても、かなり美味しそうなお弁当になったと思う。

けれど、なんとなくこんにゃく畑弁当を懐かしんでしまう自分がいた。

あけたとき、「まーたたお母さんこんにゃく畑入れてる……」という心の中の小言はもうできなくなってしまう。

母を傷つけたかもしれないという罪悪感と、こんにゃく畑のないお弁当の寂しさは、しばらく続いた。

−−−

我が家は、私が11歳の時に両親が別居してからは、母と6つ上の兄、私の3人で生活していた。
兄は大学、大学院と卒業し、私は看護師の専門学校へ。

通学に掛かった学費、生活費は全て母が支払い、私たちは奨学金を借りることなく学校を卒業した。

自分が社会人になった1年目は、働くとはこんなにも大変なことなのか、というのを嫌というほど味わった。
看護師の重圧に耐え切れず、毎日吐きながら出勤。
なんのために働いているのかわからないという状況で、それでも食べるために働かなくてはならない。

自分が働いて初めて、母の心労を真に理解できた気がする。
フルタイムで8時間以上勤務をしたあと、子ども2人を一人で育てるのはどれほど大変だったのだろうか。

−−−

社会人5年目になり、看護師としてわずかにゆとりが持てるようになったけれどお弁当は作れていない。

ちなみに、何回か作ったことがあるけれど、ゆでたパスタに市販のルーをかけるというお弁当と言えるかわからない出来栄えだ。

まだ、きちんとお弁当詰めされていたこんにゃく畑の方がマシだったと思う。

毎日、私よりも早く起きて私のお弁当と朝ご飯を用意してくれていた母。
あのハート形のお菓子は、あの頃の母のがむしゃらな気持ちそのものな気がする。

あの頃は謝れなかったけれど、次あったとき言ってみようかな。

「昔は言ってたこんにゃく畑のお弁当、美味しかったよ。ありがとう」

って。


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