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受動型の奇跡『涼宮ハルヒの憂鬱』

こんにちは、渡橋銀杏です


今回はより特定の作品に絞っての研究をしようと思います。目的は未完に終わっている処女作『ReLight』の改稿と完成。そのためにライトノベルの代表的な作品である『涼宮ハルヒの憂鬱』を分析してみます。

涼宮ハルヒとは?

ライトノベルというジャンル、この記事を開いてくださった皆様ならご存知だと思います。主に若年層に向けた読みやすい文体の小説と区別されますが明確な定義は実はありません

ですが、そのライトノベルの代表作といえば?

多くの方が『涼宮ハルヒの憂鬱』と答えるでしょう

では、なぜ涼宮ハルヒの憂鬱が代表作と呼ばれるのか。ライトノベルには現在も続くとあるシリーズやSAOシリーズなど様々な作品がある中でどうしてこの作品がある意味で神格化されるほどに評価されているのか

今回はその構成面から紐解いていきたいと思います

涼宮ハルヒの主人公は?

では、あまりにも有名な涼宮ハルヒシリーズの主人公は誰でしょうか?
答えはキョンです。涼宮ハルヒではありません。
しかし、作品を詳しく知らない方は涼宮ハルヒが主人公であると勘違いをされている方も多くいらっしゃると思います。それがこの作品の妙でもあるのですが、それはまた分析をしていきましょう。

では、そのキョンという主人公は能動型か受動型か。

答えは受動型です。

受動型とは【発生した問題に対応し、話をある意味で俯瞰する主人公】

詳しくは主人公の分類 能動型&受動型|渡橋銀杏 (note.com)の記事でも解説していますが、キョンは基本的には何かに対して能動的に意欲的に取り組むことは多くありません。

涼宮ハルヒに対してあんな特徴的な自己紹介をされて、そんな少女が近くの席に座っていたから興味本位で話しかける。別に珍しくもない行動。

『涼宮ハルヒの憂鬱』において、これ以外の行動は基本的にキョンが長門、朝比奈、古泉達からなんらかの指示を受け、問題の解決をするための行動を半ば強制的に強いられています。

これは基本的な受動型の主人公となんら変わりありません。

では、他の作品と何が違うのか。

答えは、キョンが解決するべき【問題】が涼宮ハルヒが原因であることです

最も大事な【問題】が涼宮ハルヒである理由

涼宮ハルヒと同時期に名作ライトノベルとして名を馳せた『灼眼のシャナ』と比較させていただきます。どちらの作品に優劣をつけるということではありませんので、その点のみご留意ください。

『涼宮ハルヒ』
・主人公のキョンは、涼宮ハルヒの内面に起因する問題をSOS団の団員である長門、朝比奈、古泉らと協力して解決していく。
『灼眼のシャナ』
・主人公の坂井悠二は、フリアグネに襲われたところをシャナに助けてもらい、ともに行動しながら紅世の徒と戦っていく。

どちらも受動型主人公であるため、注目すべきは【問題】です

イメージしやすくすると、例えば同じ受動型主人公が多い嵐の孤島ミステリー作品においては主人公の探偵よりも被害者がどのようにして殺害されたのか、アリバイトリックは、その動機はという【問題】が大事なのです。

では、その【問題】を見てみましょう。

『涼宮ハルヒの憂鬱』
・涼宮ハルヒが内面に抱える問題や、その能力を狙う敵対勢力
『灼眼のシャナ』
・坂井悠二を狙う紅世の徒との戦い

お気づきの方がいるかもしれませんが、『涼宮ハルヒの憂鬱』において最も重要な【問題】が涼宮ハルヒ、そしてその内面にあることになります。

つまり、『涼宮ハルヒの憂鬱』は12万文字をかけて様々な問題に立ち向かうキョンとその仲間の姿を描きながら、同時に涼宮ハルヒの内面と抱える問題や不満を描く、まさにキャラクター小説の完璧な構成であるといえます。

涼宮ハルヒの役割

では、その当人であるハルヒは何をしたんでしょうか?

涼宮ハルヒは、
・特徴的な自己紹介をしたこと
・髪型を曜日ごとに変えたこと
・SOS団を創設し、メンバーを集めたこと
・休日のパトロールを実行したこと
・神人世界にキョンと訪れ、生還したこと

これだけなのです、もちろん彼女が物語のキーパーソンであることはもはや説明不要であるため全てが物語の展開に繋がっているのですが、他作品のように主人公であるキョンと同じ場所にいるわけでもなく、何か特別な魔法や能力を自分の意志で使用することはできません。

特にキョンと行動を共にする時間があまりにも少ない。他の作品が基本的に主人公とヒロインが一緒にいる時に問題が起こるのが定番であるのに対して涼宮ハルヒとキョンは部活創設以降で神人世界を訪れるまでは非常に行動を共にする時間が短く、会話もそこまで多くはありません。

なのに、どうしてあんなに存在感があるのか。タイトルに名前があるから、表紙のイラストが涼宮ハルヒだから、どちらも正解ですが二重丸ではない。

答えは、『問題が涼宮ハルヒであること』です

何度も同じことをいうようですが、注目すべきは涼宮ハルヒです。あくまでSOS団のメンバーである長門、朝比奈、古泉は『涼宮ハルヒの憂鬱』の時点では涼宮ハルヒの能力をセーブするために協力するという関係でしかない。

そのために上手く付き合ってはいますがあの時点で友人関係にはなく、そのため協力する原因である涼宮ハルヒについての会話をすることが多いです。

ずっと話の軸が涼宮ハルヒから動かないんです。主要なメンバーの中で最もキョンとの会話が少ないにも関わらずに他のメンバーはみんな涼宮ハルヒ以外のテーマでキョンと会話をしない。

ツンデレが流行っていたことや見た目の斬新さももちろんあったと思います

ですが、読者がキョンと他のSOS団の涼宮ハルヒの内面に関する会話、ある意味で涼宮ハルヒという人物の説明を説明っぽくなく聞いているうちに彼女を理解し、その気持ちに共感することで自然と引き込まれていった。

涼宮ハルヒの大きく関連しないエピソードとして朝倉VS長門のシーンがありますが、それ以外はずっと涼宮ハルヒのある意味で他己紹介をしてくれているわけです。

この形式を生かした作品

この作品以降、ヒロインをメインの問題に据えた作品として『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』が存在しますが、こちらの作品のテーマは『オタク趣味に対する偏見』であるためまた少し違います。

では、この『涼宮ハルヒ』の形式を生かした作品はというと、『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』であり、『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』です。この時期はかなりライトノベルとして新たな作風の名作が生まれた中で、この2作に共通しているのは1つ。

持ち込まれた【問題】を主人公が解決していくこと

俺ガイルであれば、1巻で由比ヶ浜、材木座、戸塚の問題を解決。ブタ野郎は麻衣さん、朋絵の順番にどんどん問題を解決していく。極端なキャラでそれらの抱える問題から理解を深める形式の俺ガイルと、内面に起因するある意味でよりハルヒに近いブタ野郎シリーズ。どちらもアニメ化、漫画化など様々な媒体に派生した2010年代の後半を彩る名作。

その形式は間違いなく『涼宮ハルヒ』に影響を受けているといってもいいでしょう。それぐらい、すごい作品でありこれからの創作者。涼宮ハルヒがアニメ化し最も人気を誇っていたころにまだ学生だった人たちがどんどんと小説家の世界に現れてくる中でさらにその影響力は大きくなるでしょう。

最終的に何が言いたいかというと

最後にまとめると、
[メインヒロインが決まっているなら、この形式が1番]

そう言い切れるくらいには優れたフォーマットであると思います。もちろん、涼宮ハルヒほどぶっ飛んでいなくてもいいですが反対にバランス感覚は難しく、基本的にはメインヒロインがずっと主人公に迷惑をかけ続けるという構図になりがちなのでそこのフォローは挟む必要があります。

しかし、それを補って余りあるほどのパワーがこの形式にはある。現代の流れとしてライトノベルは受動型主人公でありながら【問題】が非常に身近なものへと矮小化されたことで、キャラクターによる爆発的な人気を起こす作品が非常に少なくなったように感じます。

ですが、多くの業界人が求めるのはキャラクター。小説の出来が良いのはもちろん良い事ですが、優れたキャラクターデザインに丁寧なキャラ付けがされていればグッズ展開やコラボなど非常に幅広く活躍し、多くの方に愛されるキャラクターになることができるでしょう。

この記事を読んだ方が、そんなムーヴメントを起こすような作品を掻き上げていただければ幸いです。

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自作の中で序盤だけこの形式を採用した(執筆当時にそんな意識は無かった)作品です
愛慾に至る病(渡橋銀杏) - カクヨム (kakuyomu.jp)

次回はまだ何を書くか決めていませんが近日中に公開します!

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