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2人の書き手を持つ、1つの『民主耕論』~書き手Uの紹介~

あらためて『民主耕論』は、

失われた30年の間に生まれた2人が、「日常や日々の心情と社会、政治を結びつける」「弱さも含め連帯の方法を探る」ことを考えるために結成したメディア・ユニット」

https://note.com/famous_otter875

であり、書き手は2人でやっていきます。
なので、書きぶりや表現方法も、視点・視座も別々であり、しかしながらそんな多様で対話的な『民主耕論』を、楽しんでいただければと思っています。

ちなみに初稿の↓

は私ではない相方が書いておりますので、是非ご一読くださいませ。


今回はもう1人が簡単に自己紹介をします!

ペンネーム(仮):U
しばらく「U」でいきます。思いつきなので、後々かえるかもしれません。

私は阪神淡路大震災から1年と少したったくらいの関西で生まれ育ちました。大阪も京都も神戸もそれぞれ過ごしたことがあるのですが、自分のアイデンティティは?と問うてみると、京都人なのかもしれません。京都弁話者だからかしら、なんて思ったり。

大学では色々学びました。1年ではブラジル移民政策についてや、EUについて("European Studies"として、エリア・スタディーズではありましたが、やはり西・中欧が中心となってしまいます。)、2-3年ではドイツの移民統合政策やナショナリズム論、最終学年の卒業研究では結局、太平洋戦争前~戦時下における大阪の師団が、東京を「中心」とする対としての「周縁」意識を持つ中で、全体主義的な意味をもつ戦争において兵士の意欲をどう保つか云々…。

「テーマに一貫性がない」とよく(就職面接で)言われたりするのですが、人生において「不要なゆれ、ぶれ」なんてないというのが私の意見です。18歳やそこらで決めた「進路」が、果たして残りの長い人生を基底してしまうことこそ、おかしいのではないか、と。
人生には貴賎の別などないはず。ただし、専門的なスキルを身につけるには多くの時間や労力を要しますから、そういったことへの門戸を開放するような「雰囲気」こそが、他人の目を気にしちゃいがちな日本に必要なのかもしれません。

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ハイコンテクストな文化圏で、経済力も落ちてきて、人口も減ってゆく。そんな極東の国で、あらゆる「生きづらさ」を抱く当事者として、これから『民主耕論』を通じて徒然なるままに、でも力強く物書きをしていけたらと思う次第でございます。

[了]


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