「ブレイクスルー・ハウンド」36
「でも、それを逃れる道もあります」
逃れる道、と聞き返しながらも光は警戒心が顔に出ないように注意した。
これは交渉術の常套句ではないか。悪い選択肢と、より悪い選択肢を提示することで、目的の道へと相手を押しやる、という。
とにかく、自分ひとりでは判断がつかない。弁護士にでも相談しなければ。
しかし、それができるのか。相手がひとりで行動している可能性は限りなくゼロに近いだろう。となると、この場から退(ひ)くことすら容易ではない。
「俺はまだ学生で、学業とバイトがある。まず、親父と話を通してくれ」
光の選択肢をすり抜ける言葉に、女性はこちらをしばし無言で見据え、
「わかりました。ただし、同行してもらいます」
とつけ加えた。なんで俺がこんな目に――光は胸のうちで不平をもらす。テロリストだの情報機関だの、彼にとってはこの世で一番係わり合いになりたくない連中だった。
やはり意識すると、女、本人の名乗ったところによると佐和(さわ)=ウォード以外にも尾行者の姿は確認できた。突如として地下鉄の出口で立ちどまり後続の人の流れを睥睨した。何人かの容姿を脳裏に刻み込む。
そんなこちらを佐和は無表情に見守っていた。だが、内心は舌打ちしたい気分のはずだ。光が行ったのは尾行者の顔を割り出す作業のためだ。もしこの先、ここで出会った人間に妙なところで出くわせば確実にそいつは跡をつけてきている証明になる。俺は単なる学生じゃない、舐めるな――光は改めて、佐和の尾行を見破った上に背後を取ったことに加え、その事実を証明してみせた。
ただ、従順にしたがっているのは腹にすえかえる。
しかし、あまり嫌がらせばかりしていてもしかたがない。光は、車で送るというのを断って、在来線で光は町に帰りさらにマウンテンバイクで駅の駐輪場を出てスクールを目指した。
佐和の足など知ったことないと思ったが、しれっとした顔で車で追ってくる。
そんな彼女を連れて、光は施設へと到着した。だが、散らかった簡易事務所の奥、射撃のための的がもうけられた辺りに人影がある、光はそれを認めて、渋い顔で歩き出す。
「いいか、諸君にはいかなる姿勢からでもどちらの手でも片手で正確な射撃を行う方法を学んでもらう。実戦の場では片腕を使えない状況は容易に起こりうる。それを考えれば必須の技能といっていいだろう。そのためには、手、親指、人差し指だけで銃を支えて撃つことになる」
親父、ちょっといいか、仕事の最中に割り込んでくる珍しい息子の行動に眉間にしわを寄せながら一転、達人は笑顔になって客たちを見た。今日の客は見たところ、ミリタリー好きの集まりのようだ。
「すみませんが、ちょっと倅と話をさせください」「息子さんと仲がいいなんて羨ましい」「いえいえ、そんなことは」などと世辞を交わす父親と、客たちからだいぶ距離を置いた。
そして、自分に起こったことを詳細に語る。
思い出すと怒りがよみがえり、そしてそれ以上に背筋がふるえた。知らなかったとはいえ、国防レベルのアクシデントに巻き込まれかけている。
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