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子ども時代の読書の思い出は強烈

最近の映像技術の進歩は急速に進んでいる。
アニメ、実写ともに大迫力だし、とってもきれい。
液晶のレベルも上がってるから、一昔前とは全然違う。

先日、YOASOBIのミュージックビデオを見ていて
「知ってる」と思った。「この感じ、見たことある」

普段からアニメはあまり見ないけれど、閃光がものすごいスピードで差し迫る感じとか、闇の深さの色合いとか。いつかどこかで見たことがあった。

どこだろう。何でみたんだろう。
しばらく考えてみたら、思い当たった。
子ども時代に読んでいた物語のシーンを、あの頃の自分が頭の中で思い描いたものと、似てる。

小学生の頃はたくさん読書をしていた。
ものすごい集中力で本の中に入り込んだ。
「物語に入りこむ」まさに、言葉通りの体験をたくさんした。
その中で、光の差し込む様子、真っ暗な森や部屋、空の闇の色、水滴が落ちて波紋が広がる静かな水面の美しさ、静寂の色、歓喜に満ちた色。
たくさんの情景が脳内に広がって、その色彩は恐ろしいほどに美しかった。

集中しすぎて、気づけば辺りは暗くなっていたことも、教室に誰もいなくなり時計を見れば下校時間をとうに過ぎていたことも。
今思えば、とても贅沢な時間を経験だった。

子どもの私の脳内に広がった色合いやスピード感、雰囲気を、現代の子ども達は実際の視覚聴覚を使って体験しているんだろう。
このことを素晴らしいと思う一方、少し残念にも思う。

昔は習い事もたくさんしなくてよかったし、ゲームもさほど普及していなかったから、子どもは基本的にヒマだった。
だから、ぼーっと空を見たり水を触ったり、土や葉っぱをいじったりする時間が豊富にあった。無意識にキャッチしたそれらを総動員して、活字を読んで一人ひとり違う映像を脳内に作り上げてきた。

それを、現代の子どもは自分で作り上げる前に、誰かが作った「完成したもの」を見せられる、聞かせられているのではないか、と思ってしまう。
まぁ、そのおかげで昔よりもセンスの良い子は多いし、選択肢をたくさん与えられ、情報を持っている子の何と多いことか。

「今どきの子は、まったくダメねぇ」
「昔はよかったよねぇ」
なんてナンセンスなことを言いたいわけではない。
けれど、やっぱり自分のあの経験は何にも代えがたいものだ。

しかも!
「本に入り込む」ことが出来るのは子どもだけだと確信している。
だって中学の頃からは、どうしても入れなかったから。
「耳をすませば」の雫も言っていた。ほんっとに、そう!
びっくりしたし悲しくて悔しかった思いを、今でも覚えている。
この気持ちがわかる人、たくさんいるのではないかな。


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