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焼身旅行記

 バスの中は込み合っていて、小説を書くことはできなかった。 

 おそろしいくらい、足の長い中学生か高校生が、足を持て余す形で、左隣の席に座っていた。

 くもみたい。

 足の長い。くも。いいなあ。私の二倍はある。ほんとうにうらやましくなる。

 バスに乗ったのは十分程度で、降りたあたりはわたしの通っていた幼稚園のちかくで(途中で、登園拒否になり幼稚園をやめてしまうのだが!)

懐かしい。

 自宅から、そう離れていないこともあり、何光年ぶりに通った!とかではないんだけど、それこそ、思い悩む時期があったとき(いつも)歩いて、歩きに歩いて、仕事帰りにこのあたり、夕暮れの中、歩いたっけ。

 そのときは、近くにある墓地にも行った。

 墓地の中をあるく、中年の女性ってどうだろう。  まだそのときは、三十代のはじめ、中くらいか。

 懐かしさと、適度な距離感を持ってつき合えるようになるということは、年をとったという事だろう。

 

 降りて坂を下って、公園の横、お城みたいな建築美の分譲マンションや、古い商店は、むかし、母がまだたばこを吸っていた時、お使いに行っていた。マイルドセブン。昔はおおらかだったからな。今、そこはセイコーマートになっているし、ホットシェフもやっている。だから、おにぎりも買えますよ。

 チョコレートみたいな外壁のサンルームのあるマンション。あそこには、友達が暮らしていた。

 小学生一年生頃、その子は皮のズボンをはいていて、ほくろのあるかわいい子だった。お母さんがおしゃれな人だったのだ。

 いろんなものを、通り過ぎて行った。

 時間が有った。約束の時間まで、ありあまる時間がある。ランチもできそうな余裕があるけれど、飲食店はなく、近くの大きな公園へ向かう。

 ボート池があって、野球場があって、川があり、天気のおかげか、子供連れの家族が多い。散歩をしている夫婦が多い。木漏れ日の下、汗ばむほどだった。

 ここ数年にできただろう、公園の施設のフリースペースに入って休憩する。あたたかいコーヒーを一杯100円で購入する。

 動植物関連の本が、自由に読めるようになって、読みたいけどpomeraを開き、記す。

 正面にある窓からは、巨大な滑り台の階段を進む勇者たるこどものすがたや、すべっている途中の子供が、ゴミくずのように小さく見えた。

 芝は光って、空は控えめに、優しく切なげに明るい。

 かえって絵を描こう。写真も、絵も、文章も、わたしはすきなように生きる。また、辛気くさく決意して、家族連れや、母子の姿を盗み見る。

 きっと、何かが変わることが、あるのではないかと思う。

 わたしの世界に、なにか、大きな変化をもたらす何かが起こるだろうと待っている。すると、わーっと、泣いてしまいたくなる。

 家族の成長や、互いに心を、通わせられたときの喜び、小さな頃の写真、今までくれた手紙の言葉、わたしを、憤った目でにらみつける目、傷つけて、傷つけられて過ごしてきた日々、生まれてこなければ良かったといわれた、小さな頃のことや、どうしてわたしは母になってしまった、なりたくてなったのに、どうして母親であることがいきることの障壁となっているんだろうと思うことの、重たさ、情けなさ、今ある現状に満足できないんだろうという堂々巡りに辟易してしまう毎日。

 でも、生きろ生きろ、死ぬな、と思う。小説を書いて、生きてやるんだ。わたしは。

 だから、佐藤泰志も、パヴェーゼも、もう、この世にいない、生きたくても、疲れすぎて、もう、神様、もう、目をつむらせてくださいと眠り続けている人の代わりにわたしが、わたしが、わたしが、書いてやるという気持ち。祈り。

 わたしが、わたしを辿る旅は続く。焼身旅行、わたしは、過去に身を焦がす。


 ボランティア先の建物は、少し奥まった通りにあった。緑が多い、川沿いの場所だった。

 担当者の方はとても親切で、電話口でも親切だったのに、実際にあっても真摯な対応をしてくれて、嬉しかった。

 ほんとうは内部の見学とか説明のオリエンテーションだけだったけれど、急遽、実際にあってみませんか? とお声掛けくださり、実際に入居されている方とお話することになった。

 案内された、ホールに高齢の方がそれぞれの過ごし方で過ごしていた。

 昭和ひとけた台だと、元気そうな女性と、隣には車いすに座った、すこしおとなしげな女性。
向かい合って、テーブルごし対面する。

 一時間ほど、わたしはその二人と話した。会話というか、むこうがどんどん話してくれて、わたしは相づちと、質問のような問いかけをしていたような感じだったのだけど。

 

 席について、五分ほど話してみて、あれ? と思い始める。あれ? 

 何度か同じ話が、繰り返されるのだ。

 あれ? と思っていると、ああ、この二人は認知症なんだとわたしは、はじめて気がついたのだ。生まれて初めて、認知症の方と長い時間会話したのだ。ひと言ふた言話すことはあっても、それ以上はなかった。

 わたしは同じ話と、同じ行為(義歯をはずし、義歯だと教えてくれる)に笑った。
おとなしい方の人の、欠損した歯の話を、数分ごとに繰り返して教えてくれる事に驚き、欠損した歯(前歯)の部分から舌の先っちょを出して笑う女性の仕草に、心から笑った。笑ってるうちに、わからないうちに涙がでそうになる。

 その女性が、母に少しだけ似ていたのだ。
短い髪、白髪、二重のパッチリした瞳、しわの多い顔。

 しばらくして、おとなしい方の女性は、突然、英語で、きらきら星を歌い始めた。小さな声で。でもはっきりと。

 

 もう、ここに来れないかもしれないと思った。

 号泣しそうになったのだ。

 でも、二人に失礼だし、ボランティアしたいですと急に電話してきて、丁寧に説明の時間をとってくれて、実際にやりませんか? と、対応してくれた責任者の方にも申し訳ないし、なにより恥ずかしい。急に泣いたら、おかしい人だ。

 働いている職員の方々は、本当に感じが良すぎて、親切に入居者の方に向き合っているようにわたしの目には映った。いいところに、来れた。嬉しい気持ちが強くあった。

 歯を食いしばって、涙をこっそり拭いた。わたしも、一緒に歌った。

手をひらひらさせて。

「歌詞の意味は英語だから、わかんないんだ」歌い終わって、そう言った。

 わたしは、空の星が綺麗って事ですよねと答えたと思うけれど、そんなの意味なんかなくていいと思った。その後、何度も同じようなやりとりをした。

 わたしは、自分の知っている歌で、お二人が知ってそうな歌を知っているか尋ねる。

「ふるさと」と、「りんごのうた」だ。

 

「どんな歌?」思い出せないようだったので、わたしは、歌った。すると二人が、歌い始めた。

 三人で歌って、わたしの覚えている歌詞が曖昧だったけど、二人はしっかり歌詞を覚えていた。

 責任者の方と最後に、面談をする。

 これから、無理のない範囲でこちらにくる希望があることを約束して、次回は来月にと施設をあとにした。

 帰り道は行きとは違う道を。

 不思議な感覚で、歩く。

 なぜわたしは、こんなに悲しいんだろう、と考える。それとも嬉し過ぎて。人と関わり暖かさや勇気を貰い過ぎて、もて余しているのだろう。それとも、もっとささやかでいいのかも。

 歩きながら、また懐かしい場所をまたいくつも通る。

 むかし、ラブホテルがあった場所。父の運転する車が、雪の坂道で登れなくなり、砂をまいた坂道。ほんの小さい頃の雪の日、宗教の集まりに行くためにバスを待ったバス停。

 もうないもの。戻らないものと。あるものと、何もかも違う空や、自分の体を比較しながら、歩いた。

 熟れたハマナスの実を写真に撮る。
坂を今度も下る。近くに区役所があって、迷ったけれど図書室へ。

 わたしのほかに、誰もいない静かな図書室だった。
じっくり座って読むという雰囲気がまったくない、堅い椅子と、落ち着かない位置にあるテーブル。

「母がしんどい」。過干渉の母親に育てられた田房永子さんの漫画と

「112日間のママ」。

 著者の清水健さんという方は、アナウンサーの方。結婚した奥さんとの間に子供を授かるけれど、やがて奥さんが、癌にむしばまれていることがわかる。

 図書館の、終わりのアナウンスがながれはじめたので、外へ。空が薄く変化している。夕暮れが始まるだろう。


 母に電話する。

外にでているんだったら、ピックアップして欲しいと伝えると、ちょうどでる途中だと言うので、近くの中古屋で古着とか家具とかみて待つことにする。

 服をもっていないし、もうおしゃれに掛けては、布地さえ纏っていればいい! と思うときと、ちょーーーおしゃれしたい、おしゃでお出かけしたい、と思う時期とけっこうランダムでくるのだ。

 ワンピースと、靴と、変形ベストと、柄のシャツを購入して、五千円くらいカードを切る。まあ、いいか。組み合わせも変だしよくわからないけど、見かけに悩んだりしながら、できる範囲でおしゃれを楽しもう。

 会計の途中で、母から連絡。駐車場に向かう。

「ボランティアやることになったんだー。だから、今日急遽体験させてもらうことになって」といろいろ説明する。

 母は、わたしが夜回りのボランティアをやると言ったときも、そこに子供を連れて一緒に行くと言ったときも、あまりいい顔をしなかった。


 ホームレスの人や、生活困窮している人に興味だけで、本当に、ただの興味で、なぜ路上生活をしているのか、お金や、寒さへの対処とか、わたしがそういう観点で携わっていると、本気で思っていたようなのだ。

 そのときは、悔しくて、わかって欲しかったし、説明して言葉を尽くしてもわかってもらえないんだ、理解してもらえないんだなと、寂しい気持ちが、心をささくれ立たせた。


 そんな事を思い出しながら助手席。
ほかの中古屋に机を見に行こうと、母は誘ってくれる。 

 自宅につき、母にお礼を言ってあれこれ話して解散。

家族に今日のボランティアの事や、母に送迎してもらったことを話す。
「会いたくなったんでしょ? ばあちゃんに」と家族に言われ、

「いや、交通不便なところだったから」とわたしは嘘を交えて答えた。


だから、わたしの嘘も含め どうしても、今日の事を日記にしてしまいたかった。

もう、何時間も日記を書いている。夜更かしはしない主義だったけど、今日は仕方ない。今後こういう日が多くなるだろう。

 母に、辺見庸の「月」という作品が映画化される話をしたことも、綴らなければと思ったけど、時間切れ、わたし、書きすぎ、今日、読書ゼロ、また明日。
おやすみなさい。


 これからは、朝方にきりかえなくちゃね。



 旅にでていたみたいな、一日がおわる。

 

 

  

 





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