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ついてるかいな? ついてないかいな?

さくばん、わたしは、退職した同僚と食事した。
仕事帰りのわたしを、ピックアップしてもらい、安上がり長居をコンセプトに店を選定したところ、ガストになったため、赴く。
 職場というものは、話題の宝物庫であるために、とんとんと、話が雪崩のように溢れる予定だったけれど、3月の頭から、わたしは、出勤できないほどではない感冒に罹患しておったり、つまり、半り患状態だったため、いまいち本調子ではなく、鼻づまりによる発生障害や、痰がらみなどがあり、その前の晩、楽しみが高じて、どんな話をしようか考えていた際にシュミレーションした想像よりも>流暢に話すことができずにいたのであった、しかしね、非常に楽しくて、大切な時間を過ごすことができ、日常の職場の風景をスケッチしたような会話であったり、自分自身や同僚の家族の話、人生の岐路の話、そして互いに共有して絆をはぐくんできた金欠に対する怒りなどを、また再確認することができたのである。

猫型の配膳ロボットが、愛らしいのか愛らしくないのか最後までわからない調子で、フロアをぐるぐる回っていた。

感冒による、鼻水増量などで、終始鼻のあたりがむずむずとしていたため、鼻の穴に、なにか不快なものが飛び出していたり、点在していたらどうしよう、という一抹の不安はあったものの、トイレに行ったときに確認する勇気がなく、鏡をちらと見るに終わる。鏡には、もうはや、きっと手入れの関係で取れかけたパーマを腑抜けにぶらさげたわたしが、一人。
もしも、鼻に不愉快な個物がついていたら、「はなくそついているよ」と、同僚は言わないであろうから、この場合、「ついてるかいな?、ついてないかいな?」と、似非の方言を交えて、聞いてみるのがいいと思うけど、そんなんしたら、きっと、路線変更キャラ変更甚だしく、まるで思春期の夏みたいで、どうにも収まり悪いから、なるたけ、わたし、うつむいて、アンニュイな話しぶりに徹していたつもり。
鼻の穴にもぐりこみ、鼻穴をほりたい、うがちたい。
ともかく、鼻つまりの影響で、発声の方がうまくいかなく、肝心な話の時に、いちいち咳払いしていたから、わたしはわたしが気にくわなかった。
こういう自意識のもちかたが、わたしをわたし、たらしめる所以。

ドリンクバーというのは、遊興的で、どのドリンクを飲もうか迷うところに疲れと興奮が珠玉混在、五杯から六杯のみほし、きっと原価にも満たないけれど、同僚は地域を離れて地方へ転居するため、貴重な貴重な時間だったのである。

自宅の近くにおろしていただき、大好きなセイコーマートで牛乳を購う。
わたしにとって、コンビニなどで買い物する行為は、非日常(同僚と仕事帰りに食事するのが非日常ってどんな彩の無い日常!)と日常をつなぐ一種のトリガーなのかもしれやいな、なんて思って、牛乳。ジャンプが開いてたので、表紙が呪術廻戦で、いつもすごいことになっていて、まったく、ついていけてないけど、パラ見。わからないけど、家族がいうには、乙骨さんはとても強靭な部類に入るということだった。
とにかく、アニメにも救われてきたし、もち小説にも、音楽にも。人間にも救われているから、わたしも誰かを救ったりしているのかな、ふと思う。

もっと、肩の力を抜いていいんじゃないのと思う。

家路までの、数百メートル。ザラメ状の雪を踏みながら、春を待つなんて思わず、ただ流れていくな、とも思わず、常に人工河川のようにまっすぐに流れていくだけだ。つまり、わたしは、今立ち上がる気力をなくしかけているのかもしれない。
疲労や、つねに終わりに向かっていく感覚を、手近な生菓子や、食物で補う。
ものすごい大きい、充足を得てみたい。
きっと、わたしにとって、小説を書くことだけで得られる何かを得たい。今は、その感覚はバケモンだ。怪物だ。

ともかく、形に残るものを、どんどん残していくしか方法がない。
三月があと半分。

わたしの小説を、どうか呼吸を止めないでと、切実に思う。おねがい、かみさま、とか、つかいたくないフレーズで思う、でも、おねがい。
かみさま、わたしを、小説家にならせてください。

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