絶対にあきらめるな!!
最近思うこと
諦めるということがいかに無駄であるか
ということ!
諦めるという言葉は、本来悪い意味ではない
日本語で”諦める”は放棄、断念、ギブアップなど
マイナスイメージで使われることが
多いと思いますが
漢和辞典で「諦」を調べると
悪い意味はひとつもありません。
〔つまびらかにする。
いろいろ観察をまとめて、真相をはっきりさせる。まこと〕
さらに仏教語ではsatya(サティア)の訳語として
真実、真理、悟りを意味する素晴らしい言葉
諦の意味は日本語では
「明らか・明らかにする」に近いのです
実際に日本語の「諦める」と「明らか」は
言葉として同源。物事の真実の姿や
ありさまを明らかにすることで
諦められるというニュアンスを
元来含んでいました。
日本語ではいつの間にか
「明らかにする」という大切な土台が
ゴッソリ抜け落ちて、望んでいることを
途中でやめるという意味ばかりで
使われるようになってしまいました
なげかわしいと思います。
仏教では「諦」と「明」の合体した
「あきらめ」こそ、いつでも
どんなことが起こっても、心が苦しまず
おだやかでいられる境地(悟り)に
至るために大切だとします。
私たちが
「苦しい」「つらい」「嫌だ」「つまらない」など
マイナスの感情を抱くのは
ことごとく自分の都合通りにならない時です
こうした状況を仏教で「苦」と言います 。
では、どうすれば自分の都合を“諦め”られるのか。
状況を明らかにする勇気をもつには
現状がなぜつらいのかを分析し、明らかにします
例えば人間関係ですね
本音と建前が違う人が周囲に多くいる
他人に依存したい人が多くべたべたした
関係になってしまうなど
いくつか思いあたる原因があるでしょう。
そこから、ではなぜそうなるのかを
考えてみます
「人は思っていることをそのまま言えば
大変なことになるから
思っていることと言うことが
違うのは仕方がない」
「弱ければ他人に頼ろうとするのは当たり前だ」
などと明らかになりますね
そうすれば
人間関係が面倒なのは仕方がない
人間関係がごちゃごちゃするのは当たり前だと
少しは諦められるのではないでしょうか。
俯瞰する、達観するそんな状況、気持ちに
近いのかも知れません
そこにどーんと腰掛けて
人間関係を楽しめるようになります
これが「明らか」にして「諦める」ということになります
“損得”という言葉を
日常の中で使ってしまう人も、苦が多くなるでしょう
なぜなら、損得で動く人は
得をするためには人も裏切ることがあります
そんな人を信用する人がいないのは当たり前です
損得は経済の用語であって
人生に当てはめても仕方がないのです
このように
物事が明らかになった時のキーワードが
「仕方がない」や「当たり前」と
いう言葉だと思うのです
「あきらめる」ための魔法の言葉だと思っています
中途半端な諦めではなく
現状分析をした上で諦めたのなら
潔いと思います!
この勇気が持てれば実は事態は
好転します!
同じ諦めるなら
ただ諦めるのではなく状況を
明らかにする勇気を持ちたいものです
ここまでできれば
どんな行動をとればいいかがわかるので
ここまで来れれば大チャンスですね!
さあここまで到達しましょう!!
成功は約束されたも同然です!!
楽しみですね!!
では、また
私の志は日本や世界の肉体的、経済的
精神的再生復活
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