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横浜タカシマヤの山形物産展へ、数十年ぶりに食べたくなった「鯉の甘煮(うま煮)」を買いに

横浜駅へは近いので、そごうや高島屋の催事の知らせはよく目にする。物産展の類は混むので行くことはさほど多くはないのだが、昨日は珍しく積極的に行く気になった。

山形の物産展に来たのは初めてだと思う。私は山形の味に殆ど郷里のような懐かしさを抱いているが、自覚したのは近年のこと。
今年は元々3月に山形へ行く予定があったのが、同日朝に発生した東北新幹線のオーバーランにより時間の調整がつかず行けなくなった。その無念が尾を引いていたのだろう。買いたいものがいくつか頭にあった。

会場を二周ほどぐるぐる回り、買ったのはこの四品。

左上から時計回りに山形銘菓の「乃し梅」、鯉の甘煮、山形牛のステーキ&焼肉弁当、青菜漬。せいさい漬は自分で漬けたのがそろそろなくなりそうなので、久しぶりに買ってみた。

過去数年はこの手の催しに行っても、コロナ禍影響でマスク越しの会話すら躊躇されていたのを、今目の前でにこにこと話してくださる各店の方と会話しながら思い出していた。そう、本来これが普通だった。

乃し梅は山形へ行く度買うほど好きだし、物産展と言えば豪華なお弁当もやはり欲しい。せいさい漬は「お店の味」を確かめてみたかった。
ここまでは普段の私が選びそうな感じだが、次だけはちょっと特異。

一見してお分かりだろうか?
筒切りにした鯉の甘煮である。これが山形の郷土料理であることは、全国的にはあまり知られていないのではなかろうか。現にお隣秋田育ちの夫も知らなかった。

卵の間に見えるフィルム状のものは鱗

だが山形県内ではポピュラーで、正月や結婚式等家々の祝い事やおもてなしには欠かせず、それ以外でもたびたび登場する。デパート(そういえば山形にデパートはもうない)ではもちろん、スーパーの総菜売り場でも見かけたりする。

私は主に子供の頃、山形の叔母が手ずから煮てたまに送ってくれるのを食べていた。川魚特有の泥臭さも、それを目立たなくするためのこってり甘い味付けも、特段好きでもないが嫌いでもなかった。女性の体には特に良いからと言い聞かせられ、小骨の多さに手を焼きつつお付き合いのように食べていたが、最後に食べたのは一体いつだっただろう?おそらく結婚前だから、ゆうに二十年は昔になる。

それが、今回の催事の知らせを見て何故だか急に食べたくなった。サイトを見ると、米沢の老舗が出店するようだ。これは絶対に美味しい。行かねば…!

催事場で売り場を見つけると、汁漏れの恐れがあるため他を買い揃えた上で最後に向かった。当日煮たものと真空パックがあり、パックは冷凍すれば数ヶ月もつとのこと。迷ったが、折角なのでできたてをいただこうと「ひと切れください」とバットに入った甘煮を指差した。

父が山形出身なので子供の頃よく食べていて、久しぶりに食べたくなったと伝えると、売り場の女性は一気に相好を崩した。
「そう、それならこの辺がいいかな?子っこ(卵)があるところがいい?」と聞きながら選び、煮汁もたっぷりかけてくれる。

私のように山形に何らかの縁があり、食べたことのある客が多いようだが、子供の頃は嫌いだったのに大人になって食べられることに気付いた方も時折買いに来るそうで、わかるなと思う。郷土料理は概ね地味だし、子供の舌に美味しく感じられるとも限らない。良さに気付くのは大人になって更にしばらく後の、落ち着いた年代になってからだ。
山形の郷土料理は山菜や川魚等比較的癖の強い食材が多用され、私は食べられないものも多かった。食用菊花は父が好きで実家の畑で育てていたくらいだが今でも食べられない。匂いが駄目なんですよね…

ともあれ、そうして選んでもらい、持ち帰った鯉が上の写真である。
帰って早速いただいた。記憶通りものすごく甘く、川魚のくせもあった、だがそれが美味しかった。骨も焦らず除けば何の問題もない。ゆっくり丁寧に、時間をかけて美味しくいただいた。満足した。

更年期と呼ばれる年代にさしかかり数年が過ぎた。直近1~2年で不眠や過眠が出、白髪もここ数ヶ月急速に増え続けている。先月試した手当が今月はもう間に合わない、それほどの速度で身体が内側から変わって行く。
そうした変化に対応するために、久々に煮鯉が食べたくなったのかも知れない。からだに効く種類の御馳走である。そのありがたみを体感する年頃になった。

近年そうして子供の頃に山形の祖母や叔母が送ってくれた昔ながらの郷土料理が食べたくなり、つくってみようと思うことが増えた。
物産展もよいけれど、やはり山形行きたいなあ。なんとか予定を組みたいものだ。

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