2008年インド旅 バラナシ編
バラナシ 2月9日〜2月18日
こんにちわ。
くそ長い詰まらんオナニー日記にお付き合いいただき誠にありがとうございます。
今回も、くそ長いこと間違いなし。あまりにも長いからメモ帳で作成。コピー&ペースト。さて、僕はなにを目指しているのでしょう?
それは、秘密です。はいうんこ
先日、神奈川の上大岡ってところで飲みました。
何とかって、ジャマイカテイストの小洒落たBARに行きました。
素敵なおねーさんがカウンターで一人で飲んでいました。
テーブルに着いた僕をずっと見ていました。きっと僕の気のせいですが。
神奈川はかっこいいとこだなって思いました。
ジュンちゃんって35歳のおにーさんと友達になりました。ジュンちゃんはお酒をいっぱい飲んでいたから、きっと翌日には僕たちの事なんて忘れてると思うけどね。
ジュンちゃんは熱い男でした。僕たちは、ジュンちゃんとシェイクハンドとハグをいっぱいしました。
トリマーの女の子と、ジュンちゃんは友達の友達の知り合いだって言ってたけど、ジュンちゃんは彼女の事が好きそうでした。
口では唯の友達って言ってたけど。可愛らしい彼女は僕よりたぶん年上。僕も可愛らしいって思いました。
ジュンちゃんはお酒を飲みすぎで顔が真っ白になっていたから、送っていくって彼女が言ってた。
ジュンちゃんは、僕たちに「騒いですいません」って言いながら、彼女と帰っていきました。
あー、ぜんぜん関係ないですね。まあ、面白かったんですよ。横浜ってそうなのかなって思いました。
僕も、毎晩飲んで飲んで、いっぱい飲んで。あー喉いてーちんこ
2月9日
起きたら、列車の中だった。ああ、当たり前か。時間は朝6時。下段ベットのインド人爺が起きたから僕もつられて起きた。
インド人は馬鹿なのかわからないが、くそ寒い列車で窓を開けているやつがいた。
僕は薄いブランケット1枚しか持っていなかったので、寒さのあまり何度か夜中に目覚めた。
インド人ファットマンのいびきも五月蝿くて、それで2回ほど起きた。
ほかのインド人も流石にいびきが五月蠅いらしく車掌に注意させてた。あのインド人がだ!
朝6時に起きた。と、いうか起こされた。起きざを得ない状況だった。僕は、窓際に座り外を眺めた。たぶん僕の席は通路側だ。そんな事は誰も気にしない。
車窓は暗い。見ていてもつまらないが、僕はなんとなく見ていた。ほかにする事もなかったから。
どっかの窓が開いている車内は、風が吹き寒かった。
僕は、ブランケットに包まって車窓をなんとなく眺めていたら、いつの間にか眠っていた。
起きると、車窓は田畑が広がる平地だった。線路脇には1メートルほどの円周の小山が無限にあった。よくわからないが、お墓かなって思った。違うかもしれないが。
朝の、車窓からはインド人のウンコタイムが良く似合う。
車窓からは、ケツ丸出しの無数のインド人。木の歯ブラシで歯を磨くインド人。河で体を洗うインド人。
決まって、インド人は列車に向かってケツを向けていた。たぶん、インド人の羞恥心はウンコ中の顔を見られるより、ケツを見られたほうが良いって事なんじゃないかなって妄想してみた。
やはりインドの列車は遅れる。これがインドだろう。時々、日本が異常な国のように思えた。たぶん、脳がスパイシーになってたからだろ?
駅にバラナシって書いてあった。どうやら、終点らしい。ファットマンのインド人も降車する。あなたのお陰で僕は寝不足。
僕は、ツーリストの波に流されバラナシに降り立った。
ヒンドゥー教の聖地。ガンジス河の流れる場所。ヒンドゥー教徒が、神聖視する聖地バラナシ。
僕の、今回の旅のメイン。
僕は、聖地バラナシでガンガー(ガンジス河の事。インド人はガンガーって言う。僕も、それに習ってガンガーと言うようになった。)で、ブルーハーツを聞いてみたかった。
聖なる河、ガンガー。
僕は、聖なる河ガンガーが流れているところってことで、気が緩んでいたらしい。寝不足だって自分に言い訳をしながら。
早速、偽ガイドか何か分からないが、僕に話しかけるインド人。「日本人ですか」「ああ、そうだよ」「泊まるとことか決まってるの?」
あー、面倒だ。この手の奴の言いなりに、若しくは紹介でホテルなどを決めることを、僕は拒否しようって決めていた。
僕の旅じゃなくなって、こいつらの金儲けの道具にしかならないような気がしたから。くそ。ぼられるってのも、もちろんあるし一番の理由は面倒だからだ。
この時の僕は、違っていた。なぜか従順にオートリクシャーまで付いて行ってしまった。シートに座ってから気がついた。
「ああ、僕は聖地だからって気が緩んでいた」
僕は、彼の言葉を遮って自分の意思で歩き出した。追って来る彼。日本人の書いたであろう手紙を僕に見せる彼。
紙には、「彼はいい奴だから信用したほうが良いよ。」「彼は、インドで一番のジェントルマン。」
くだらない内容が羅列していた。くそ
そんなもん、お前らの主観で見たらやろ。あほか。俺の、直感じゃお前は違うねん。って言ってやりたかったが、僕の英語力じゃね。くそ。
歩いていると、僕のレンタルした携帯がなる。
レンタルきえたい。
初めての事に動揺しながら通話ボタンを押す僕。
オカンからだった。一応、僕の安否の確認だったようだ。これは良い。これは、嬉しい事だ。しかし、こっからが不味い。
その日の、僕の実家では法事を行っていた。つまり、親族一同が集まっているって事だ。くそ
僕は、僕が支払うことになる、くそ高い海外通話料を惜しみなく払い、数人の親族と親父との不毛な会話を繰り広げた。
横に偽ガイドを待たせて、聖地バナラシの駅前でだ。なんだかよく分からな状態にくそ。
偽ガイドは、しつこく僕に話しかける。「何を警戒してるんだ。こんなにお前と同じ国の人間から推薦状を書いてもらってる僕を、なぜ疑うんだ?」みたいな事をたぶん言っていた気がする。
あほか。
なんか、面倒になって来たので取り合えずホテルだけ見に行くことにした。地球の歩き方に書いてあるホテルに。
一応、僕の候補だったホテル。目的のメインガート(ガートとは、階段状になって河水に没している堤の事と、ガイドブックに書いてあった)からは、相当上流に位置する。
リクシャーの中でも、日本人からの手紙を見せられる。適当に流し読みして内容も見ず彼に返した。あーめんどくせー。余計にあやしいっちゅーねん
僕の、指定したホテルに一応着いた。その、ホテルの部屋はガンガーを一望できるが500ルピー。ルピーってゼルダの伝説のお金の単位と一緒だよね。あれも、相当安いって事だね
一泊500ルピーも払えるわけ無く、もっと安い部屋を要求したが満室との事。くそ
ホテルを出ると、彼が待っていた。な、高いだろこのホテル。隣にもっと安い部屋があるから見るだけ見てみろよって。
彼と行ったホテルは、1泊150ルピー。予算内。ヤモリが居たが。交渉も面倒になったので、しばらくの拠点としてこのホテルに決めた。結果的に、彼の言いなりになっている事で、何かに負けた気がしたが。
後で考えると、コストパフォーマンスは良かった。
僕は、荷物をほどき窓を明けた。今日の空は曇っていた。晴れているのに曇っている。インドの空は、東京のそれより汚い。
砂埃と排気ガスと変な物質が飛んでいる空は、晴れた日でもうす雲。乾季だからか雲はほとんど見当たらない。霧のロンドン。
僕は、ロンドンに行った事は無いが、この空はイギリスと似ているんじゃないかって。だから、植民地・・・・あー嘘うそ。もうねー、うんこちゃん
屋上に行ってみた。ガンガーが一望できた。僕はスケジュールを考えながらガンガーを眺めた。風が強い屋上。
従業員の青年がやってきた。彼は、屋上から街を眺めていた。僕は、ここがどこか分からなかったから、彼に近くに見えるガートの名前を聞いた。
「ハリスチャンドラガート。火葬場」だと彼は言葉少なく答えた。僕の、ガイドブックを指差しながら。
ペプシを持って。ガートに行ってみた。ホテルにたむろしている青年が着いてきた。たぶんガイド。僕は、お金を払う気がまったく無かったので、ガートにすぐに腰を下ろした。
彼も、隣に座った。彼は、勝手にいろいろしゃべった。ほかのインド人と同じように勝手にしゃべり続けた。ガンガーは18時30分がもっとも盛り上がるとか、なんとか。
途中で、欧米人ツーリストにちょっかいを出しながら。
南下したせいだろう。日差しが温かかった。日本でたとえるなら、4月下旬の気候といったところか。花粉が飛んでいないのと、牛が居るのを除いて日本の春を連想させる気候。
おかげで僕は、彼の話しを聞きながら居眠りをしていた。彼に促されて、ホテルのベッドで眠る事にした。
あのブーチャンインド人の鼾と、くそ寒い列車内でほとんど寝てない僕は、ベッドに横になった。
気がついたら、夕方だった。うん、寝すぎだ。
お腹がすいたのと喉の渇きを潤す為、チャイ屋を探した。手動の小さな移動式の観覧車に群がる少年少女。たぶん60人ぐらい居た。
その横に顔の怖いチャイ屋の主人が居た。手招きされるままに僕は、汚いベンチに腰かけチャイとジャガイモの揚げたやつを食べた。
顔は怖いが、チャイは旨かった。僕は、チャイを2杯お替りして、揚げたやつも2個食べた。
隣のチャパティーのヨーグルト付けみたいなやつも食べた。この、少年店主にやたら写真を撮らされた。
地理を把握するために、ゴードウリヤーってメインストリートまで歩く事にした。
気づけば時間は6時30分。少年が言ってた時間だ。僕は、足早にガンガーに向かった。
客引きだろう(後で完全なる嘘つきだって事が分かった客引き)日本語が割りと堪能な青年。確か、17歳。
「店は後で見に来れば良いから、僕はガイドじゃ無くてお土産屋だからガイド料は要らない。お店だけ見てくれれば良いから、ガイドさせてくれ」って。
まあ、良いかなって思った。店には行こう。彼が言うには、「僕のお兄さんは日本の映画に出た事がある。後で写真と漫画も見せてあげるって。」
僕はちょっと気になった。
彼に案内されるまま、付いていった。
船に乗ることにした。僕は、実家からの電話で今日が法事の日だって聞いたから、灯篭を2個買って船に乗った。
船から見る夕方のお祈りには、多くのツーリストが蟻んこみたいに集っていた。なぜか分からないが、やれやれって思った。
彼に言われるがまま、僕は蝋燭に火を付けて灯篭を船からガンガーの水面に流し、お祈りをした。祖母と叔母の事を思いながら。
ヒンドゥー教の聖地だから、祖母と叔母になんでやねんって突っ込まれてるかも知れないが、お祈りもした。
船は、ガンガーに2箇所ある内の、大きいほうの火葬場に向かった。火葬場からは煙が5本昇っていた。
写真撮るかって聞かれたが、僕は断った。なんか、人の死を見世物にしているみたいで嫌だった。
僕は、煙を見ていたらなぜか涙が出てきた。いかん、いかんぜよ。なんか、いかんぜよ。また、感傷的になってる。くそ
今日が、法事の日とか、灯篭を流した事でやたら感傷的になってる僕。くそ
僕は、彼に「もう行こう」といった。ガンガーの水面には、蝋燭の炎が点々と見えた。
僕は、彼の店に行った。店には、日本人2人が座っていた女性と大学3年生のイシダ君。この店は日本人のたまり場になっていた。
僕は、店主が映画に出演したときの写真と原作の漫画を見ながらイシダ君と喋った。深夜特急という大沢たかお主演の映画に出演したっていう店主。
僕とイシダ君は気が合うような気がした。しばらく話して、店主お勧めのレストランに夕飯を食べるためイシダ君と向かった。
イシダ君は2人でインドに来ていて、友達が風邪で寝込んでいるって言ってた。僕はイシダ君の友達の姿は見る事が無かった。お大事にー
僕とイシダ君が入ったレストランには、日本人が7人座っていた。僕とイシダ君も同じテーブルの端っこに座った。
うん。不味い。これ、面倒。うん、やれやれ。彼らは、フレンドゲストハウスのドミトリーで偶然一緒になったか、先出のみやげ物屋で知り合った、一人旅の集まりだそうだ。
やれやれ、僕は初対面の何とか君から勧められたタンドリーチキンと、高めのターリーを食べた。量の多さと辛さにうんざりしながら食べた。
僕の隣の大学4年生は、インド人のそれよりお喋りだった。
「明日の朝、ガンガーの日の出を見る為、みんなで船に乗るんだけれど来ないか?」って誘われた。僕と、イシダ君は取り合えずOKした。
イシダ君は、明朝チェックアウトだったから、一寸めんどくさそうにOKって言ってた。
食後に土産物屋に戻り、旨いチャイ屋に店主に案内してもらった日本人ご一行様。くそ
そのチャイ屋は確かに旨かった。濃いチャイ。確かに旨い。チャイを飲んでいたら停電になった。インドでは、よくある。日常的にある。
インド人が言うには、みんな電気料金を払ってないから、電力会社が止めてるって言ってた。嘘つきインド人が言う事だから、2ちゃんねるより信憑性が低い情報だが。
僕と、よく喋る大学生とで星を眺めてたら、流れ星が見えた。僕たちは「流れ星だ」って叫んだ。ほかの日本人は嘘だと、取り合いもしない。
僕と、よく喋る大学生は確かに流れ星を見た。たぶん。
夜も遅くなったから、帰る事にした。その前に、その集団の中の女の子が今日がインドラストナイトだってんで。お土産やで軽く打ち上げをするってんで付いていった。ちょっとかわいい子だった。
僕たちは、くだらない会話をした。年齢当てっことかした。僕は、ことごとく命中した。インドに来て直感が鋭くなった気がする。うんこ
彼女が帽子を被った時、僕の脳内のシナプスが繋がった。エンドルフィンが生成された。
僕たちは、成田で逢った事がある。いや、正しくは僕が、成田で見かけた。同じ飛行機でニューデリーで入国した。
僕は、僕の記憶が正しい事を証明するために飛行機の時間や、便番号を言い合った。間違いは無かった。
また、シンクロニシィティーか?
時間は22時。危なくなるから、そろそろホテルに帰ったほうが良いって、店主が言った。
僕たちは、帰った。イシダ君とよく喋る大学生はホテルの方向が一緒だったから、歩いて帰った。
彼らは、就職の話で盛り上がっていた。僕は、適当に相槌を打ちながら歩いた。
ホテルに帰り、腕立て伏せと腹筋をしてシャワーを浴びた。このホテルは熱湯が出る。くそ。火傷するとこだったぜ。くそ
僕は、この街が気に入った。日程の半分近くをこの街で過ごすと、この時点で決めた。
体調も戻ってきた。インドが楽しくなってきた。ビバインド。
この日の夜は、変な夢を見た。なんの夢か忘れたが夢を見た。たぶん日本の女の子の夢だ。
2月10日
翌朝は、約束通りガンガーの日の出を、船に乗って見る為に6時半に起きた。
身だしなみを適当に行い、ギリギリ間に合うであろう時間に部屋を出た。
ホテルの門が閉まっていた。ガンガー沿いのホテルは多分どこも早朝には鍵が閉まっている。多分夜は危ないからだろうな。
とりあえず開く気配はない。ガシャガシャやっていたら、奥の部屋から支配人らしき男が出てきて、寝起きの気だるそうな感じで鍵を開けた。ああ、ここはインド。忘れていた
僕は、待ち合わせの時間に待ち合わせの場所へ行った。誰もいなかった。やれやれ
しばらくして、。石田君がやってきた。今日は、誰も来ないかもしれないなって、僕たちは早朝のガンガーで途方に暮れてみた。
15分位してとりあえずみんな集まった。ああ、ここはインドだ!ぼくがインドって事を忘れていただけなんだ。くそ
朝の、ガンガーはやたら寒かった。吐く息が白い。僕たちは船に乗って、ガンガーからガートを眺めた。太陽が暖かかった。
船には、15人の日本人。日本のよくある感じの会話が繰り広げられている船は、紛れもなく日本だった。
1時間半ほど船に乗って、食事を取るってんでみんなで移動した。
途中で面倒になったのでワザとはぐれた。まあいい。これで良い。
僕は、昨日夜に行った安食堂に行った。コック長らしきインド人が僕の事を覚えていた。「また来たな日本人」みたいな事を言った。
僕は、一番安いターリーを注文した。地球の歩き方を見ながら、ターリーを食べた。やっぱり辛い。しかし安い。
デリーとアーグラーでお金を使いすぎた僕は、ここから節約生活に入ることにした。
食事後、昨日約束したお土産屋の青年のところへ行くことにした。
お土産屋はさっきの船に乗った日本人がたくさん居た。僕は、ちょっと気まずかったが、「ごめんね」って言って座った。
しばらく下らない会話を繰り広げて、僕と青年は散歩に出かけた。僕と、青年は船に乗ってガンガーの向こう岸に行くことにした。
僕のリクエスト、沐浴をする為に。
100ルピー支払い、僕と青年と船頭は向こう岸に行った。僕は、人生初の沐浴をした。寒い。だだ寒い。寒すぎて笑った。笑った。
僕は、青年と船頭の言う通り動いた。ジャンプした。岸から走ってガンガーに入った。船に戻ったら寒さで鳥肌が立っていた。
ヒンドゥー教徒ならこれで今までの罪が洗い流され、人生最高の洗礼を受けた事になるんだろうけど、僕はピカピカの日本人。
沐浴をしたことによって得られるものは、体が汚れる。風邪をひく。
僕は、明日からの体調の変化がちょびっと心配だった。結果、案の定風邪をひいた。
あーこっからだ。くい。くそ。インド最大のミス。くそ。やれやれ。ふぁっくふぁっく。もーもーわわわわわわわ
僕たちは、街に戻り青年の話によると、サイババの弟子の偉いお坊さんが、昨日からやって来ていて明日には帰るから見に行かないかって。
僕は何の疑いもせず、まんまと付いていった。くそ
案内されたところは、入り組んだ路地にある小さな部屋。
中に入ると、ナイキのニット帽をかぶった、オレンジ色の袈裟を着た髭が似合わない血色のいいふくよかな中年男性が座っていた。
彼は英語しか話さないからってんで、青年が通訳みたいな感じになっていた。
この、部屋に来る前に青年がこのお坊さんはチャリテーの一環で占いをやっているって言ってた。
恵まれない子供たちの為に、自分の取り分は1ルピーで後は全部寄付するっていってた。
なんか、それ以外にも良いこと言ってた。くそ、それは全て前フリだったくそ。
「座りなさい」とお坊さん。僕は、座った。お坊さんの正面に。
「もっと、近くに座りなさい」と、お坊さん。僕は、もっと近くに座った。
「私は、未来と手相を見ることが出来る。お前は、何を知りたい?」僕は、「未来」って答えた。
お坊さんは、紙を取り出して何かを書き出した。手相750ルピー。未来1500ルピー。ファック。
未来を見るのに、日本円で約4500円かかるって事だ。ファックファック。まじふぁっくあーうんこ
やばいだまされてる。きっとどんなアホデモソウオモウジョウキョウ。クソ。
「さあ、日本人。豊かな国からきた日本人。恵まれない人の為に、いっぱいお金を寄付してくれ。さあ、豊かな国からきた日本人。私の取り分は1ルピーでいいんだ」
くそ。くそ。くそ。くそ。くそ。
僕の、脳みそはまるでマーブルチョコのようにグルグル回り、意識は混沌としてきた。くそ、こりゃ騙されてるんだ。くそ。俺しっかりしろ。おれ
完全に騙されてる、日本人だったら中指立てて、死ねーって叫びながらここを出て行くんだ。さあ、今すぐ出るんだ。ああわわわ
だけどこの、日本人ってところが非常に不味い。非常に不味い。無宗教の日本人。だけど神様はいるんじゃないかって、どっかで思ってる日本人。
うそついたら地獄に落ちるって思う日本人。お坊さんにお金を値切ったらこの先幸運がなくなるんじゃないかって思う日本人。
お坊さんは、偉い人だ。聖職者だ。だから、うそなんか付かないって思う日本人。
不味い麻酔不味いくそ不味い。たぶん98%は偽者なんだ。98%ってところも不味い。もし2%の確率で本物のサイババの弟子だったら。不味いって。これくそ。
日本人。だから、ターゲットにされるんだ。くそ。ああ、僕は何を言ってるんだっけ。ああ、何してるんだ。あわわワカラなくなってきた
渋ってる僕を見かねて、お坊さんは50ルピーデイスカウントしてきた。ああ、ディスカウントするこいつは99%偽者だ。くそ、1%残ってるじゃないか。くそ
日本人は、お坊さんとか、神様とか、恵まれない人とかには弱い。くそくそ。そんな、隙間をついてくるインド人あんたはわわあわわわ
おみやげ物屋の青年も、「お金持ちの豊かな国からやってきた日本人。さあ、人助けをするんだ。チャリテーをするんだ。さあさあさあさあ。」
15分ほど経ってもまったくもって渋る僕に、お坊さんはどうやらあきらめたらしい。「わかった。日本人。嫌なら仕方がない。最後にお祈りだけさせてくれ」
僕は、彼らの手中に落ちた。この瞬間。
変な羽で頭と肩を叩かれた。なにか呪文を唱えながら。
「さあ、お祈りをしたからお布施をするんだ。お前の気持ちでいいから」くそ。ふぁっく。
僕は、200ルピー彼に差し出すと「いや日本人、最低500ルピーからだ」ファック。
たぶん僕はこの時、脳みそがグニャグニャしてたんだと思う。日本円で1500円。たかが1500円これで恵まれない人が助かるんならって。
汚い、お賽銭箱みたいな入れ物に僕は500ルピー紙幣を捻り込んだ。
「OK。さあこっちに来て座りなさい日本人。最後に、右手を貸しておくれ」
僕は、右手を彼に差し出した。僕の、右手にボールペンで何かを書き込むお坊さん。
「日本人。お前は35歳で結婚して、子供は2人だ。結婚相手は日本人以外のアメリカ人、イギリス人、フランス人、イタリア人の外国人だ。お前はお金には恵まれないが、お前の心は豊かになるだろう」
確か、こんなことを言ってた。時計をはずした右腕にお守りと証するオレンジ色の糸を巻かれた。「あなたに幸運を」
「さあ、日本人手相を見たから、さらに700ルピー支払うんだ。。。。。。」
僕の、脳内で何かはじける音が聞こえた。ああ、これか弾ける音ってと、僕はなぜかそう思った。
やっぱり詐欺師か。ああ、まあいい僕の完全なるミスでこういう状況になったのは間違いない。ぼくのミスだ。
わかった。「トータルで手相分の700ルピーは支払う。さっきの、お布施とあわせて700ルピーだ。だから、あと200ルピーしか払わん。」
僕は、英語でそう伝えたかったが多分伝わっていない。お土産屋の青年も、「やってもらった物にはお金を払うべきなんだ。」と、もっともなことを日本語で言い出した。
「ああ、日本人なめんなよ。くそインド人」ってはっきり日本語で言った。彼の目をしっかり見ながら。
彼は、「なんだ日本人金持ってないのか。ATMでも銀行でもキャッシュカードでもつかっておろして来い。」みたいな言葉でまくし立てる。
僕は、微動だにせず彼の目を見ていた。彼は、お土産屋の青年に助けを求めた。青年も、日本語でもっともらしい事を言ってた。
僕は、彼の目から目を離さなかった。「ジャパンマネー舐めんじゃねーぞ。くそインド人」って言いながら、目を離さなかった。
くそインド人。2000円だろ。くそインド人。飲みに行ったって2000円じゃ糞ほどしかビール飲めんのだよ。くそインド人。
そんな端金なら、日本人なら誰だって払う。ちょっと追い込みかけりゃ誰だって払うって?あほか糞インド人。
そんなやり取りがしばらく続き、どうやら彼は諦めたらしい。「わかった、700ルピーでいい。それで終わりだ」
彼は、出て行く僕を見ながら「ナマステ」と言った。僕も「ナマステ」と微笑んだ。最後の僕の仕返しだった。屁のツッパリにもなりゃしない仕返し。
僕は、青年と別れてガンガーを眺めた。自分の愚かさに後悔しながら、たそがれた。ダシャーシュワメイドガートでたそがれた。
ガンガーは今日もゆっくり流れていた。何も変わらず流れていた。日差しはチリチリ僕の肌を焼いていた。
あー。やってしまった。僕の脳は後悔となんか変な感情が混ざり合ってチョコマーブルみたいになっていた。
日本人グループの中にいた、大学4年のフジタさんがやってきた。僕たちは話した。インド人の嘘つきについて。
僕は、今起きた事を彼に話した。彼は、デリーでツーリストオフィスを連れ回された事を話した。
彼は、地球の歩き方をまったく読まないでインドに来た。デリーでツーリストオフィスに連れ込まれ、朝4時まで軟禁状態にされたらしい。
僕たちが、互いの騙され話をしていると、僕の日本語が書かれたTシャツを触ってくるインド人の子供。この子は多分2歳ぐらい。
日本語が珍しかったのか。僕のTシャツを触りまくる。僕は彼を抱きかかえた。フジタさんと僕は、彼を抱いて互いの写真を撮った。
皆さん、インドは好い所です。たそがれていると、日本人が話しかけてきます。
インド人の子供は、人懐っこく、いい顔で笑いすぐに友達になれます。
お金が絡まない関係なら、大人とだって笑いがたえない関係で話せます。
時間はゆっくり流れ、しかしあっという間に時はすぎていきます。
動物と人間が共存していて、細かいことには気にしない彼らを見習えば、ストレスとは無縁の生活が出来ます。
嘘つきと、詐欺師と、しつこいリクシャーと、しつこい客引きを全員、東京都指定の半透明のビニール袋に詰め込んでガンガーに流せばきっと、インドは良い国になります。
僕は、火葬場を遠くから眺めた。いつも火葬場を見ると涙が出てくる。なぜだかわからないが。
この日も、3本の煙が立ち上っていた。
インドは変な国だなって思った。火葬されている人を見世物にお金を稼ぐ爺。
火葬簿の横で曲芸を披露して、観光客相手にお金を稼ぐ小さな曲芸士。
牛は神様だが、人々は棒で牛の尻を殴り、水牛は不浄な生き物。
牛同士も喧嘩して、ガチョウも喧嘩する。
生活のために嘘をついてお金を儲け、ガンガーに沐浴して罪をチャラにする。
インド人が日本にきたら、きっと彼らも日本って国は相当変な国だって思うだろうな。って妄想してみた。
きっと、お互いのカルチャーが違いすぎるだけなんだ。
ただ、インドの子供たちはもっそい良い顔で笑う。
ああ、大人もか。みんな、大きな声で喋るし、何より元気だ。
きっと、こういった伸びしろのある国が、これからはグングン伸びていく気がした。
日本は豊かな国だ。便利で暮らしやすい。何より、うそつきや詐欺師が少ない。だけど、僕たちの国の子供の顔は真っ白で、いつも疲れている。
大人たちは、朝の満員電車に乗ってアイロンでパリッとしたスーツを着て、眠そうな顔をしながら出勤している。
夕方の電車には、疲れた顔の人と、クタクタのスーツ。
どっちが良いかなんて僕にはわからない。お互いの国に良い部分が、大いにあると思う。
僕は、インドの子供が好きだ。これからの旅で、もっと見習うことにしよう。もっと、遊ぼうと思った。
2月11日
翌朝は、昼過ぎに起きた。
風邪をひいて軽くダウンしていたからだ。
このころの僕は、ようやく旅慣れてきた感じだ。顔つきもインド人らしく荒れてきた。
ビタミン不足かなって思ってたけど、汚れていただけだったって、ムンバイで気がついた。
今日は、この旅の最大の難関と位置付けていたリコンファーム。
つまり航空券の予約確認。
それと、列車のウェイティングチケットにうんざりしたので、この旅のトレインチケットを全て取得する。
朝食に、顔の怖いインド人チャイ屋で朝食。
ガイドブックを片手に、チャイを飲んでいたら、たぶんカナダ人女性とかなのかな、隣に座ってきて、僕のガイドブックを見せてほしいと。
僕は、彼女にガイドブックを渡した。旅って、こういう部分が面白かったりする。
彼女は、ガイドブックの写真を見ながら笑ってた。僕は、そんな彼女を見ながらチャイを飲んだ。
英語喋れないが何とか身振り手振りでやり取り。
彼女と別れ、駅を目指してリクシャーに乗った。駅について気がついた。時刻表忘れた。ファック
列車のチケットは後回しにして、エアインディアのオフィスまで歩いた。30分ぐらい歩いた。インドでは、ホントよく歩いた。
近くまで来たことは分かったのだが、オフィスが見当たらない。キョロキョロしていたらインド人少年が声をかけてきた。
僕は、「エアインディアのオフィスを探しているんだよ」と、彼に伝えると、彼は手招きした。
彼の指差した汚い雑居ビルには、確かにエアインディアの看板が出ていた。僕は、彼についていった。
雑居ビルの階段を3階まで登り、彼に指差されたオフィスにはISPの文字が。ファック。ファック。
僕は、お前たちの事はこれっぽっちも信用しないんだよ。
周りを見回すと、一番奥のオフィスにエアインディアの看板があった。ISPってのは、たぶん旅行代理店。ファック。
少年に向かって「あほか」って、日本語で呟いた。
僕は、エアインディアのオフィスのドアを開けた。
中には、インド人女性が2人。パソコンの前に座ってキーボードを叩いていた。
2つの椅子にはインド人男性が2人座って何かを女性と話していた。ドアの横には、インド人男性が、たぶんセキュリテーの人だろう、が座っていた。
僕は、3人がけのソファーに座りチケットを取り出して、チケットとオフィスの中をしばらく眺めた。
しばらくするとインド人女性が、僕に「何用ですか?」と、声をかけた。僕は、「リコンファームお願いします」と、言った。
パスポートと日時の確認をして、それはマクドナルドでハンバーガーセットを買うより簡単に終わった。
ちょっと、うれしかった。
2月12日
この日は、ホテルのチェックアウト日。
チェックアウト後、フロントマンから次の目的地「ブッタ・ガヤ」で日本人に渡してくれって、ホテルの名刺を渡された。
このホテル、あの客引きに連れられてきた割には、コストパフォーマンスの良いホテルだったと、後で気がついた。
バックパックを背負い、Internet Cafeが開くまでの暫くの時間、ガンガーで沐浴する人々を眺めた。
僕は、一人でボーっとしたかったが、やたら話しかけてくるインド人。あーここは、インド。そう、インド。
時間になったので、バックパックを背負いInternet Cafeに入った。四苦八苦しながら、地球の歩き方を見ながら、何とかタイムテーブルを開いた。
列車番号、列車名、到着時間、料金、空席情報、全ての情報を、これから移動する区間全て入手した。完璧に。
どうやらまた1日、列車の都合でバラナシに居る日が多くなった。それは、それで素敵なことだった。
ホテルにチェックインするために、バックパックを担いで歩いた。インドでは、バックパックと地球の歩き方を手にしているだけで、旅行者は客引きの格好の餌食に変貌する。
この日の客引きは、この旅一番の強者だった。たぶん、ヘロインのやりすぎで頭がお菓子の奴だと思う。
ぼくは、ガイドブック片手に、シバゲストハウスを目指して歩いた。
客引きは、「シバ?あーあんな糞ホテルに泊まるなんて気がおかしいよ。俺の、知ってる最高に安くて、最高に良いホテルに泊ろう。さあ、行こう日本人。シバは、悪人しか居ないホテルだ。行くのはやめろよ。」
僕は、完全に無視して歩き続けた。
「おい。そっちは道が違うぞ日本人。さあ、こっちだ、こっちだ」
僕は、完全に取り合わなかった。
「OK。分かった。シバに案内しよう。ついて来い日本人」噛みタバコで赤くなった歯を見せながら彼は喋った。糞
僕は、シバゲストハウスを通過してガンガーに向かった。
「ヘイ日本人。そっちはガンガーだ。気がおかしいのか?シバは此処だ。さあ、チェックインするんだ。日本人」
後で聞いた話だが、客引きは購入金額の25%をキックバックされるシステムらしい。客は、キックバック代を上乗せされた金額で購入させられるシステム。
インド人が言ってた話だから、嘘かも知れないが。
僕は、こいつの為にホテル代が高くなるのが無性にイラついた。
僕は、シカトしてガンガーを眺めた。このとき、たまたま近くで本を読んでいた日本人と、コルカタで再会するのだが、それはまたずっと後の話。
ヒートアップする、客引き。赤い歯をむき出しにあれこれ喋る。
あーめんどくせー「ファック。シャラップ・まじ黙れファック」僕は、中指を立てて彼に突き出した。
「なぜ、ファック?意味が分からん。さあ、ホテルに行こう」
僕は、中指を立てたまま。移動した。付いて来る客引き。僕は、立ちふさがる彼を押しのけた。それが、気に障ったらしい。
「日本人。此処は俺の国だ。お前の国じゃない。ガンガーもホテルもガートも道も俺の国だ。さあ、今すぐ出て行け。
マリファナやりすぎで頭がイカレタ日本人。さあさあ。今すぐだ」
僕は英語と日本語交じりで、彼を汚く罵った。
「イカレタ日本人。ハシシとチョコとポンプとシャブやって、この高台から落ちて頭砕けてガンガーに流れろ」たぶん、そんなことを言ってた。
真剣にぶっ飛ばそうかとも思ったが、罵るだけにした。「すぐ消えろ。ファック。お前がしね」僕の、英語がもっと出来たならって思いながら。
彼は、何かを罵りながら去っていった。僕は、一息つくためその場でガンガーを眺めた。くそくそ
2分経つか経たないか。今までキレてた客引きが「おーさっきはゴメン。俺たちは友達じゃないか。さあ、ホテルに行こう」
僕は、あきれ返った。やはり僕たち日本人をこいつは金ヅルとしか思っていない。
ぼくは、面倒になったので、友人のクシミ君に教えてもらった事を試そうと閃いた。
両耳を手でふさいで、ずっと「ファックファックシャラップファック」ってクルクルパーになった。小躍りしながら空を眺めながら、彼を見ながら暫く踊った。
彼は、暫く何か汚く罵っていたが、あきらめたらしく、葉っぱやって頭から落ちて、ガンガーに流されろって叫びながら去っていった。
たぶん僕の勝ちだ。いや、負けた気もした、くそ。まあいい。全員ガンガーに流されて全滅しろインド人。真剣にどうすれば実行できるか考えてみた。
不毛
シバゲストハウスにチェックインして、サンダルとボディーソープを購入すべく街を彷徨った。
自称、医大生の何とかって名前のインド人に捕まった。
名目はこうだ。「僕は、客引きでもガイドでもない。僕は、日本が大好きで日本語を勉強している。
だから、日本の人と話をしたい。その代わり、僕はこの辺りをガイドする。もちろんお金は要らない。ただ、日本語の言い回しがおかしかったり、汚い言葉だったりしたらそれを直してほしい。」
特に予定もなかった僕は、彼のガイドでバラナシを回った。
まるで、営業マンのようなトーク。切れる事の無い話と、時折挟む気の利いたジョークはたぶん、医大生では無いなって思った。
彼は、古い街とインド人しか来ない野菜市場。死を待つ人の家を案内してくれた。ずっと喋りながら。
その他にも色々聞いた。牝牛は基本的に飼い牛だとか、マリファナは山奥で栽培しているとか、お金が無い人ほど信仰心が強くて、お金をもっているほど信仰心は薄いと。
カーストを超えるのは今でも難しいし、バラナシはインド人の観光客も多いから基本的には、お土産屋は高いとか。シルクはバラナシに限るとか。デリーはウンコだとか。
僕は、カーストについてと、インドの小売について色々聞いてみた、興味深い話だった。
国営のシルク屋に連れて行かれた。見た後、お金が無いって言ったら、問題ないって笑顔で言うシルク屋の親父。
僕は、自称医大生にシルク屋で日本語のレクチャーをした。無職と退職と年金とお口直しの日本語的意味合いについて。
国営の葉っぱ屋があるから見に行かないかって誘われたが断った。インドのエロ本屋とエロ映画館があるけど見に行かないかって言われた。
僕は断った。
なぜかしょんぼりした自称医大生。僕たちは、握手をして別れた。
新ジャンルのカーストかなって思いながら、いつもの安食堂でターリーを食べながら思った。
2月13日
この日は、濃かった。恋・鯉・故意。
インド人は嘘つきが多い。生活の為に嘘をついて旅行者から金を掠め取る。生活のため家族の為嘘をつき、ガンガーで罪を洗い流す。あほか
僕はそんなに物分りがよくない。糞インド人って何度思ったか。この日のインド人は別物だったのかも知れない
朝6時に起き、日の出を見るため朝靄の中ガンガーへ向かった。
いつものチャイ屋でマサラ入りチャイを飲みながら、日の出を待つ。やはり寒い。
気付ば、太陽はすでに顔を出している。くそ。
僕は、念願の日の出を見ながらipodでブルーハーツを聞いた。なぜか、涙が出た。くそ、やるじゃないかヒロト
ホテルに帰り、屋上のレストランで朝食をとり、なぜか置いてあるバーベル・ダンベルセットでトレーニングをした。
今日はヒンドゥー大学構内にある、何とかってお寺を見に行くことにした。歩いて。インドではホントよく歩いた。
結局2時間ぐらいかけて歩いて到着。大学の門では祭り囃子が鳴り響いていた。
昨日の自称医大生に聞いた話だと、若者による自由恋愛の祭りらしい。カーストによるお見合いからの脱却を願う若者らすぃい。
どこの、国でも同じ。自由恋愛万歳万国博覧会
インドって広いらしい。ヒンドゥー大学構内たぶん東京ドーム20個分ぐらいあるんじゃないかって思った、。
僕は、ひたすら歩いた。何とか寺を目指して。もう、僕の明日は来ないんじやないかって思うぐらい足が痛くなりながら。
致命的な左足小指の豆の痛みに耐えながら。
たぶん大学生だろうインド人男性が話しかけてきた。僕は、この寺に行くんだってガイドブックを見せながら言った。
彼は、「自転車で送っていくから、乗りな」って、サドルとハンドルの間のシャフトを指差した。
インドでは、自転車の二人乗りの場合、日本のそれと違って、運転手の前に乗る。僕は、以前からあれ怖いなって思ってた事を体験する羽目に。
乗っては見たもののめっちゃ怖い。僕は、日本語でなんか叫びながら寺までつれってってもらった。
大学生から英語が喋れるかって質問に、まったく無理って言ったら、「オーマイガッ」って言われながら、めくるめくジェットコースター体験。
寺まで送ってもらった大学生にThank Youって言った。彼は、良い旅をって言って去っていった。ああ、ありがとう僕はあなたの事は一生。たぶん忘れない。たぶんね
こんなに苦労してきた寺は、まったく大した事無かった。僕は、中に入る数ルピーも惜しくなり。近くにあった、チャイ屋でスイーツを食べた。
座っていた、インド人女性が僕を避けるように端っこに移動した。
チャイと揚げたやつを食べ帰ることにした。
2時間はかけて歩いてきたのに。つまりこの後2時間は確実に歩くって事に絶望しながら
ビーチサンダルを買った。58ルピーで買った。僕の左足小指の豆の痛みから解放された僕は、ちょっとリフレッシュした。チャイを飲みながら
ヒンドゥー教徒しか入れない赤い寺を写真に撮り、赤のボールペンを買い、赤い郵便局でエアメールを出した。
ゴードウリャーまで戻ると、人形の山車を先頭に、数組のインド人の若者が自由恋愛の祭りで踊りながら行進していた。
その中の1グループに僕は日本代表として参加した。
そこで出会った少年達はたぶん兄弟。
僕は、この兄弟からこの人形をガンガーに流すから、一緒に行こうって誘われて参加した。
色々教えてもらった。僕も、恥ずかしながら小躍りしながら行進した。
ガンガーに着いた時、この兄弟の父親に日本の友達だって紹介された。父親は、微笑んで軽く頷いていた。
ガンガーに、人形を流し僕たちは、聖なる河の聖水で足と頭を清めた。日本人の僕は、彼らに促されるまま真似した。
祭りは終焉を迎えた。彼らの家は遠く遠くにあるということだった。僕は、彼らの写真を撮り別れた。
ガンガーで、たぶん5歳ぐらいの女の子が1人で風船で遊んでいた。僕は、一緒になって遊んだ。
僕はリバーバレーとその遊びを名付けた。
僕たちが遊んでいると、いじめっ子の男の子が女の子の邪魔をする。
女の子は、必死になって風船を男の子から取り返す。
インド人の青年まで女の子をからかう。どこの国でも同じようだ。
僕は、疲れたから帰ろうとしたら女の子は「10ルピー頂戴」って言ってきた。
僕は、あげないって言ったら「じゃあ、5ルピー頂戴」って言ってきた。
僕は、あげないって言ったら「ケチ」って言われた。ああ、インドだねー。インドは強い国だねー
ガンガーを眺めてたら、サンデーってインド人客引きが声をかけてきた。日本語の流暢な彼。
僕と、サンデーはインドの事、日本の事について20分ほど喋った。彼は、日本人をターゲットに客引きをしているって言ってた。
いつもの安食堂で一番安いターリーを今日も食べた。コック長は、また来たなって笑ってた。
明日は、凧揚げをしよう。
2月14日
最近インドが面白い。やりたい放題だ。
今日も朝6時に起き、日の出を見た。お坊さんが、ベッカムみたいでかっこよかった。
バラナシのインド人は基本的に、スタイルがいい。日本だと1000人に1人居るか居ないかのモデル体形が、10人に1人居る感じだ。
ホテルに帰り、朝飯を食べてお金を払う時点で、昨日お釣りが無いって事で、明日返すって言った13ルピーを含めてぴったり支払ったら。
何言ってる日本人。よく分からないよって顔とポーズを決めるインド人。足りないよ日本人。鏡を見てヘアスタイルを直す。
ん!こいつ、クシミ君の日記に出てきたブロッコリー君じゃないか!って、このとき初めて気づいた。くそ。こいつか。確かに鬱陶しい
僕も、写真を撮ってさらすことに決めた。
今日は、特に予定もなかったので、ガンガーで読書をすることにした。この日は、風が強く、日差しが強かった。
僕は、Tシャツを脱いで半裸になり、沐浴しているインド人の近くで日光浴をしながら本を読んだ。
チリチリと僕の肌を焼く太陽。ああ、このままだと帰国するころにはインド人になっちまいそうだ。特に顔がやばい。
シーブリーズはどうやらインドには売っていないらしい・・・
昼食を食べた後、ガンガーを散歩していたらアーグラーの駅で、ウェイティングチケットの事で知り合った、オチさんと再会。インドでは、色んな人とよく再開した。
オチさんは、子供の似顔絵を書いているようだった。
僕は、2.3言会話を交わして、晩飯の約束を交わして散歩を続けた。
気温も上がってきたので、インド2回目の沐浴を実行することにした。
パンツ1枚になり足からゆっくり沐浴をした。やはり、冷たい。気温は高いが水温は冷たい。ヒマーラヤ山脈の雪解水はやはり冷たい。
頭まで沐浴し、ガートに戻った。寒い。
陽射しが強いこともあり、肌はすぐ乾く。替えのパンツを持ってきていなかったから、乾くまで日光浴をしながら本を読んだ。
欧米人女性が僕を見ていた。インド人沐浴者の気持ちが判った。あまり気分は良くないな
パンツが乾いたのと、読書にも飽きたので僕はガンガーを散歩した。
同じ場所に、オチさんが座っていた。
数人のインド人少年と共に。
どうやら、彼の周りには少年が集まるようだった。
キャッチボールするインド人少年とオチさん。
横では、クリケットをするインド人少年たち。
こういうの、良いね。って、思いながらボーっとした。
客引きの少年と、僕とオチさんで船に乗った。夕方のガンガーは風も無く穏やかだった。
僕は、ボートを漕いでみた。思ったより難しい。オチさんと客引きの少年がボートを漕いだ。やはり、難しいようだ。
この船は、100年前から使っているって言ってた。ホントか嘘か判らないが。だって、インド人はわわわわ
僕たちは、チャイを飲みに行った。ハエが無数に飛び交う店内。
すでに些細な事は気にならなくなってきた。
僕たちは、客引き少年の奢りでチャイを飲んだ。32歳と26歳と15歳。なんだかねー
僕はホテルに戻ると、日本人女性の2人組みがチェックインするから、デラックスルームとシングルルームを交換してくれって。願っても無い事だ。
荷物を纏め、僕はシングルルームに移動した。部屋からは、ガンガーが眺められ、小さなテラスがあり窓にはサルがへばりつく、ライムグリーンの部屋。僕はすぐに気に入った。
オチさんと、僕の行きつけの定食屋で晩飯を食った。オチさんはやたらチャパティーをお替りしていた。
帰り道、僕とオチさんは凧を買った。明日夕方に揚げようと約束をして、僕たちは分かれた。
明日が楽しみだった。
2月15日
僕の旅もこの日で折り返しだ。
今日は9時に起きた。日の出が見られなかった。ホテルの屋上でブレックファースト。日本人女性がやってきた。
僕らは、隣同士のテーブルでちょびっと話した。
彼女は、チベットに向かうらしい。バラナシからチベットには交通の便が良いらしく、ここからネパールに向かう人が多かった。
この、女性ともムンバイ国際空港で再会した。
インドでは、いや、長い旅では良くあることなのかもしれないが。
朝食後、屋上のバーベルセットでトレーニングしていると、日本人男性のダイスケさんが洗濯物を干しにやってきた。
僕と、ダイスケさんはトレーニングをしながら、インド人のトレーニングを手伝いながら、1時間ほど話をした。
彼は、11ヶ月彼女と旅をしているって言っていた。やはり、ダイスケさんもチベットにこの後向かうらしい。
最近の旅で観光したのは、エジプトのピラミッドか、インドのエローラ遺跡位だって言っていた。あまりにも、長い旅だと観光をする気になれないって言っていた。
旅の長さのベストは、3ヶ月ぐらいが良いんじゃないかって自分は思うと言っていた。
僕と、ダイスケさんは屋上の陽射しが強いなか、木の台に座りお互いにトレーニングしながら色々話した。
おなかが減った僕は、ベンガリートラのモナリザってカフェで、親子丼とバナナラッシーを注文した。欧米人が経営しているカフェだった。
僕のテーブルに欧米人女性2人が相席しても良いかって聞くんで、僕はもちろん良いよ。って答えた。彼女らは笑顔でサンキューって言った。
ビリーって葉巻タバコを美味そうに吸う彼女から、僕の食べている物は何かって聞かれた。僕は親子丼と答えたがよく判らなかったみたいだった。
ぼくは、ライス&エッグ&チキンって言ったら、ああそうって言って、相方と話し出した。彼女は、タバコとチャイを美味そうに飲みながら
ガンガーを適当に散歩して、夕方になったからオチさんとホテルの屋上で凧揚げした。
僕の、凧はちっとも揚がらなかった。見かねたブロッコリー君が僕の凧を空高く揚げた。そして、僕に替わってくれた。
僕は、しばらく揚げていられたが急転直下。あっという間に墜落した。ブロッコリー君が何とか凧を回収しようと努力したが駄目だった。
オチさんの凧もあっという間にぶっ壊れた。
僕は頭にきて凧を4個、更に買った。ブロッコリー君は紐を巻く糸車を貸してくれた。意外に良い奴かも知れない。女の子と、遊びに関しては。
今日は、疲れた。20時には倒れるようにベットに倒れこんだ。
2月16日
目覚めは最悪だった。起きた瞬間体の節々が痛い。昨日の筋トレの影響かと思ったが。。。。風邪だった。
朝食後にガンガーに、日課となった散歩に向かった。やはり体が重い。
ガンガーのほとりにある、石の傘の日陰で本を読んだ。
おかんから電話があった。源泉徴収表の事でだ。くそ。くそ高い通話料を払うのは僕なんだ。くそ。
インド人ボートマンが話しかけてきた。「船乗るか?」
僕は、ゆっくり首を振った。
いつもの如く、「国は何処だ?これから何処に行く?インドはどうだ?火葬場みたか?」
僕は、脳みそが溶けそうだ。適当に答えた。
「葉っぱいるか?いらん。チョコ買うか?いらん。コカイン買うか?いらん。シャブ買うか?いらん。ちんこまんこ知ってるか?ああ、しってる。」
くだらない会話だった。
「眠いのか?」僕は、眠かった。
「ホテルで寝なよ、日本人」僕は、彼に従うことにした。
「またね」僕は、ホテルに帰った。
ヨーグルト屋で2本ボトルウォーターを買いホテルに戻った。
ポカリスウェットを作り、風邪薬を飲みPSPと読書をした。
おなかが減ったので、パンとヨーグルトを買いに行く。
1階にチェックインしたばかりの日本人男性に、買い物がてら街を案内した。
ホテルに戻りパンと水を飲んだ。インドで風邪を引いた時何を食べればいいのかわからなかった。
ああ、プリンとか御粥とか無いインド。
その、夜は何か変な夢を見た。
2月17日
今日も体調はすぐれない。やれやれ
僕は、インドに来てどうやら便秘になったらしい。よく聞く話、インドではおなかを下すって話とは、間逆の状態。
トイレットペーパーの節約になるからエコロジーって。あほか。僕は、結局一ヶ月で3ロールしか使わなかった。
朝食は、昨日見かけたベンガリートラのモナリザレストランのベジジタブルおじやを食べた。とても、おじやとは言い難いおじや。優しい感じがしたおじや。ビタミンあわわ
体調が悪くなってから、インド料理は食べなくなった。パンとヨーグルトとチーズと米。日本と同じ感じだ。
食事後、アラビア海で泳ぐときに使うであろう、腰布を買いに、いつものシルク屋に行った。いつもの日本人女性がいた。
僕は、散々迷って180ルピーの腰布を買った。ちょっと高い気もしたが、まあ気に入ったから良しとしよう。結局帰国後も使ってるし。
ポカリスウェットをガンガン飲んだお陰か、体調が若干回復してきた。
ガンガーで読書をして、ホテルに帰った。
成田で買ったウイスキー飲み、ポテトチップスを食った。夕日を眺めながら。
ちょっと酔っ払った僕は、ガンガーの夕方のお祈りを見に行った。初めてちゃんと見た。センターのお坊さんがベッカムみたいだなって思った。
ホテルに帰り、ポテトチップスを食べながら本を読んだ。日本のよくある生活とまったく同じだなって思った。
明日には、体調がよくなっていることを祈りながら、ヤモリとモスキートのいる部屋で眠った。
蚊取り線香が欲しかった。
2月18日
バラナシ最終日。
あっという間の11日間。なんで、こんなに日が経つのが早いんだろうバラナシ。
8時に起床してシャワーを浴びる。体調は8割といったところか。
髭を剃り、歯を磨き、荷造りをする。いつも思うが、このチェックアウトってやつがどうも面倒。忘れ物のチェックなどなど。ドナドナ
チェックインした、していないで、支配人の弟らしき人と揉める。絶対書いたし。僕が探したらやっぱりあった。
僕は、読み終わったインド経済の本を弟さんにあげた。僕たちは握手して別れた。この日の夜、計算したらホテル代1日分多く払っていた気がした。くそ
ベンガリートラのスパイシーバイツってレストランで、朝食を食べた。トマトチーズサンドイッチが無茶苦茶うまかった。
もっと、来れば良かったって一寸後悔した。ボーイの男の子に、結局揚げる事の無かった凧をあげた。意外に喜んでいた。
残りの凧は、とおりすがりの男の子と、シルク屋のやたら喋る店員にあげた。
最後にガンガーを眺めたくなって、僕はバックパックを担いでガンガーへ向かった。その日は、晴れ渡った空から、太陽の日差しが僕を強く突き刺した。
本を読んでいたら。悪ガキ三人組がやってきた。たぶん小学三年生ぐらい
彼らはお決まりの「どっから来たの?名前は?写真撮ってよ。つか、カメラ貸してー」みんなで撮ることにした。
「マニーマニープリーズ」ああ、いつものやつがやってきた。インドだなーって思いながら、ぼくは、今日はとことん付き合うことに決めた。
閃いた。金はやらんが、日本の小銭をあげる事にした。1円と5円をあげた。
「もっともっとー」ひつこいなーって、僕は日本語だけ喋りながら、彼らは英語とヒンドゥー語で喋った。なぜか、伝わるもんだって感心した。
「マッサージするからもっとくれー」腕を揉んでくる悪ガキ
「そんなもんじゃやらーん」と、僕も悪ガキの腕と肩を揉み返して、逆に金くれーって言ってみた。
「おしまいじゃーぼけー。もうやらーん」
「あほーもっとくれー、もっとくれー」
こわれたサンタのキーホルダーを差し出し。「これは、ただで上げるから日本のコインくれー」
「いらんし。そんなの」
「いいからいいから。おかねいらんからとっとけって日本人」僕のバックに壊れたサンタのキーホルダーをねじ込む悪ガキ。
いまだに僕のバックには壊れたサンタのキーホルダーが入っている。
また閃いた。僕のバックパックには壮行会でもらった、ちんすこうが入っていた。
「いいものやろう。これは、ジャパニーズフェーマスフード、ちんすこう。一人1個やぞー」って。
あげた瞬間に食う餓鬼。ポケットにねじ込む餓鬼。いろいろ、個性が出ますな。
「もっとなんかくれー、日本人なんかくれー。金くれー」「うるさーい」
ポストカード売りの女の子がやってきた。
「カード1枚5ルピーで買ってー」
なんか、4人の餓鬼んちょに囲まれ訳わからん状態になってきた。僕は、1枚5ルピーだと買う気があったから女の子のカードを見た。
4枚で20ルピー支払うと、少年たちが「あーそうだ、この女の子にもジャパンマネーあげてー。あげてー」
「ガーわかったわかった、やるやる持ってけー」少女にあげた瞬間、3人の餓鬼も「もっとくれーもっとくれー」
サドゥー(出家遊者ってガイドブックに書いてあった)の偽者っぽいのと、本物っぽいのにも囲まれ、ぼくは何かの見世物みたいだった。
全員黙れーって思いながらも、餓鬼んちょ3人組を筆頭に「なんかくれー、サドゥーにもお金上げてー。僕らにもお金ーくれー」
もう、うっとうしいから目いっぱいあげて「これで終わりやーボケー。フィニーッシュ。終了ー」
サドゥーが「これ、何ルピー」って聞くから、「100円やって」言ったら、少女が適切なルピーの額を説明して僕に「うそつきー」みたいな事をいった。
とりあえずは騒ぎは収まった。餓鬼んちょ3人組と、カード売りの少女を残して。
たぶん、さっきのお金の事でだと思うが、カード売りの少女が、僕に何かを言い出した。のべつ幕無く、まくしたてる。たぶん悪口
僕と悪がき三人組みは、少女の勢いに押されて、黙ってしまった。一人ヒートアップして、まくしたてる少女。
言ってる言葉は分からなかったが、唯一分かった単語が、「クレイジー」僕は、あんだーこの餓鬼って思った。
「クレイジー。俺がクレイジーって事か?」そう聞くと、少女は「お前はクレイジー、クレイジー」
たぶん20回ぐらいクレイジーって言われた。なんでやねんって思い、悪がき三人組に「なんで、俺こんなんいわれてんねん」って聞いたら
「あいつがクレイジーなんだよ。気にしなくていいよ。こんなやつほっといて、良いとこ行こう」
僕と、悪がき3人組はその場を後にした。それでも、少女は僕に向かって「クレイジー」って言ってた。なんでやねん
悪がき3人組と別れ、ガンガーに戻り本を読んでいたら、風船売りの餓鬼んちょがやってきた。
「今何時ー?」「15時半」「ふうせんいるー?」「いらんわ」「じゃあ、遊ぶー?」「いや、本読んでるし」
今日は、やたら人気者らしい。
やたら、日本語の達者な客引きがやってきた。後でやってきた大阪出身の女の子と客引きと3人で話した。女の子と客引きは面識があるらしい。
バラナシの客引きの仕組みが分かってきた。
ただ、客を紹介して25%をもらう客引き。日本人に友好的に接して、土産物屋で日本人コミュニティーを作り安心させて販売する客引き。
たぶん、両方ともぼられている。わからんが。
商売だから、サービス料という、無料ガイド情報と日本人コミュニティーという居心地が良い場所を提供する後者のほうが、幾分かは良心的だろう。
これで、地球の歩き方に掲載されれば、ほっといても客が来る店になるだろうし。
結局、紅茶の屑葉を180ルピーで購入して、メグカフェで中華丼を食った。」日本人で、調理師免許を持っている彼女の作る中華丼は、日本で食べる中華丼より美味しい気がした。
ナチュラルで美味しいと思った。
夕方になったから、駅に向かった。
目的の、駅周辺のホテルが見当たらなかった。1時間ほどバックパックを担ぎ彷徨ったが、つぶれたのか僕が見落としているのか分からないが、やたら高そうなホテルしかなかった。
僕は、あきらめて駅のリタイアリングルームを目指した。ドミトリーで1泊50ルピー。完全なる予算内。
広い部屋には、ベッドが12個。鍵付の荷物入れもあった。インド人が3人寝ていた。シャワーはあきらめて寝ることにした。
さあ、明日からはブッタガヤ。お釈迦様が悟りを開いたといわれている、菩提樹がある街。
ぼくは、興奮したのか初めてのドミトリーで緊張しているのか、その夜はなかなか寝付けなかった。
ブッタガヤ編に続く
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