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自己紹介の恐怖

 

初めのお話


 小学生、中学生、(私はまだ経験していないがおそらく)高校生に、自己紹介は毎年襲ってくる。
 何をいうのか考えるのはあまり面白くない。一般的に、そこで一発目立つことをいえばまず成功だと言える。平凡なテンプレートを使えばまあキャラはそこまで目立たないもののはずれはしない。私はあまり成功失敗を気にしないが、ネタを一生懸命考えている人が、必ず毎年いる。
 自己紹介なんて名乗って終わりでいいのではないかと毎年思う。知りたい人のことは自分で知っていけばいいのだ。もちろん、相手が「自分のことをこう認識してほしい」という希望を持っていることはあるとは思うが、それも含めて、話す中で知っていきたい。
 自分から自分のことを話さないといけないなんて、そうしないと人に自分のことを知ってもらえないという恐怖でも持っていない限り、少々の屈辱である。
 個人的な意見としては、なんだかわからない人間がそこそこ面白い内容を言っているのは見ていて愉快なのだが、(本当にそこそこ面白いかどうかは別として)自分の場合だとなかなか奇妙な心情になるので、「自己紹介」というものをしようと思う。一応。
(この文章は一体なんのためにかいたのだろう?)

私の話

 愛禾(まなか)。N中等部に2024年に入学した。小学校では、毎年読書の記録なるものを書くのだが、そこの記録があるだけで本を6000冊読んだ。(小3と小6は面倒くさいのでほぼ記録しなかった)
 大抵、自己紹介ではでっかい声を出して話すようにしていて、自分が話す番以外は全員の話し方に耳を澄ませている。(さ行の発音が少し刺激的な人が必ずいるのだ)
 人と話すのは好きだ。しかし、かといって人が詰め合わせのように入っている場所は好きではない。人間を一人ずつ認識できる範囲を超える数になると、途端にそれは「その人」ではなく「多くの人間の中の一部」になってしまう。それは嫌ではないが苦手だ。絶対に行きたくないわけではないが好んでいくことはない。また、自分はたとえ1億人の中にいても「その人」として存在できるようになりたい。
 英語を勉強中で、まだ完全に話せはしないのだけれども、ガッツと気合いで切り抜けるレベルは通り過ぎた(のかもしれない。あくまでも予想。もし私の思い違いだった場合はあしからず。)
 最近、遊びながら自己紹介をするような、自己紹介カードゲームがある。直接的な質問はなく、「もしも超能力が使えたら何をする?」のような、ぼんやりとしているがその人のことを色々と想像できるものになっているので、クラス全員の前で話すようなものよりも面白い。

さて、この人は何をするのでしょうか?

 私は前述の通り、少なくとも6000冊の本を読んだ。6年間で。その読んだ本たちを静かに心の底に留めておくのもいいかもしれない。本の記憶たちがじゅくじゅくといい感じに発酵していって、いつか美味しいパンが焼けるかもしれない(私は料理も好きだ)。しかし、それら本の話を他の人に共有したらどんなに面白いだろうか? 
 読書は基本一人で楽しむものだ。しかしその感想や、その本によって考えさせられたことは一人一人変わる。そしてそれは共有でき、読書という一人の楽しみが他の人と繋がれる楽しみにも発展する。
 私の記事を読んで本好きになる人も、逆に本に愛想をつかす人もいるかもしれない。また、すでに本好きで、もっと本を好きになる人もいるかもしれない(その逆もある)。
 そういう人たちの目に触れるものの一つにこの記事が加えられたら、そしてその人の記憶の一部が、この記事で構成されたら、面白い。

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