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彼の「男の子」に元気がない

本人も言っていたけれど
彼の「男の子」は元気がないんだそうだ。

以前よりその症状はあって、しかも結構な期間そうであったらしく、前の彼女たちとはどうなってたんだろう?と感じていた。

私と付き合いはじめの頃はそんな心配どこ吹く風と言わんばかりにお元気でいらっしゃったというのに、やはり3ヶ月くらい経った頃にはだんだんとお元気にかげりが見えてきた。


私としてはこれまでの人生にそんなオトコに出逢ったこともなく、むしろオトコ達の欲をなだめすかすことの方が大変だったくらいだし
もっと言えば私に興奮しないオトコなんているの?(だって一応お互いに好き同士で付き合ってるんだし)くらいに思っていたのであーる。


それなのに


それなのに、、!!!


彼の「男の子」は本人の意思に反して無反応なのである


私としては大ショック!! 
なんで?どうして?

なにがご不満なの?
どうしたと言うの?
私に魅力がないの!???


と、オロオロしてしまった。


そして初めて知った


あぁ、
人間の体でするコミュニケーションってめっっちゃ大事なんだなぁぁ…


与えられない体験をしたことで初めて
与えられることの素晴らしさと人間の本能的、本質的な喜びとはいかに輝かしいものなのかを再認識した。


さて、価値ある発見をしたのは喜ばしいが
彼の「男の子」に元気がない問題
は依然として宙ぶらりんのままである

彼にアピールしてみてもダメ
彼と話し合おうとしてみてもダメ
彼に改善を促してみてもダメ


をぃ!!!
オマエの問題がこっちに飛び火してんだよ!

→ムラムラののち、ムカムカ。


と言いたくなるのを抑えて
どうしてこんな事態が起こったのだろう?と当時の私は考察してみた。



以前聞いた話では、当時の彼女に求めたら
疲れてるからと断られて
それから徐々にそういった行為をしなくなっていった。そこから枯れてきたように感じる。


と。


うーん、よく聞く話だなぁ。


でもさ、でもさ、
いま付き合ってるのは私だよね!?
私と彼女は全く違うオンナだよね?
それなのにソレは同じ了見で進めるの?
なんか混同してない?
前の彼女が私たちの付き合いにまで入ってきてない!?
どうして彼女への対応が今の私にまで響いてるわけ?
私のことをちゃんと見てくれていないの!?
私には以前の自分とは違う新しい気持ちで向き合ってくれていないの!?
私は結局、前のオンナたちと同じなの?



これ。


これが以前彼と付き合っていた頃の私の悲しみであり、モヤモヤ、イライラ、ムカムカ
でありました。

彼は私のことを愛してくれていない
彼は私のことを見てくれていない
彼は私のことを理解してくれていない


彼を求めているのに与えられない当時の私は
求めるたびに「やはり与えられず」
求めるたびに傷付いて
求めるたびに自分の価値までも疑うようになっていったんですね。


彼といると寂しい
彼が隣にいるのに虚しい
彼と手を繋いでいても心が遠く離れていると感じる


めっちゃツラかったですね
彼を好きになった自分のことさえ疑いはじめ
自分のことを守るために彼を悪者にしてみたり
彼とのことは一時の気の迷いだと思ってみたり
彼を遠ざけてみようと思ったんです。

心が苦しくてツラい時は緊急避難に限ります

誰も悪くないと分かっていても
当時の私には彼を悪者にするしか方法がなかった
彼のカラダが変なんだと
彼がいけないんだと
私はなんにも悪くない、私は頑張った
私を喜ばせてくれない彼は私に必要ない!

そんな自分でした。


そうやって私は体よく彼が離れていくように
別れやすくするようにして
だんだんと彼を拒否して
だんだんとフェードアウトさせていきました。


彼と離れてみたら
いつもの日常といつもの自分が少しずつ戻ってきた事で心が救われたし、余裕が出てきた


あぁ、私は
やっぱり私らしく生きていい


この安心感が本当に大切なものを思い出させてくれた。


そして別の男たちが私を変わらず求めてくれたし、たくさん愛してくれたことで自分はやっぱり何にもおかしくないし変わってないし変じゃないと思えた。(男の子たちよ、ありがとう!!涙)



そこで私はある種の悟りを得た気がする。




人は自分に疑問を持ち
自分を否定して
自分を信じられないと
自分らしさの全てを失ってしまうのだということ

そして自分と愛する者との関係さえ
自分自身との関係性の上にしか成り立っていない

誰かと付き合っているようでいて
私たちは誰とも付き合っていない

私たちはただ、自分以外の全てを通して
自分とは誰なのかを知ろうとし
自分自身になることを求め
自分になる道を探し続けているのだ


だから実は誰も
「私」のことを否定していない
否定されたように感じるのは
「私」こそが「自分」を疑っているからだ

誰かに必要とされ求められ愛されたいのは
自分自身が自分を認め、受け入れ、愛そうとしていないことの証明だ


自分を安心させるために人を使ってはいけない
自分の価値を感じるために人からの承認を要求してはいけないのだ




これは過去の私そのもので
彼との戦いの末にこの身をもって体験したこと。


この景色に立ってみて初めてわかった気がした


彼はいまだに苦しんでいるだけなのだと
彼はあの時の私みたいに自分を受け入れていない、つまり自分と自分が「家庭内別居」している状態なのだと。


彼の「男の子」に元気がないのは
これが影響しているに違いないと確信した


人間はきっとすごく複雑で
すごくシンプルに出来ているんだ。



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