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ポンコツの履歴書(1) ポンコツの誕生

2023年 ゆく年くる年。

齢30になる。自らアクションを取らなければ、今後の方向性は定まるように思う。ゆえに仕事・私生活において自ら目標を設定しなければ、平凡な人生を忽ち過ごすことになる。

過去の歴史を振り返る目的で、日経新聞をモチーフにしたポンコツの履歴書を執筆したい。そのうえで「どのような環境で育ってきたのか・自分が何者か」改めて向かい合ってみたい。

ポンコツは1992年(平成4年)、大阪南部の岸和田という気性の荒い街で産声を上げた。10月の五穀豊穣を祈願する「だんじり」祭りで有名な町だ。本来の稲荷祭の目的とは異なり、祭りの期間中はケガ人やケンカが勃発し、別名「ケンカ祭り」と呼ばれるほどだ。Youtubeで「だんじり ケンカ」で検索すると、動画は山ほど出てくることと思う。

だんじり祭り

その環境下、周囲の友達含め私立に行くという発想はなく、例に漏れず私も地元の中学・高校を卒業した。ヤンキーの巣窟であり、クラスにはストロー級からクルーザー級が入り乱れて、一緒に授業を受けていた記憶も懐かしい。苦楽を共にした中学・高校の友達は仕事も環境も全く違うが、今でもこそ連絡を取り合う仲だ。良い仲間に恵まれたと思う。

自分で言うのも憚られるが、勉強は学校の中では出来た。しかし、所詮井の中の蛙、関西でいう関関同立・産近甲龍止まりだった。特に高校から、早慶・旧帝大への進学は学年300人で一人もいなかったように思う。

そんな地域色の強い岸和田で、海外とは無縁の生活を送ってきたポンコツが今、中東に駐在で来ているのだから、人生とは不思議なものである。20歳になるまで外国人と出会ったこともなければ、英語も使ったことのない人生だった。

当時は、まさか自分が海外で働くとは微塵も思っていなかったのだ。人生を変えるターニングポイントは至る所にあったように思う。当時は気づいていたかは分からないが、思い返すと「人生のターニングポイント」と思えるのは大学1回生と大学3回生の時まで遡る。スティーブジョブズが卒業式の答辞で述べた「点と点が繋がり線になる」というのは自分にも当てはまるように思う。

ターニングポイントはいつの時代も「パーソン」であった。①栂池での冬期リゾートバイトで出会った「エジプト人のエッシーさん」と、②サモアで面談した「政府閣僚」である。彼らとの出会いが無ければ今の自分は無かったと断言できる。

私のアカウント名でもある「ポンコツ」、それは私の論理的思考力の低さから来ている。一方で「行動力」は人並み以上にあるというのもポンコツたる所以である。しかし、この「行動力」があったがゆえに、上記の出会いが実現し、今の自分があるのだなとも、と思う。

ローマは一日にして成らず、そして、ポンコツも一日にしてならず。現在の私の論理的思考力の低さ、突出した行動力、これらは小さいころからの積み重ねによるものだ。社畜と化し忙殺される毎日の中で、幼き頃の記憶は薄れつつある。と同時にそれは現在の自分のルーツも忘れつつある、と同義ではないか。

今回の「ポンコツの履歴書」では、過去の自分を振り返りながら現在の自分がどこから来たのか探っていきたい。次回、幼少期の振り返りからスタートしていく。





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