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人間を擬人化したらどうなるのかって話

人間を擬人化したらどうなるのか。
そんな疑問が湧いてしまった。
湧いてしまったからには、書くしかない。

古今東西、擬人化の嵐。

色々な文学や詩を読んでいると、素敵な比喩表現に出会うことってよくあります。さまざまな比喩表現の中に擬人化するという表現方法があります。ウチダゴウさんという方の「孤独の一生」という詩を読んだんです。そこでは「孤独」という目に見えない概念が見事に擬人化され表現されていました。素敵だなと思いました。

「孤独」という一見マイナスなイメージの言葉。しかも、目には見えない概念としての言葉。そういうものが擬人化されるとこういう風に受け取れるんだ。言葉を届ける方法はまだまだあるなぁと感じました。

そうして「擬人化」というテーマが僕の頭の中に出てきたのです。人類は古今東西、いろんなものを擬人化してきました。それこそ概念である神は神話にて擬人化され、動物や自然なども擬人化されています。今では大人気のキャラクターの多くが擬人化によって表現されています。アンパンマン、ミッキーマウス、きかんしゃトーマス、ゲゲゲの鬼太郎なんかもそうでしょうか。

人間を擬人化したらどうなるの?

はい。とにかくたくさんのものが擬人化されています。そうやって色々なものが擬人化されているなぁと思いながら、ひねくれものの僕は思いました。人間を擬人化したらどうなるんだろう。と。これだけたくさんの擬人化がなされているけど、人間の擬人化ってした人いないんじゃないか。と。

人間の擬人化をした人がいないのも当たり前で、そもそも擬人化の意味は「人間でないものを、人間になぞらえて扱うこと。」です。つまり、人間を擬人化するとは、言葉自体がおかしいんです。

でも、なんだかそういうおかしな言葉って妙に魅力的じゃありませんか。「消しゴムの書き味」とか「寝心地のいい目覚まし時計」とか。なんだか、どんなものだか考えてみたくなりませんか。ということで、考えたくなってしまったんです。考えます。

人間の擬人化、2パターン。

人間の擬人化。
まずは2パターン考えました。
一つ目は、擬人化という言葉の定義に則って、人間を人間でないものとして扱ってみるというパターン。二つ目は擬人化の定義は無視して、世の中にある擬人化のイメージに合わせて人間を擬人化してみるパターンです。

一つ目「人間を人間でないものとして扱ってみるパターン」
はて。ボクハナニヲイッテイルノデショウカ。
でも、いいんです。このまま考えてみます。
まず誰か例を出して考えると分かりやすいですね。僕の友達Uくんを頭の中に登場させます。まず、この人を人間でないものとして扱います。とりあえず外見や性格はそのままで違う生物という認識を頑張って頭の中でしてみます。うーん、無理がありますね。まずはコミュニケーションをとれないようにしてみたんですが、それだと僕にとって外国語話者の人は人間でないみたいになってしまうので却下です。次に、コミュニケーションもうまくとれないし、表情やジェスチャーも読み取れない、みたいな設定にしてみたんですが、これも却下ですね。だって、恐らくこの世界には表情も読み取れないジェスチャーも読み取れない、みたいな同じ人間さんもいますもんね。だめですね。仮に違う生物として頑張って脳内設定できたとしても、そこから彼を擬人化するっていうところで詰まります。やっぱり「擬人化」そのものについて考えてみないとダメみたいですね。

二つ目
「世の中の擬人化のイメージに合わせて人間を擬人化してみるパターン」

これの方がさっきより手触り感が出てきそうです。世の中にある擬人化のイメージ。まずここからです。これは先ほども出しました超有名作品を例に考えてみましょう。アンパンマン、ミッキーマウス、きかんしゃトーマス。アンパンマンはもともとアンパン、ミッキーマウスはもともとネズミ、きかんしゃトーマスはもともと機関車です。アンパン、ネズミ、機関車、に人格が与えられたのです。でも、これよくよく考えてみると擬人化であり、キャラクター化でもあります。アンパンはただ人格を与えられただけでなく正義のヒーローというキャラクター化もされています。ミッキーマウスは『正義感が強くシャイで礼儀正しくジェントルマン』らしい(Wikipedia調べ)です。きかんしゃトーマスは『役に立つ機関車になるために仕事熱心だが気が強く、いたずら好きで生意気なお調子者』らしい(またもWikipedia調べ)です。

つまり、人気者キャラクターたちは、擬人化されたのちキャラクター化されているわけです。これはものすごく当たり前なんですが、今回考えてみるまで擬人化とキャラクター化をこうして明確に分けて考えていませんでした。でも、こうして区分けしたことで面白いことがわかった気がします。人間を擬人化する、はちょっと難しいけども、人間をキャラクター化するということは多くの人がしているんじゃないかと。そして、これって「人間の擬人化」って言えるんじゃないかって。

人間の擬人化

擬人化の「擬」という言葉を調べてみました。
もどき、とか、なぞらえる、という読み方があるらしいです。
意味としては以下の二つ。

①大体似たものとしてあてはめてみる。まねる。似せる。あてはめる。
②まねた。実物になぞらえた。実物によく似た。
Oxford Languages

アンパンの擬人化として使われていた「擬人」はアンパンという「人」ではないものを「人」に「なぞらえる」というものでした。

では、人間の擬人化はこうは言えないでしょうか。
Aさんという「人」を、明るくお調子者の盛り上げ役である「人」に「なぞらえる」というものです。普段は対して盛り上げ役というキャラではないAさんが、他にできそうな人がいないとか、毎年の恒例で新人がそういう役回りをするとかで、明るくお調子者の盛り上げ役である「人」のキャラに「擬態」することってあるんじゃないでしょうか。これは「人間の擬人化」と言ってもいいんじゃないでしょうか。

擬人化した人間、ほんとうの人間。

僕たち人間は自分という一つの体の中に様々な人格を持っています。でも、そのままでは分かりにくく理解されづらいから、自分をキャラクター化します。真面目くんキャラ。お調子者キャラ。頑張り屋さんキャラ。かまってちゃんきゃら。物静かキャラ。正義感強めキャラ。いつでもハッピーキャラ。一人が好きなんですキャラ。いろいろありますよね。

でも、僕はそれって「擬態」だと思うんです。「擬人化」だと思うんです。人間ってそんな単純じゃないと思うんです。いつでもハッピーキャラの人にもしんどい時はあるし、一人が好きなんですキャラの人にも誰かと一緒にいてほしい時がある。

僕たちは理解されやすいように自分を「擬人化」するし、誰かを理解するときに勝手に人を「擬人化」していると思います。それはある種仕方のないことだし、大切なことでもあると思う、でも、それだけじゃない私がいるし、その人がいるってことを忘れてはいけないなって思うんです。あくまで「擬人化」した姿であって、ほんとうの人間の姿はもっと複雑で醜くて美しい。

「人間を擬人化したらどうなるのか」を考えていたら、人間とはなにか。擬人化とはなにか。我々は擬人化している人間を見ているのかもしれない。ほんとうの人間を見よう。ほんとうの人間でいよう。というなんだか深そうな、全然、考えなくてよさそうなことが見えてきた、というお話でした。

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