ビール瓶の蓋よ

 こんな嫌になるほど暑い時期の数少ない楽しみとして、ビールを飲むことがあるだろう。日中僕たちがどんなに太陽の日を吸い込もうが、それは全てビールを美味しく飲むための儀式なのだ。

 さて、風呂も入ったし、そろそろビールでも飲むとしようか。冷蔵庫からよく冷えたビールを取り出す。もちろん瓶に入ったビールだ。瓶ビールは清潔な味がして非常に美味い。

 あまり器用そうではないオープナーを蓋に引っ掛け、力を込める。もちろん形式上は優しくしているのだけど。蓋がキッチンテーブルの上に落下し、カランという気持ちの良い音を鳴らす。カジノでチップを投げた時のようだ。僕はベットする。君はチェックする。そうすると酔っ払うのは僕だけだ。

 ビール瓶の蓋を手に持つと、少年時代の何時ぞやを思い出させてくれる。放課後100円を握りしめ、うきうきと家を出る。それで駄菓子を買ってもいいし、ジュースを飲んでもいい。或いはろくでもないピンボールマシーンの餌にしてやってもいい。今回のビールは美味い揚げ物を胃に流し込むのに使おうか。

 そのようなことを考えているうちに、瓶からビールが噴き出ているではないか。このようなことは定期的に起こるものだ。毎回「しまった」とは思うが、いつも忘れたタイミングで吹きこぼれる。

 ビールは全員優等生ぶった顔をしている。外からの見た目じゃ吹きこぼれるかなんか分からない。この季節によく見る横になった蝉と同じだ。生きているのか既に力尽きているか分からない。

 ビールが吹き出るかどうかは蓋を開けてみるまで分からないのだ。(当然だけど)ビールにも個性があるということだ。吹きこぼれるか吹きこぼれないか。吹きこぼれそうでこぼれない巧いやつもいる。そして、彼らは全員等しく頭に蓋をされている。そこで僕たちがとるべき行動はただ一つだろう。蓋を取って自由にしてやることなのだ。

 これは慈善活動なのである。僕は誇りをもってこの活動を続ける。一人でも多く、この社会で個性を発揮する人が増えるように。そして、僕たちは各々の違いを楽しむのだ。

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