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やりがいと現実
熱意
教師を目指していた大学生、1年目の初任のころは、大きな理想を掲げ、情熱をもって働いていたことを覚えています。
しかし、生徒指導や保護者対応などに追われ、教師の働き方や待遇に疑問をもち、卒業させてから退職をしました。多分、最後まで責任をもって、自分の中の理想を崩さないように卒業させたかったのでしょう。また、退職するという後ろ盾をもつことで最後まで保つことができたと思っています。
そして、現場に戻ってきたのも、未練があったからかもしれません。転職の勇気がなかったのかもしれません。色々な感情が混ざりながら戻ってきました。
ドライ?冷たい?
今は、情熱はないのかもしれません。やりがいという言葉は、退職を決める時に捨ててしまったと思います。
自分が壊れるまで熱意をもって働くことは間違っていると今は思います。常に燃え続けることはできませんし、時にはドライに対応することも必要です。
もちろん熱意はあった方が良いのかもしれません。が、
働き方も、情熱を捨てて、最低限のことをする。ベテランが給料を高くもらっている、経験もあるからベテランにどんどん任せる。といった身勝手にも思える働き方をしています。やりがいが見つからない今、待遇に見合った働き方をしているつもりです。
でも捨てきれないものもある
最低限という意識の下、定時に帰ったり、関係のない仕事、無駄な仕事を減らしたりしています。それでも子どもの指導をしているその瞬間は、熱が入る瞬間があります。感情がこもる、強い気持ちで伝える瞬間があります。
0か100ではない
すべての時間に、この授業に全てをこめると言えば極端ですが、そのような働き方では心も体ももちません。長く働く、長く働いて経験をつんで、貢献できる力を伸ばしていくような考え方で働きたいものです。余裕があるのなら頑張る、きつくなったらアクセルを緩めるというような調整をしなければなりませんね。自分の人生です。自分を大切にしてこそ他人を大切にできる。自己犠牲よりもある意味有意義に働ける気がしています。
情熱をもつ部分と、ドライになる部分のボーダーラインが動かせる働き方を目指してみます。
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