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夢〜芥川龍之介の『トロッコ』を読んで〜

朝、夢にうなされて目が覚めた。まだ、夜行バスは静岡あたりを走っていて、隣では恋人がすやすや眠っている。彼女の精悍な顔つきをしばらくじっと見つめていると、涙が溢れてきた。

「もう一度、働かせてください。」

夢の中、僕は、旅館の厨房の裏口で、泣きじゃくりながらそう言った。

「なんで、今さら…」

その状況がうまく飲み込めず、動揺している栗原さんが、地面にへたりと女座りの自分の前でしゃがみ込んで、そう言った。

「僕は、後悔しているんです…もうちょっと頑張って、働けばよかったって。」

僕はますます顔を崩して、しゃくりあげながら言った。

すると、ガチャリと扉が開いた。大きな大根の糠漬けを、胸いっぱいに抱えている、料理長だった。料理長は、僕のことを一瞥すると、そのままなにも言わずに、僕たちの横を通り抜け、階段を下りていった。

僕は、サッと立ち上がって、料理長の後を着いて行った。

料理長は、大量の糠漬けを大胆に地面に置いた。その力強い動作に、僕は強く惹かれた。

「あの、その糠漬け僕に切らせてくれませんか?」

手持ち無沙汰で、少々気まずい僕は、場を繋ごうとしてそんなことを言った。

「ほっとけ、」

料理長は、ぶっきらぼうにそう吐き捨てて、愛車のジムニーに乗って旅館を去った。

しばらくそこでじっとしていると、ルロルロルロという車のエンジンの音が遠くから聞こえてきて、石塀の門から、ジムニーが入ってきた。それは、敷地に入ってきたかと思うと急にハンドルを切って車体を回し、バックでスロープの上にある駐車場に乗り上げて行った。それは、刹那の出来事ではあったが、思い切りがよく、鮮やかなものとして、僕の目に焼き付いた。

昨晩寝る前に、芥川龍之介の『トロッコ』を読んだ。それが、夢に影響を与えたのだろうか。

東京で、編集者となった田舎出の男が時折思い出す情景。トロッコを押して、行き着いたことのないほど遠くに来てしまい、暗闇の中恐怖に身を押しつぶされそうになりながら、必死に家路を駆けた日の思い出。彼が、なぜそのことを時折思い出すのか。それは、彼が憧れた土工という職に、初めて挫折感をあじわったからではないだろうか。ただただ明るい側面だけを見て、無邪気な想像に胸を膨らませる少年が、青年になった瞬間。彼にとっては、それが初めて夢破れた瞬間であり、そのことがいつまでも胸に焼き付いているのだ。竹藪の中に置いて行った少年の自分を時折思い出しては、希望に満ち溢れた日々を懐かしむのだ。






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