孤独を埋める代償
恋人と一緒に住むことになった。
5年ほどの付き合いを経ての同棲。
もう大体、お互いがどんな人間か分かり合っていると思う。理解した上で、同棲を選んだ。
去年はお互いに一人暮らしで、東北と関東での遠距離交際をしていた。会うのは月に一度。
それ以外の日は社宅のアパートでずっと独りで過ごしていた。
元来、独りは嫌いではないのだ。
それでも毎日独りでいると、寂しかった。世界の誰にも必要とされていない感覚があった。誰も私の心に触れてくれない。
寂しさを紛らわすように、私は私の心の内と対話を続けた。私の心の友人は私だけになってしまったのだが、困ったことに私は私のことが好きではなかった。
私が私の心に暴言を吐き続ける。
私の心はそれを飲み込み、受け入れ続ける。
私は人を傷つけることを極端に嫌う癖に、自分のことは際限無く痛めつけるのだ。
それでも私の心は対話を喜び、受け入れ、傷ついていった。
私が私の言葉に打ちのめされる前に、この孤独を捨て去らねば、と思った。
***
私は自分の本心というものがよくわからない。
こんなこと彼には言えないが、未だに私は彼を本当に好きなのか、一緒に居たいのか、確信できないような感覚がある。
ただ5年、付き合いを続けられた。
孤独を埋めたいと思った。
同棲を選ぶには、それで十分だと思った。
***
毎日、朝起きると彼が横にいる。
毎日、夕飯を一緒に食べ、余暇を共に過ごす。
毎日、同じ部屋で眠る。
孤独は影を潜めた。
毎日のように自分と対話する時間も無くなった。
良かった、もう執拗に傷つけられることもない。
けれども何故か、確かに得られた安心感とは裏腹に、どこかで一本の緊張の糸が張っている。
自分以外の存在との心のやり取りに、常に神経を張り巡らせている。
彼を傷つけないように、注意を払う。
私の心の声が聞こえなくなる。
そして今日、彼の長期休みが明けて私に孤独が訪れた瞬間、張り詰めた緊張の糸が切れたように体調を崩したのだった。
久々に自分の心と向き合う。溜め込んでいた感情と疲れを心が吐き出してきた。それをうんうんと聞いてやって、落ち着けていく。
相変わらず私は私のことが好きではないし、甘えるなと投げやりな言葉をぶつけてしまいそうになるけれど、それでも私の心には、私との対話が必要だったみたいだ。
ある哲学者の言葉を思い出す。
全く孤独のない世界は、少し不都合らしい。
心の自由は、孤独の中にのみある。
全て取り上げて遣るのは止めておこう。
心に少しの孤独と、寄り添いを。
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