幸福否定の研究-22 【症状とは何か?-2】

*この記事は、2012年~2013年にかけて、ウェブスペース En-Sophに掲載された連載の転載です。

【幸福否定の研究とは?】
勉強するために机に向かおうとすると、掃除などの他の事をしたくなったり、娯楽に耽りたくなる。自分の進歩に関係する事は、実行することが難しく、“時間潰し”は何時間でも苦もなくできてしまう。自らを“幸福にしよう”、"進歩、成長させよう”と思う反面、“幸福”や“進歩”から遠ざける行動をとってしまう、人間の心のしくみに関する研究。心理療法家、超心理学者の笠原敏雄が提唱している。

(承前)

またしても間隔が空いてしまったわけですが、前回は"症状"というものに対する私なりの考え方を書きました。主旨としては、これまでの患者さんに対する治療経験も踏まえた上で、"症状の強さは異常の程度と比例する"という、西洋医学の伝統的な考え方が必ずしも当てはまらないケースもあるのではないか?というものでした。

その延長にあるものとして、前回の最後で、「ストレス、トラウマ理論に立脚している現在の精神医療の問題点を簡単に紹介したい」と書いた通り、今回は笠原氏の心理療法の追試を踏まえ、現在の精神医学が孕む問題点に関しての私見を述べたいと思います。

(主に、笠原氏の著書、『加害者と被害者のトラウマ(国書刊行会、2011年)』を紹介する内容になります。)

■ PTSD理論の問題点

笠原氏は、現在の医学の主流になっている、"精神症状の原因がストレスまたはトラウマである"という説に反論しています。(注1)、(注2)

まず、PTSD理論の問題点については以下の7点を挙げています。

1.昔からある"発展途上国型"の"虐待"と、最近になってから起こる"文明国型"の虐待を、異質なものとして区別していないこと。

2.被害が先に確認される事例と、症状が先に問題にされる事例を、異質なものとして区別していないこと。

3.原因に関係する出来事の直後から起こる症状と、時間を置いてから起こる症状を区別していないこと。

4.自然災害による被害と、人災および犯罪による被害を、異質なものとして区別していないこと。

5.虐待や犯罪の場合、被害者と加害者の間柄(身内か、見ず知らずの他人か)を問題にしていないこと。

6.正常反応と異常反応を、異質のものとして区別していないこと。

7.どのような症状についても、その原因が科学的方法によって突き止められているわけではないこと。(引用:『加害者と被害者のトラウマ』 p41)

また、PTSD理論が科学的な方法によって導き出されたものではなく、主として政治的な運動を背景に発展してきたことについて、具体的な資料で指摘、批判しています。

私自身のスタンスとしては、現在のところ日々の患者さんに対する治療、心理療法を通じて、一つ一つ"証拠"を積み上げています。しかし、それをしないにせよ、"厳しい環境に居たから強くなった。甘い環境に居たから弱くなった"という、(主にスポーツの世界で)日常観察されるような現象が、ストレス理論、トラウマ理論では説明がつかないのは容易にわかることです。

また、時代を遡ってみれば、あらゆる面で不備が多かった過去の社会の方が現代社会より遥かにストレスが強いはずですが、実態としては前者の方が後者より精神症状は少なく、後者においても、先進国より環境面で過酷な発展途上国のほうが精神症状は格段に少ない、という事実もストレス、トラウマ理論とは矛盾しています。

筋道立った理屈、論理でに考える能力さえ持っていればすぐに破綻が分かる(と私は思うのですが)理論が医療関係者、科学者を含め、常識となっているのはどういう事なのでしょうか?

■ 受動的存在ではなく、主体的存在である人間

笠原氏は、ストレス、トラウマという根拠のない概念が暗黙の前提になってしまっている事に対して、"人間を環境に翻弄される受動的存在(と暗黙裡に)見なす”(同上p86)という批判をすると同時に、"人間は主体的存在である"という主張をしています。

この点は、私も同意見です。

なぜなら、【反応を追いかける】、【症状の直前の記憶が消えている出来事を探る】という科学的な方法論で確認して、同様の結論を得たからです。(参考:当連載 12回~16回)

小坂医師も、笠原氏も、そして私も最初はPTSD理論、ストレス理論から出発しています。小坂医師、笠原氏と私が違うのは、私が主に東洋医学の理論、オステオパシーの頭蓋仙骨療法の理論、TFT療法など代替医療を中心に学んできたことです。それでもPTSD理論とストレス理論を簡単に受け入れてしまったのは、他の医学も原因を外部に求め、人間を受動的な存在とみなしているからです。(注3)

話が少し大きくなりますが、私は、現在の医学に散見されるある種の問題点は、時代性に拘束される固有の問題ではなく、人類が数千年の間ずっと避け続けているものに関係しているのではないか?と思うのです。

では、根拠が無いのになぜ、人々は様々な精神症状の原因を外部に求めたがるのか?

笠原氏は(対象は現在の精神医学ですが)、大雑把に要約すると、"ストレスを乗り越える事や、自らの失敗や罪を反省する事の先にある、人格や品性の向上(=真の喜び)を避けている結果としてPTSD理論が生まれている”(筆者要約)、と主張しています。

彼が主張する、以下の2つの事柄、

・ストレスを乗り越える事
・失敗や罪の反省

これらに対しては、それぞれ心理療法と関連書を通じて、私自身も同様の結論を得ています。(注4)

心理療法の追試を通して、本心では人格の向上というものを望みながら、"抵抗"(この連載で繰り返し使ってきた言葉です)に直面し、跳ね返される事を繰り返すのが人間の特徴であることがわかってきました(跳ね返す一つの手段が精神症状なのです)。この点に関して、過酷な状況に置かれ、必要に迫られる形で人格の向上を望む人々がいる一方、ある種の冒険家、スポーツ選手、芸術家のように、自ら困難を望む人々も存在する、ということが一つのキーになるのではないでしょうか。

次回は、さらに壮大なテーマになってしまいますが、そういった人間の人間たる特徴(他の動物とは違うところ)は何か?という事について考えてみたいと思います。

注1
私自身は、ストレス理論に関しては心理療法の追試を始める前から違和感を感じていました。なぜなら、主に、うつ状態や自律神経系の不定愁訴、パニック障害などの患者さん本人から、"思い当たるストレスがない。普通のストレスはあるけど、特にこれといった出来事や悩みはない"と言うのを何度も聞いていたからです。

また、例えば長年の介護の後など、過酷な状況の後に症状が発症するケースもよくあります。この場合は、医師から"長年のストレスが溜まったから症状として出てきた”、または、"気が付かないストレスがある”、という説明を受けているようです。そうであれば身体の疾患のように傾向として年輩者のほうが多くなるはずですが、実際は若年層、中年層が中心になっています(ただ、うつ症状などは実際に仕事や介護など過酷な精神状況での発症もありますから、漠然とした違和感に留まっていました。ストレスで発症する事も当然存在するが、そうではない場合も考えうる、ということです)。

心理療法の追試をはじめる前までは、同じうつ症状でも、今現在の状況が過酷だという事がはっきりしている患者はストレスが原因、今現在の状況が取り立てて大変ではないのに発症した患者は他の事が原因(主に化学物質の蓄積、電磁波などの環境的な原因を考えていました)、さらに何度も症状を繰り返したり、症状の転換が起こる患者は自虐性が強い、などと考えていましたが、現在は程度に関係なく、原因は幸福否定にあるという見解を持っています。

PTSD理論に関しては、催眠療法の現状を勉強した際、そのロジックでは成り立たない事態が起きていることを知りました。1990年代に"催眠療法によって幼児時に虐待を受けた記憶が蘇った"として、親を相手取った訴訟が次々に起こりましたが、実際には虐待がなかったケースや原告の証言に辻褄が合わないケースが多数出てきたため、逆に患者の親が患者を訴えたり、患者がセラピストを訴えるケースが相次ぎました。(参考:『危ない精神分析―マインドハッカーたちの詐術』 矢幡洋著)原因を幼児期の人間関係のみに絞る事、また仮に虐待があったとしても、数十年経ってから症状が出ることの説明ができないことから、PTSD理論には無理があることははっきりしていると感じています。

注2
ストレス理論は1930年代半ばに、生理学者ハンス・セリエが提起した主張が原型になっています。セリエは、以下のように述べています

"一連の動物実験によって、生物体が外界からの刺激(ストレッサー)に直面した時に、自らの破綻を回避する目的で、警告期、抵抗期、疲憊(ひはい)期という3段階からなる、非特異的な(一定の)適応反応を起こすことが明らかになった"

その刺激は、外傷、出血、感染、薬物、寒暖、心理的刺激、絶食など、さまざまな”有害作用”まで拡張されましたが、これらは正常な自己防衛反応を引き起こします。その後、”小さな心理的ストレス”でも身体的変化が起こることが確認されていますが、あくまで正常な自己防衛反応の範囲内です。それが拡大解釈され、現在のストレス理論に繋がっているわけですが、自己防衛ではない、明らかな異常反応に対して使われており、理論の飛躍があります。(以上、『加害者と被害者のトラウマ』 第7章を中心に筆者が笠原氏の主張を要約)

※ 実例をあげると、正常反応=冬に一晩中外に居て風邪をひき、下痢になった。異常反応=会議の時になると、突発的にお腹を下し、その場に居られなくなる(過敏性大腸炎など)。これらの間に大きな差異が存在することは誰しも分かると思います。

注3
東洋医学では、主な病気の原因として、風、寒、暑、湿、燥、火の六淫を挙げています。また、怒、喜、憂、思、悲、恐、驚 を七情として心理面での要因に挙げています。(参考:『東洋医学概論』 医道の日本社 p62~63)その原因を外部に求め、人をストレスに弱い受動的な存在とみなす、という点は一致しています。

注4
心理療法では、犯罪について患者さんが積極的に話す事はほとんどありません。また、患者が実際に犯罪を犯している事もほとんどないと思います。「罪」の例として、法律的には問題ないのですが、人道的に問題がある例として、”友人を利用した”、”結婚するつもりもないのに避妊をせず、堕胎をさせた”などのケースが考えられます。そのような時は、抵抗を乗り越えたから正直に内容を話すようになったということで反省は済んでいる事になるので、心理療法内で深く掘り下げる事はしません。(あくまで、症状が出た直前を探る事に時間を使います)よって、犯罪に関しては関連書籍(主に手記)などで確認する事になります。  

文:ファミリー矯正院 心理療法室/ 渡辺 俊介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?