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文豪の足あとを巡る旅・その3 <逗子> 鏡花ゆかりの岩殿寺と文学碑を訪ねて


松汀園さんのお庭。
朝食会場からも良く見えて綺麗でした。


3日目は午前中いっぱい、バス&徒歩で逗子の街を巡りました。
逗子は、泉鏡花が胃腸病の療養のため、32〜36歳の間の4年間暮らした街で、『婦系図』『草迷宮』『春昼春昼後刻』といった名作は、逗子時代に書かれています。

七月、ますます健康を害(そこな)ひ、静養のため、逗子、田越に借家。一夏の仮すまひ、やがて四年越の長きに亘れり。殆ど、粥と、じゃが薯を食するのみ。 (中略) 蝶か、夢か、殆ど恍惚の間にあり。

『自筆年譜』泉鏡花

さすが日本有数の別荘地、古くから人々を惹きつけてきただけある、風光明媚な街でした。
とにかく海が碧くて綺麗で、白い波、柔らかな黄色の砂浜、青い空に、富士山が見えるのが素晴らしかったです。海沿いの景色など、泉鏡花作品に描かれたままの風景には感動でした。

 正面にくぎり正しい、雪白(せっぱく)な霞を召した山の女王のましますばかり。見渡す限り海の色。浜に引上げた船や、畚(びく)や、馬秣(まぐさ)のように散ばったかじめの如き、いずれも海に対して、我は顔をするのではないから、固(もと)より馴れた目を遮りはせぬ。

 かつ人一人いなければ、真昼の様な月夜とも想われよう。長閑さはしかし野にも山にも増(まさ)って、あらゆる白砂(はくさ)の俤は、暖い霧に似ている。

『春昼後刻』泉鏡花
大崎公園の展望台より。
『春昼後刻』のクライマックスを思わせる海の景色。
風が強く波が立っていたのですが、その形が「テン、テン、テンテンツツテンテンテン」の太鼓のリズムを思わせました。

<大崎公園>


展望台より逗子の街や葉山方面を望む。
『春昼後刻』の「鳴鶴ヶ岬」はこちらの方角のようです。


本当は物語の中でも印象的な「まんだら堂やぐら群」に足を運びたかったのですが、春と秋の公開日にしか中に入れないとのことで諦め、「三浦半島日和」さんのこの記事を参考に、泉先生の文学碑のあるところを巡ることにしました。


バスで小坪漁港(小坪マリーナの前)まで行き、そこから漁師町の細い路地の坂道(津波の避難経路)を上へ上へ登って、大崎公園へ。着いた時にはちょっとしたハイキング気分でヘトヘトでしたが、ご褒美の絶景に心打たれました。ちょうど河津桜も満開で、青い空と海とのコントラストが素敵でした。

ここは岬の高台が公園になっていて、展望台から逗子の海が一望できる上、江の島と富士山が一直線に並ぶ絶景スポットなのですが、お隣(散策路で繋がっている)の披露山公園ほど大きくはないからか、人もまばらで、散歩の人と少しすれ違う程度でした。(帰る頃に、遠足らしき子供たちがやってきましたが)

園内にトイレや東屋もあり、しばし休憩できるようになっています。


満開の河津桜。
空の青と花のピンクのコントラストが素敵でした。


富士山と江ノ島の眺め。


🐰公園内には泉鏡花の、かわいいウサギの形の文学碑があります。結構大きいサイズ。思わず撫で撫でして、一緒に自撮りしてみました。(笑)

「秋の雲 尾上のすすき 見ゆるなり」


裏に文学碑の由来が、分かりやすく書かれていました。
公園内はこんな感じで、左は広い芝生の公園、右へ進むと展望台があります。


<岩殿寺>


再び路地を歩いて漁港へ戻り、10分ほど歩いた小坪バス停から逗子駅方面のバスに乗りました。ここに限らず逗子の街は、昔ながらの細い道が多く入り組んだ迷路のようなところで(しかも急な坂道が多いです)、徒歩や自転車で向かうと迷子になりそうだったので、街巡りはバスが便利だと思いました。
駅前通りの久木西小路というバス停で下車し、小さな看板を辿って15分ほど住宅地の中を歩くと、岩殿寺(がんでんじ)の山門に辿り着きました。

海雲山 岩殿寺

1300年の歴史を持つ曹洞宗のお寺。泉鏡花ゆかりのお寺で『春昼』には、こちらのお寺や住職さんが案内役で登場します。明治時代の作品ですが、江戸時代からある観音堂や、幾つかあるお社は昔の面影を残していて、物語に描かれた風景が甦りました。

まずは山門を入ってすぐ左側の納経所より、本殿の秘仏であるご本尊の観音様に向かってお参り。ぼーんと鐘を鳴らして、一瞬何を間違えたか柏手を一回打ってしまって焦ってしまいましたが(苦笑)、その音で奥にいたお寺の方が気づいたようで、声をかけてくださり、案内の栞をいただきました。


観音堂へ続く階段から、逗子の街とその先に海が一望できます。
当時は住宅地のあたりに田んぼや菜の花畑が広がっていたようで、さぞ美しかったことでしょう。


 五段の階(きざはし)、縁の下を、馬が駈け抜けそうに高いけれども、欄干は影も留めない。昔はさこそと思われた。丹塗の柱、花狭間(はなはざま)、梁(うつばり)の波の紺青も、金色の竜も色さみしく、昼の月、茅を漏りて、唐戸に蝶の影さす光景(ありさま)、古き土佐絵の画面に似て、しかも名工の筆意に合(かな)い、眩ゆからぬが奥床しゅう、そぞろに尊く懐しい。 格子の中は暗かった。 

(中略)

 みまわすものの此処彼処、巡拝の札の貼りつけてないのは殆どない。

『春昼』
「九能谷の観音堂」
物語ではここで、語り部の散策子と案内役の住職が出会います。
*現在内部は非公開になっています。


軒下にはたくさんの千社札


観音堂のそばには「鏡花の池」があります。春の陽の光がスポットライトのようにキラキラ反射して素敵でした。
境内には他にも物語のキーワード「△□○」を思わせる五輪塔や、中の水路を辿ると海まで続いているという「蛇やぐら」があり、観音堂の裏の岩窟にはお寺のルーツである石仏十一面観音が祀られています。


「鏡花の池」
鏡花によって寄進された池とのことです。


プリミティブな雰囲気の、岩を掘って作られたお社。


物語では「蛇の矢倉」として登場する「蛇やぐら」。
覗くと確かに水が流れていました。


「普門品 ひねもす雨の 桜かな」

こちらの文学碑は、鏑木清方、里見弴、久保田万太郎といった、生前の鏡花と関わりの深かった人々によって建てられたそうです。


<まとめ>


幻想的な鏡花作品が多数生み出された逗子時代。物語の舞台を追って辿った先には、想像力を掻き立てるような絶景や言い伝え、何もかも包み込んでくれる穏やかで美しい海と明るい太陽、100年経っても受け継がれている古き良きもの、穏やかな街の人々との出会いがありました。

改めて『草迷宮』や『春昼』『春昼後刻』を読み返してみると、不安定な心や狂気と正気の狭間、夢と現を行き来するような場面が多くあり、作者自身書きながら精神のもつれた糸を解きほぐしているかのような印象を受けました。ちょうど病気からの回復期にいるような。
白日夢の中にふわふわ漂うような読後感はそのまま、太陽の光が煌めく海、波が打ち寄せてすべてを流し去る砂浜、吸い込まれるような青い空へと繋がって、色鮮やかな貝や手毬や花々などのモチーフに彩られた、詩的な幻想世界へとイメージが広がっていくのでした。

渚の砂は、崩しても、積る、くぼめば、たまる、音もせぬ。ただ美しい骨が出る。貝の色は、日の紅、渚の雪、浪の緑。

『春昼後刻』




<おまけ:Lilla KattenでFika☕️>


神武寺駅より徒歩20秒


帰り道、新横浜へ向かう前に、せっかくなので途中下車して、京急・神武寺駅前にあるスウェーデン菓子店『リッラカッテン』さんへ🐱🇸🇪  前から一度伺ってみたかったので、嬉しかったです。
ちょうどFettisdagen(セムラの日)だったので、セムラをお土産に、イートインはプリンセスケーキ。これだよこれ、と思わず懐かしかったです。


★最後までお読みいただき、ありがとうございました!

<おわり>