文豪の足あとを巡る旅・その3 <逗子> 鏡花ゆかりの岩殿寺と文学碑を訪ねて
3日目は午前中いっぱい、バス&徒歩で逗子の街を巡りました。
逗子は、泉鏡花が胃腸病の療養のため、32〜36歳の間の4年間暮らした街で、『婦系図』『草迷宮』『春昼・春昼後刻』といった名作は、逗子時代に書かれています。
さすが日本有数の別荘地、古くから人々を惹きつけてきただけある、風光明媚な街でした。
とにかく海が碧くて綺麗で、白い波、柔らかな黄色の砂浜、青い空に、富士山が見えるのが素晴らしかったです。海沿いの景色など、泉鏡花作品に描かれたままの風景には感動でした。
<大崎公園>
本当は物語の中でも印象的な「まんだら堂やぐら群」に足を運びたかったのですが、春と秋の公開日にしか中に入れないとのことで諦め、「三浦半島日和」さんのこの記事を参考に、泉先生の文学碑のあるところを巡ることにしました。
バスで小坪漁港(小坪マリーナの前)まで行き、そこから漁師町の細い路地の坂道(津波の避難経路)を上へ上へ登って、大崎公園へ。着いた時にはちょっとしたハイキング気分でヘトヘトでしたが、ご褒美の絶景に心打たれました。ちょうど河津桜も満開で、青い空と海とのコントラストが素敵でした。
ここは岬の高台が公園になっていて、展望台から逗子の海が一望できる上、江の島と富士山が一直線に並ぶ絶景スポットなのですが、お隣(散策路で繋がっている)の披露山公園ほど大きくはないからか、人もまばらで、散歩の人と少しすれ違う程度でした。(帰る頃に、遠足らしき子供たちがやってきましたが)
園内にトイレや東屋もあり、しばし休憩できるようになっています。
🐰公園内には泉鏡花の、かわいいウサギの形の文学碑があります。結構大きいサイズ。思わず撫で撫でして、一緒に自撮りしてみました。(笑)
<岩殿寺>
再び路地を歩いて漁港へ戻り、10分ほど歩いた小坪バス停から逗子駅方面のバスに乗りました。ここに限らず逗子の街は、昔ながらの細い道が多く入り組んだ迷路のようなところで(しかも急な坂道が多いです)、徒歩や自転車で向かうと迷子になりそうだったので、街巡りはバスが便利だと思いました。
駅前通りの久木西小路というバス停で下車し、小さな看板を辿って15分ほど住宅地の中を歩くと、岩殿寺(がんでんじ)の山門に辿り着きました。
1300年の歴史を持つ曹洞宗のお寺。泉鏡花ゆかりのお寺で『春昼』には、こちらのお寺や住職さんが案内役で登場します。明治時代の作品ですが、江戸時代からある観音堂や、幾つかあるお社は昔の面影を残していて、物語に描かれた風景が甦りました。
まずは山門を入ってすぐ左側の納経所より、本殿の秘仏であるご本尊の観音様に向かってお参り。ぼーんと鐘を鳴らして、一瞬何を間違えたか柏手を一回打ってしまって焦ってしまいましたが(苦笑)、その音で奥にいたお寺の方が気づいたようで、声をかけてくださり、案内の栞をいただきました。
観音堂のそばには「鏡花の池」があります。春の陽の光がスポットライトのようにキラキラ反射して素敵でした。
境内には他にも物語のキーワード「△□○」を思わせる五輪塔や、中の水路を辿ると海まで続いているという「蛇やぐら」があり、観音堂の裏の岩窟にはお寺のルーツである石仏十一面観音が祀られています。
<まとめ>
幻想的な鏡花作品が多数生み出された逗子時代。物語の舞台を追って辿った先には、想像力を掻き立てるような絶景や言い伝え、何もかも包み込んでくれる穏やかで美しい海と明るい太陽、100年経っても受け継がれている古き良きもの、穏やかな街の人々との出会いがありました。
改めて『草迷宮』や『春昼』『春昼後刻』を読み返してみると、不安定な心や狂気と正気の狭間、夢と現を行き来するような場面が多くあり、作者自身書きながら精神のもつれた糸を解きほぐしているかのような印象を受けました。ちょうど病気からの回復期にいるような。
白日夢の中にふわふわ漂うような読後感はそのまま、太陽の光が煌めく海、波が打ち寄せてすべてを流し去る砂浜、吸い込まれるような青い空へと繋がって、色鮮やかな貝や手毬や花々などのモチーフに彩られた、詩的な幻想世界へとイメージが広がっていくのでした。
<おまけ:Lilla KattenでFika☕️>
帰り道、新横浜へ向かう前に、せっかくなので途中下車して、京急・神武寺駅前にあるスウェーデン菓子店『リッラカッテン』さんへ🐱🇸🇪 前から一度伺ってみたかったので、嬉しかったです。
ちょうどFettisdagen(セムラの日)だったので、セムラをお土産に、イートインはプリンセスケーキ。これだよこれ、と思わず懐かしかったです。
★最後までお読みいただき、ありがとうございました!
<おわり>