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ヴァージニア・ウルフ 『波』 『ある作家の日記』


Virginia Woolf: "The Waves" (1931)

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6月に出版されたばかりの『波〔新訳版〕』(森山恵訳/早川書房)を購入し、読みました。「20世紀モダニズム文学の極北」と紹介され、ウルフ作品の中でも特に難しいと言われる作品。以前、図書館で旧訳のほうを借りて読んだので、今回は2回目でしたが、ここ1年くらいの間ブルームズベリー・グループについての本をいろいろと読み漁ったおかげで、それぞれのキャラクターのイメージが掴みやすくなり、前回よりも細かい部分を楽しむことができました。

確かに、一般的な小説の形式に慣れていると、最初面食らいますが、舞台に立った6人の役者が、それぞれ自分の頭に浮かんだ様々な思いや感情を、色彩豊かな、五感で感じるようなイメージに乗せて表現する劇を想像すると、すっと入ってきます。ストーリーを追うのはなかなか難しいですが、最後の章でバーナードの語りとして要約されています。全体を通して流れる、「色」と「自然」(植物や生物)の、象徴的で美しい描写が印象的でした。

ウルフの作品はどれも最後の一文が鮮やかで好きなのですが、この作品もラストが素晴らしいです。(バーナードの最期の言葉も含めて)

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キャラクターのモデルになったと思われる人物については、訳者あとがきやWikipediaにも記されています。Michael Holroydによる伝記("Lytton Strachey the New Biography"/邦訳は映画『キャリントン』の原作として、後半部のみの収録)をずっと読んでいるので、リットン・ストレイチーがモデルとされるネヴィルの描写については、あのことかしら?と想像して読んでいました。

何人かの人物が投影されているようなので、名前が挙がっている人以外にもモデルとなった人物やエピソードはあるだろうし、ウルフ自身の人格の多様な面や、もっと一般的な、世の中の幾つかのタイプの人々をそれぞれのキャラクターとして描いているようにも思えます。(誰にでも思い当たる節があるような。自分自身だったり、周りの人だったり)

リットンが亡くなってから書かれたのかと思っていたのですが、存命中に出版されていたようで(その頃には本が読めないほど病状が悪化していたようですが)、もし読んでいたら、本人の感想がどんなものだったか気になります。旧友に対する深い理解がありつつ、バイアスのかかっていない客観的な描写は、ウルフの作家としての観察眼が現れていると思いました。

(2021.8.7 追記)リットンの伝記に少しだけ書かれていました。
「ヴァージニアから最新作『波』が送られていたが、それに熱中することは避けた。「ひたすら恐ろしいのだ」(中略)「身震いがして止まらない ーー思い切って読みふけることができない。それを先延ばしにする口実として、あたりに転がっている本を手当たりしだいにつかむ(後略)」(『キャリントン』p.601-602)


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"A Writer's Diary"(1953)

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『ある作家の日記』(神谷美恵子訳/みすず書房/1977)<写真右>

ヴァージニアの1918年〜亡くなる1941年までの日記を、夫のレナード・ウルフが抜粋して編集し出版したもの。図書館で見かけて借りてみました。日々の記録以外にも、創作記録ノートとしての面もあったようで、それぞれの作品についてのヴァージニアの思い、創作過程の苦しみや批評に対する一喜一憂、夫や友人たちからの感想などが綴られていて、ウルフ作品のバックグラウンドが垣間見えて興味深かったです。

「(作家にとって)一つの本の試金石(テスト)は、自分の言いたいことをごく自然に言えるような、そういう空間を作れるか、ということにある。けさのように、ローダが言ったことを私は言うことができた。この本が生きたものだという証明である。なぜならこの本は私の言いたかったことをつぶしてしまわず、少しも圧縮や変化を加えることなく、私が中にこっそりすべりこむことを許してくれたから」(日記 1930 三月十七日(月)/p.221~222)
「(前略)この本は私のあらゆる本の中で最も複雑でむずかしいものだと感じる。どういう風にこれを終えたらいいかがわからない。どの人生にも語らせるような、すさまじい論議 ーー 一つのモザイック ーー で終えるのでもなければ。困難な点は、これがぜんぶ高い圧力を帯びている、ということにある。話す声というものを私はまだマスターしていない。でも何かがそこにあると思う。だから私は苦労しながらしごとをつづけ、多くの部分を詩のように声を出しながら書き直して行くつもりだ。これは拡張に耐えるものとなるだろう。圧縮されたものと思うから。私にわかるかぎりでは、これは大きくて可能性のあるテーマだと思う。(中略)ともかく私は私のかまえをとったのだ。」(日記 1930 三月二八日(金)/p.222~223)

ブルームズベリー・グループの人々は、作品を書くと、友人たちの前で声に出して読んで披露していたそうで、それがコンパクトで解りやすい、無駄のない文章や、流れるような美しい文章を作る手助けになっていたんだろうと思います。

他にもウルフ自身の病気のことや、第二次世界大戦中の空襲のことであったり、晩年は段々と暗い影が覆ってきているのが日記からも読み取れて、どうしてあんな最期を選んだのか、少し理解できた気がします。ウルフの自伝としても興味深く読むことができました。


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