妄想記
パニック障害とうつ病で、死に関する妄想の彩りは異なる。これが一般的、典型的症状かはわからない、全く私的な経験であることを断った上で、違いを語ってみたい。
パニック障害とは、「今まさに死んでしまうどうしよう(死にたくない)」であり、うつ病は、「明日死ぬ事が確実なんだけどどうしよう(準備しないと)」の感覚だ。
パニック障害になったのは、仕事の移動で乗った飛行機の中だった。何となく恐い。飛行機嫌いでもないのになんで。
ふいにくすぶった不安が、心理的物理的閉鎖環境でいい感じに煮込まれて、やがて全身を支配する恐怖に仕上がっていった。
早い段階で隣の知人に、我が身に起こる嫌な感じを呟いていたら良かったのだ。「ちょっと今気分悪いです」とかなんとか。だが、その時隣にいたのは身内でもない仕事のパートナー(しかも盛んにうろたえそう)。
痛み等の身体不調ならまだしも、根拠なきメンタルの不調は、いい大人(当時27くらい)が言うにはあまりにハードルが高い。
「確実にこの飛行機は落ちる」。そんな超常的妄想が返す返す執拗に押し寄せてくる。降りたい。怖すぎる。しかし隣に悟られたら恥ずかしい。平静に平静に。
装うほどに、動悸がして息が上がり脂汗が出る。余計に緊張が増す、自縄自縛のループ。
結果的に、横に座る知人に私の異状はバレなかった。CAが気づいたところで、飛行機嫌いかなというぐらい、ただ苦悶の表情を浮かべて固まる乗客という風情だったろう。
しかし私の心内は地獄だった。何でもいいから早く結着してくれ。死ぬでも死なないでもいいから!この恐ろしい妄想から逃れられない(文字通り)宙ぶらりんの状態があまりに辛いのだ!
当たり前だが機体は無事着陸し、私は傍目にわかる過呼吸を起こすこともなく済んだ。しかしそれ以降、飛行機搭乗の予定があると、また頭がイカれてしまうのではという強い「予期不安」を覚えるようになった。
薬は副作用ばかりであまり奏功せず。実地での症状の有無は同乗者に影響され、飛行機好きの友達に笑われながら乗ると発作(恐怖)は強くなり、恋人に励まされながらだとわりと大丈夫だった。後者の「成功体験」を数回繰り返すうち、パニックや予期不安は起きなくなった。克服と言えると思う。
ひるがえって、うつの時の「死」というのは、全く剣呑さのないとても身近な存在で、ある種、仲が良すぎる状態だと思う。
世を儚み死んでしまいたいという、いわゆる希死念慮がうつの一番のイメージだと思うが、実際なってみると、現実認知が根こそぎ死とがっちり結びつき離れなかった、という方が実感に近い。
21歳頃。当時の恋人や親友によく吐いていたのは、「10年後もこの地で生きてる自分って想像できる?」という、ハルキスティックな台詞だ。(すいません村上春樹読んだ事ないです言ってみたかっただけ)
別に仏映画の主人公のような倦んだ表情でのたまっていたわけでもなく、本人にとっては至って真剣かつ日常的な質問だった。(すごい迷惑だったと思うが)
10年後、今とそう変わらない日本のどこかで生きている自分。というのが全く想像できぬファンタジーで、明日、自分は交通事故で死ぬ。という方に、よほど絶大なリアリティがある。
未来を想像するエネルギーが脳に足りていない、視野狭窄の状態。明日までがせいぜい考えられる限界だった。
死にたいという憧景混じりの欲望以上に、「明日死ぬ」という疑いようのない既成事実に自らを合わせるために、さぁ飛び降りるか、という、同期的動機(!)。逆算的な死への指向があった。(しかし死ぬ行動力も足りなかったりするのがミソ)
うつで動けなかった期間は1〜2年ほど。頭が働かず生理は止まり、妙齢にして認知症と更年期を先取りの有り様だった。
病院に行く気力もなしに治った経緯は、何せ頭がアレだったので記憶もおぼろげだが、後から考えるに、「飽きた」というのが正確な答えだと思う。遂行前に「死」に飽きた。1年以上、心身膠着の仮死状態だったのだから。
まぁ、その後パニック障害は起こすし、後遺症のような摂食障害は、結局完治まで10年ぐらいかかってしまうのだが。どちらも、うつ最悪期に比べたらマシだ。
ちなみに摂食障害は、抗うつ薬が効いた。(うつ抜け8年後、受診する健康を得てから「うつ」診断される不条理‥)。内服開始までの浪費(食費)を考えると本当に愚かしく空しいが、仕方ない。
そんな私も御歳39才、ぎゅんぎゅんに生きている。今こうして年を取り、笑うこと泣くことは確実に減ってしまったが、かわりに面の皮は厚くたくましくなったし、一方、悪癖に使う体力は減った。
ありがたくも、メンヘラ女子から普通のおばちゃんに熟されたのである。
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