なぜ沖縄でトレーニングジムを開いたのか?
縁もゆかりもない沖縄で、なぜトレーニングジムを開いたのか?
2010年に沖縄に来て、今年でちょうど10年になりますが、
という質問を、お客様からも同業者からもよくいただきます。
というのも僕は愛知県出身で、
学生時代を沖縄で過ごしたわけでもなく、
家族にも沖縄に縁のある人間はいないので、
「なんで沖縄にいるの?」
と当然聞かれます。
ちなみに観光で沖縄に来たことも一度もなかったので、
「沖縄の青い海に誘われてきた」
というわけでもありません。
なんとなく入ったトレーナーチーム
沖縄でトレーナー活動している理由の前に、少し話をさかのぼると、
大学は地元の中京大学にすすみました。
体育学部に入りましたが、当時の中京大学は「トレーナーコース」というものはなく、
どちらかというと「体育の先生」を養成する「教職課程」がメインの学部でした。
ただ僕は特に大きな目標もなく、
くらいの気持ちで入ったので、どこかの部活に入ることもなく、バイトでお金を貯めて、そのお金で遊びに行こう、と考えてる典型的なゆるい大学生でした。
そんな中、最初に仲良くなった友達が、
ということで、軽い気持ちでトレーナーチームの説明会に行きました。
その友人は高校時代から立花龍司さんの本を読んでいたり、トレーナーに指導してもらった経験もあったようで、最初からトレーナーになりたくて大学入学した子でした。
そんなやる気に溢れてる彼に誘われてなんとなく説明会に行き、
ただで食事を食べれるらしいということで、なんとなく新入生歓迎会にも行き、
新入生歓迎会に行ったからにはなんとなく入部しないといけない雰囲気になり、
そのままなんとなくトレーナーチームに入りました。
結果として4年間在籍することになるのですが、肝心のトレーナーの勉強にはほとんど身が入らず過ごします。
というより、優秀な人材が同期にも先輩にも多すぎたのと、自分のセンスのなさを痛感し、おもしろさを感じずに過ごしてました。
ペアストレッチ一つにしても、うまい人はタッチが柔らかく、受ける側も心地いいんですよね。
そういうやわらかいタッチが僕には皆無で、力加減が分からず練習中に同期の肋骨を折りそうになったこともありました。
ということを、この時の経験から強烈に叩き込まれました。
ちなみにトレーナーという仕事自体にはすごく魅了されました。
高校2年のサッカー部の練習で腰椎分離症を起こして以来、病院や治療院を色々回ってもまったく改善しなかったのですが、
トレーナーチームの先輩に教えてもらったエクササイズを二週間続けていたら、腰の痛みは完全に消えました。今でも再発してません。
「トレーナーってすごい」
と強烈に思った出来事です。けれども、先ほども言ったように勉強には身が入らない4年を過ごします。
勝つには2パターン
で、いざ進路を決めるときに、
とそこで初めてスイッチが入りました、なんとなく在籍だけしていた4年を後悔したんですよね。
そこから富山県高岡市にあるパーソナルジムで3年間修行させてもらうことになりました。
ここでも自分のセンスのなさを嫌というほど痛感することになるのですが、
我慢強く三年指導してもらったおかげでトレーナーとして成長することができました。
3年経ったら独立することは決めていたので、
「どこで活動しようか?」
と考え始めます。
最初は地元の愛知で起業しようと考えました、知人も多く依頼してくれる仕事もいくつかあったので。
ただ自分の能力は自分でよくわかっていたので、普通にやっても勝てないことはわかってました。
ここで考えたのが、
の2パターンです。
①は「ずば抜けた能力や技術がある」人達です。
「カリスマトレーナー」とか「ゴッドハンド」と呼ばれる人達ですね。
②は誰でもできることだけだけど、意外と誰もやってないこと。
「ニッチ」や「すきま産業」とも呼べます。
自分は②しかないなと思いました。
トレーナーは続けたいけど稼げないならやめた方が良いと思ってたので、
を早めに見極めようとも思いました。
じゃあどうやったら稼げるのか考えたら②しか選択肢はありませんでした。
でそのときに考えたのが、
と考え、そのときにぱっと頭に浮かんだのが「沖縄」でした。
稼げない地域と言われた「沖縄」
というのも、全国のセミナーや講習会に学生時代から参加していても「沖縄のトレーナー」さんと出会ったことがなかったんですよね。
そのイメージを拡大解釈して、
と、20代の時は勝手にそう思い込んでました。大変失礼な話です。
結果的には活動されているトレーナーさんはたくさんいらっしゃったのですが。
というのも、下調べをあまりしすぎると「沖縄で活動する不安」が膨らんできそうだったので、
あえて下調べせずに行こうと決めていました。
これは今でもそうですが、何かをスタートする時に下調べしすぎると不安が大きくなって結局やらなくなるので、
最低限の準備したらすぐにスタートするようにしてます。
で、当時も下調べは全くせず、
「沖縄にはトレーナーがいないからチャンスだ」
と、思い込んだまま沖縄へいくことになります。
けれども沖縄行きを親しい仲間に伝えると、
と大多数の人に言われました。
平均所得でも下位にいることが多い沖縄だったので、なおさらビジネスが厳しい地域というイメージがあったのかもしれません。
ここで、先ほどの「②誰もやらないことをやる(ニッチ)」を深掘りすると、
誰も気付いていないケースもあるけど、
というケースもあり、
沖縄でのビジネスはまさに「気にはなってるけど、リスクがあるからやらない」とうケースだったと思います。
2020年現在では沖縄はビジネスチャンスはある、という認識に変わってきてますが、
僕が来た2010年はまだ未知の部分がありました。
けれどもまとめにやっても勝てないので、
「リスクがあるところに飛び込む」
必要性がありました。
あとはトレーナーという仕事を長く続けたかったので、「稼げる力があるかどうか」も早く見極めたかったところもあります。
そんな気持ちでいたので、期限は30歳までと決めて(沖縄来た時は26歳)、
30歳までに稼げてなかったらやめよう、と自分の中でルールを決めて沖縄に出発します。
今だったら勝てない
沖縄に来てからの話もここですると、とんでもなく長くなりそうなので省略しますが(笑)、
結果としては、
2010年から五年間はフリーランスのトレーナーとして活動
→2015年那覇市にパーソナルトレーニングジム開業
→2018年法人化
→2019年二店舗目開業(現在は閉店)
と、おかげさまでトレーナーとして活動することができてます。
実感したことは、どの業界でも「先行者優位」というのは間違い無くあって、
僕が沖縄にきたときも、
と最初の5年は言われ続けました。
ともよく言われました。
知らないことを普及させていく苦労は、最初の数年間は間違いなくありますが、
そこを抜ければ「沖縄のパーソナルトレーナーならこの人!」という先行者優位のメリットもあります。
今では沖縄は全国の中でも「パーソナルトレーニング激戦区」になり、
毎月のようにパーソナルジムができています。
今だったら沖縄に来ないですね、この中で勝てる気がしません(笑)
そういった意味では、凡人が勝つ方法の一つとして
のマインドは必要だったと実感しています。
自分で体験したことだけ信じる
でトレーナーとしてうまくいったかどうかよりも、すごく強く感じたのは、
ということです。
最初に述べた「沖縄でビジネスは厳しい」という話も、そういう地域があるというだけで、那覇市に関していえば全くそんなことはありません。
むしろビジネスしやすい地域だと思います。
けれども、これは自分が実際に那覇市で商売したから言えることで、
経験しなければ、僕も「沖縄は商売の厳しいところ」というイメージをずっと持っていたと思います。
政治に関しては特に思想もなく、あまりわかったようなことは言えませんが、
沖縄県民がみんな基地に反対しているかというと、実際はそうでもありません。基地ができることで雇用が生まれ、それを望んでいる人もいるということです。
これも実際にその地域に住んでいるからわかることです。
本当に身につけたいこと、自信を持って伝えたいことは、
ということしか方法はないなと思ってます。
沖縄で活動している理由から随分話が飛んでしまいましたが(笑)、
そんな感じで温暖な気候で海に囲まれた環境で楽しくトレーナー活動している毎日です。
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