名古屋ラーメン論争

 名古屋って土地はかなりクセのある食文化があるから、ラーメンも当然ながらクセがあるし、未だにラーメン二郎が名古屋に来てないのも、全国区のラーメンチェーンもイマイチ名古屋都心部を攻略出来ていないのも全部全部名古屋の独特な文化の所為ではあるのだが、しかしそれ故に、名古屋でラーメンって言ったら台湾ラーメンとスガキヤ、名古屋以外でも食えるけど台湾まぜそば、ちょっと気取ってベトコンラーメンと言う辺りがベターだろう。

 で、問題は、そう言う事じゃなくて、そう言うのに飽き飽きした読者向けに、「真の名古屋ラーメン通はラーメン福と好来系ラーメンを推すんだ」って言う様な言説をチョコチョコ見掛けるってコトだ。

 別にラーメン福も好来系も全然美味いと思うし、嫌いでは全然ないのだけど、しかし、それを名古屋のウラ代表とか言われるともやっと来るだろう。

 例えばアメリカ人が、本場のラーメンを食うぜって言う話になった時、「俺は真のラーメン通だから王将と日高屋行くぜ」ってなったら宇宙猫の顔になるだろうと。

 別に王将も日高屋も良い店だと思うけど、それを日本のウラ代表みたいなポジションに付けたら絶対に良くないと思うんだよ。

 お前が美味いと思うラーメン屋に連れて行けと言うのと、名古屋に折角来たから名古屋のラーメン食わせてくれって言うのとでは、連れていく店全然違うじゃん。

 個人的には万楽とまきのツートップなのだが、その辺も人によって違う。(でも万楽とまきはマジで美味いので行って欲しい。近頃めっきり食えなくなった二郎系を加えるとするならラーメン大はとても良い店だ。君が十代二十代なら是非行くべき店だと言える)

 スガキヤに関してはもはや名古屋人でアレをラーメンとして認識しているかどうかは微妙だ。スガキヤはスガキヤであり、スガキヤ分と言う希少元素を定期的に取り込む為に食べるものだ。美味いとか美味くないと言う話ではない。

 そもそも地場モノの名物料理なんて、何処の地域に関しても大抵は微妙なモノだ。結局観光客向けに作られたモノの方が人間満足する。

 名古屋で味噌カツを食いたいなら何処の定食屋に入っても食えるが、観光客がゲットしたいのは矢場とんで食ったと言う実績である。

 人はラーメンを食いたいのではなく、情報を食いたいのだと言うのはその通りなのだ。
 その食品が美味いかどうかではなく、食ったという実績であり、食いに行ったと言うストーリーなのである。

 遠からず、食った実績を登録するトークンが出回るのではないかと思う。
 NFTみたいなものである。
 その実績とストーリーを所持できれば満足と言う時代が遠からず来そうだ。

 SFかぶれの絵空事と思われるかも知れないが、ラーメン屋のスタンプを貯めると貰えるTシャツや、ビールイベントで何杯飲むと貰えるタオルとか、そう言うモノが電子化されているのと同じだ。

 Tシャツもタオルも、転売する人間から買えば自分がそれを達成したような顔が出来る。
 同じラーメンやビールなら何杯も飲み食いする必要はない。それっぽく語れれば良いのだ。

 いつぞタモリ倶楽部の空耳アワーでTシャツ持っている奴を集めたいって話をしたとき、「転売で買った奴とかいるでしょう」みたいな話が出てきた。
 それは非常に示唆的である。
 「空耳アワーで評価された」と言う名誉を形だけでもお金でゲットできるのである。

 食のNFT化の前に、人間のサイボーグ化とかそう言うことはあり得るだろうが、しかし食が情報として消費されて売買されることは遠からずある話である。

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