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異常に慣れるということ

帰国して半年以上がたった。初めのころに比べるとマスクは必要だけど買い物も外出もできる今の状態はある種”普通”なものになっていると気づいた。

初めのうちはまだ”そうではなかった時”の記憶が鮮明にあるから余計にそこまでの制限を不快に思う人もいたのだと思うがそれが当たり前になってきた今、今度は元に戻らなくても大丈夫なのではないかという風潮を感じる。

YouTubeで海外の大学生のVlogを見るのが好きなのだが、彼らはオンライン授業を受けていることがあるにせよ、友人と会ったり大学の図書館に行ったり構内で時間を過ごしたりしている。

馬鹿らしくなってくるというと言葉が悪いが、何で国が違うというだけでここまで大学生の置かれる状況が違うのかと悲しくなってくる。留学先だった国は帰国した2,3か月後には対面授業を解禁したため今期留学するはずだった学生はその大学の授業をオンラインで受けるという選択肢がなくなった。マスクの着用は推奨されてはいるが現地にいる友達のSNSを見る限りは徹底されているわけでもなく、寮内もいわば”密”状態が多く起きている。感染するリスクが高まるから学内でマスクを着用せずに話すことや隣や正面に座ることが禁止され、オンライン授業が続いていることはよく理解している。しかし、どうしても彼らが、私が今まで普通に過ごしてきた大学生活を楽しめている彼らがたまらなくうらやましい。

同じ大学の友達は地方に帰っていたり授業が忙しくて会えない。大学にみんなが登校していた時とは違い、授業を受けるためには家にいなければならない現状で、それぞれのスケジュールが違う中会おうとすることは本当に大変なのだとわかった。そして会いたい、会えそうだと思ってもその相手たちもスケジュール調整に協力してくれないと会えない。いくら自分は会いたいと思っていても相手の反応が悪かったり遅かったりすると、ああそこまでの労力を割いて会いたいわけではない、口だけなんだなと思ってしまうのに疲れて同じ大学の人には会おうとしなくなった。でもそれって冷静に考えると”異常”なことで、それに慣れるのがいいのか私にはわからない。

ただ、この差を自分にはどうにもできないことが悔しい。私一人の力で大学の授業を対面にできるわけでも友達に自由に会えるわけでもない。オンライン授業は有無を言わせず進んでいく、何も状況は変わらない。きっとこの”異常”のまま卒業していくんだろうなと思うとやるせない。なぜ大学生のみがオンライン授業を続けなければならないのかという議論の時に全世界の大学生が今大変、というような意見をよく見るが、正直「だから何?」だし、そんなにいわば抑圧されている中でちょっと外出や小旅行をすると「若者の感染が増えてきました」「だから若者は」みたいな風潮が出るのも慣れ過ぎて笑えてくる。そう言っている人々がどの年代かどんな人生をたどってきたのかはわからないけれど、「だったら自分たちが大学生の時半年以上室内に拘束されて大学に行くこともサークル活動も友達に会うことも自由にできなくても我慢できる自信がおありなんですね」と言いたくなる、言わないけど。異常事態にストレスが溜まってそれを共通のターゲット:若者とすることで発散したいのかもしれない、知らないけど。

とにかく、少なくとも「全世界の」大学生が「日本の」大学生と同じくらい行動制限されているわけではないことは事実で、コロナを避ける、ではなくコロナとともに生きていくようなアプローチが必要なのではないかと思う。元の生活に数年で戻れるとは思っていないけれどオンライン授業も入構、滞在制限、も根本的な策ではない。私たちが今抱えている、感じているストレスややるせなさが少しでも将来に役立てばいいと思うばかりだ。同じようなことを思う大学生が少しでも少なくなりますように。


予期せぬことやショックなこと、そうしようもないことに出会ったとき、慣れることは先に進むために必要な時もあるしそれ以外の(すぐできる)選択肢がないとも思う。でもあまりにも何でも「仕方ない」と受け入れることは自分を守っているようで逃げていることにもなるのではないかと考えるこの頃。

はじめまして、まだまだ勉強中の学生ですが良かったらサポートしてくださると助かります!