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「椿」の世界

noteでの椿はあくまでもnoteの椿であって、リアルの私ではない。

だからここで出会った誰かがここを去っていくときに、私ができることはない。ただ「お元気で」というしかないネットでの繋がりとは何だろうか。

リアルな世界ならまた会えるのに、ネットの世界の人とはもう会えない。

個人的に別の形で繋がらなければ、どちらかが閉じたら永遠に関係は終わるのだ。

リアルの世界の私は誰かとの別れがとても嫌いで、友達が減らなくて疲れて困ったこともある。小学校の友達、中学の友達、高校、大学、会社、子供の関係のママ友、引っ越すたびに知り合った友達たち、そんなふうにずっとずっと出会った人たちとは繋がってきた。

別に友達がたくさんほしくてがんばるタイプではないけれど、人が好きだからいつも人を知りたいと思う。知りたいと思ったときに相手のテリトリーに入るだけのまっすぐさを多分私は持っていて、仲良くなりたい人とは必ず仲良くなる。

仲良くなった人は仲良くなりたいと思った人だから、当然別れたくない。みんな素敵な人たちだから。

これまで事情があって私から意図的に距離を置いた友人がいるけど、そういう行為はとてもとても苦手で、そのときは自分の心を安定させるのにかなりの年月を要した。

相手が寂しくないかが気がかりで心がつらかった。相手にいつの間にか依存していた自分を断ち切るのもつらかった。

付き合いが長ければ長いほど、築きあげた関係を終えるのには寂しさとつらさをともなう。私は人一倍自分のことを寂しがりだと思っている。

知り合った誰かとはいつでも繋がれる関係でいたいと私は思う。

でもネットの世界は私にとっては完全に隔たりのある世界で、この2つを繋げることは今のところできない。

だから椿の世界はリアルには開かれない。たぶんこの先もリアルとは離された世界。

きっとこれは寂しいことだろう。

こんな寂しい世界を私は椿として作り上げてしまった。

温かい気持ちのやり取りをしながら、永遠には続かない何か。どちらかが閉じれば終わる繋がり。とてももろくて儚い繋がり。

そういう覚悟を持つ必要が「椿」にはあるんだね。


#エッセイ #リアル #note #世界 #繋がり #出会い

よく思うんです。例えば私が今日の夜に交通事故にでもあって死んでしまったとしましょう。更新はそれ以降突然、途絶えます。更新が途絶えたけれどどうしたんだろうって心配してくれる人がいてもその人たちには何も伝わらない。これがネットの世界です。

リアルな世界だとどこかから繋がっていて誰かから連絡が入るけど、そうならないのがネットの世界。丁寧に関係性を築いても、その繋がりは何かの瞬間にスッと消えてしまう。

じゃぁだから、ここでの繋がりを適当にしちゃうのかというと、それも違う。私はここでのみんなを大切に思っています。椿でいる間は、みんなと友人として繋がりたいと思っています。流れていく人々を追わないけれど、追うすべはないけれど、私は去らずにまだしばらくここにいます。いつまでいれるか分からないけどとりあえず今はね。

もし死んじゃったらね、ここの私を唯一知っているリアルな世界の友人に頼んでるんです。私の最後の投稿のコメント欄に「椿は亡くなりました」ってコメントしてみなさんにお知らせしてねって。でもね、彼女、ネットの世界が得意じゃなくて、うまくやってもらえるとは思えないなぁ。笑。

だから死なないように気をつけますね。



お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨