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#31 青信号

分かってる。今日で終わりじゃない。またすぐ会社で会えるし、中山さんが私から去るわけじゃない。分かってるけど心が引き裂かれる思いになる。こんなにそばにいたいのに、中山さんの愛を見たいのに、中山さんはどうしてそんなに簡単に東京に帰ろうって言えるの?

誕生日の今日、仕事で岐阜に向かった中山さんを追いかけてきてずっと一緒に過ごした。奥さんと過ごすはずの休日を私にくれた。いつもより中山さんを近くに感じる夢のような時間。でもやっぱり今日も中山さんは奥さんのもとに帰るの? 私は一晩中ずっと一緒にいたいのに、そう覚悟を決めてきたのに、その想いを中山さんに伝えることさえできない。

寂しくて泣いてしまいそうになる気持ちを必死でおさえる。口を開けばきっと涙とともにたくさんの思いをぶつけてしまう。抱えきれない想いを抱えきれないままに中山さんにぶつけてしまって困らせるだろう。中山さんへの愛はもうあふれすぎているから。

だから中山さんが「ごめんね、結城さん。今日は帰れると思って部屋をおさえてないんだ」って言ったあと、私は黙って小さくうなずくしかなかった。

わがままを言えない自分が苦しい。

車が走り出した。ラジオからは切ない音楽が流れている。信号は青ばかりで、あまりにもスムーズに駅までの距離を縮めていく。

ときどき灯りが見えては消える暗い窓の外を眺めながら、一緒に過ごせるあと少しの時間をちゃんと大切にしなきゃと思って気持ちばかり焦るけど、寂しさが強くて心を整えることができない。

揺れる心に息苦しさを感じていると、目の前の信号がギリギリで赤に変わった。少し強くブレーキを踏む中山さん。

車が止まったら、中山さんが私の手をそっと握ってくれた。あたたかい中山さんのぬくもりを感じて、私は思わず口を開いた。

「今日、私は誕生日で、中山さんに会えてうれしかった。足湯は楽しかったです。一緒にいれて幸せでした。たくさん手を繋いでくれてありがとう。でも、でも私はロープウェイにも乗りたくて。どうしても乗りたかったんです」

そう早口で言っているうちに涙があふれてきて、もう止まらなくなった。ロープウェイに乗りたいなんて嘘だ。そんなことより言いたいことがある。自分の中のブレーキが外れる。

「私は中山さんと今日は一緒にいたい。いつも別れたあとはつらくて泣いてしまうんです。ずっと抱きしめていてほしいし、離れたくない。奥さんのところに帰らないでほしい」

我慢してた寂しさが止まらない。中山さんの表情を見る余裕もなくて、ポロポロこぼれる涙で濡れていく2人の手をただ見つめ続ける。

中山さんは繋ぐ手の力を少し強くしてから、そっと私を抱きよせてくれた。中山さんの鼓動が聞こえる。中山さんが好きでたまらない。静かで、でも張り詰めた時間が車内に流れたあと、耳元で中山さんが小さく息をすいこむ気配を感じた。中山さんがどう答えるのか、私の心臓は不安で勢いを増す。

「寂しい思いをたくさんさせてるね。ごめん。今日はずっとそばにいるよ」

心が溶けていく。

信号が青に変わったら、私たちは走り出すんだ。


1261文字

#短編小説 #連載小説 #中山さん #誕生日 #信号

中山さんはシリーズ化していて、マガジンに整理しているのでよかったら読んでみてください。同じトップ画像で投稿されています。

続きはこちらです。

第1作目はこちらです。ここからずっと2話、3話へと続くようなリンクを貼りました。それぞれ超短編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を追ってみてください。

『中山さん』シリーズ以外にもいろいろ書いています。よかったら覗いてみてください。



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