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noteでのお付き合いについて

ずっと思っていることがあって、私が心しんどい文章を全然書かなくなったら、お付き合いのなくなる人もいるんだろうなということ。最近すごくしんどいみたいな状況が少なくなったので、そういうのはあんまり書かなくなった。だからもうすでにそんな状況になってるのかなと思ってもいるんだけどね。

しんどそうで苦しそうだと放っておけない、大丈夫かな? と心配して読みに来てくれてた人たちが、なんかもう元気みたいだな、大丈夫だろうと読みにきてくれなくなる。そういうことってあると思う。

あるいは幸せそうな文章は読みたくない。読むと自分がしんどくなるという人もいるだろう。私がnoteに来てわりと長くそういう感じだったからよく分かる。

私は幸せそうな文章を読むたびに苦しかった。どうして私にはその幸せは与えられないの? どうして私はこんなに孤独なの? 私が悪いの? 私の努力が足りないの? そういう感情が湧いてきてより一層苦しくなるから幸せな空気が漂う文章には近寄りたくなかった。

だから自分と同じように何かに苦しんでいる人とか、自分とはまったく環境の違う人とか、そんな人たちのnoteを選んで読んでいた。

私もそんなふうだったから、幸せなことを書いているnoteは苦手という気持ちがよく分かる。だからその私がしんどいnoteを書かなくなったら、わりと幸せそうなnoteばかりを書くようになったら、去っていく人もいるだろうと想像できる。

私としては誰かとの関係が薄れていくことはとても寂しいことで、できればそうなる原因を自分から作りたくないと思っている。

だけどここで書き始めたのはもうかなり前だから、私の生活も心の状態もさすがに変化した。朝からベッドでわけもなく泣く日はとっくに終わって、いまは比較的普通の毎日で、何かを投稿するたびにざわざわして混乱していた自分ももういない。もちろんまだ変わらない部分もいろいろあるけど、それでも私の良い変化は当然文章にも現れる。

これから先、苦しい心のうちを吐露するようなnoteはたぶんますます減っていく。もう泣いている自分には戻らなくていいはずだ。

そのことで終わる関係もあるかもしれないけど、同時に今度は穏やかなnoteを好む人が来てくれることにもなるだろう。新しい出会いはいつもやってくる。

私も最近は人生をうまく幸せに暮らしている人のnoteを参考にしたいと思うようになっていて、そうした人たちのnoteを読みにいくことも増えつつある。孤独の檻に閉じ込められていたあのころといまではメッセージの受け取り方も変わってきたから。

そんなの無理だ、強すぎると感じて心に響かせることができなかった文字たちも、いまなら心に染みてきて、前に進む気持ちを後押ししてくれる。自分が変われば入ってくる文章も変わることを実感している。

とはいえこれまでお付き合いのあった人たちのことはこの先もずっと大切にしたい。私が苦しいとき、ずっと支えてくれた人たちは私にとっては本当に心の支えだから。

人が苦しいところから抜け出すために必要な時間は人それぞれだと思う。いつまでも抜け出せないように見えている人でもほんの少しずつでも変わっているはずで、どこかでやっと苦しさから解放される日が来るんだと思う。

私もとても時間がかかった。あまりにもそれはスローで分かりにくいほどの変化だった。現状まだ完全に抜け出せているとは言えない。悩ましい気持ちはまだまだあるし、心がざわざわして不安な気持ちになる日もある。でもここに書いて誰かに言葉をかけてもらわないと耐えられないような溢れ出るほどの孤独を抱えた状態ではない。

つまり今日書きたいことは、もし誰かに去っていかれても寂しがる必要はないということ。いや、正確には私は必ず寂しがるとは思う。その度合いは付き合いの深さ、私のその人への依存度にもよる。だけど、私の状況が変化するたびに、それに合わせた出会いもあるんだろうと気持ちを持ち直すのがいいと思う。

ただし、いまも繋がってくれている仲良しさんのことはこれからもずっとずっと変わらず大切な人たちだということも重ねて伝えておきたい。もしやりとりがなくなっても、私はずっと心の中でその人を大切に思い続ける。すでにこれまでnoteには来られなくなったかたへも同じ思いを抱いている。あの頃はありがとう。いまも元気でいてほしい。いつでもふと戻ってきてほしい。そんな気持ちはあるからね。

noteに来てから3年と4ヶ月くらい経ちました。

これまで苦しいときの私も、幸せなときの私もひっくるめていまもずっと見守ってくれる仲良しさんには感謝しかないです。

いつもありがとう。



お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨