No title #2
どれほど昔のことを私は根に持ってるんだろうとか思うけど、根に持ってるんじゃなくて心にグサッと刺さってしまってるんだろうな。
すごく心が傷ついたから死ぬまで忘れられない。
なんとかその悲しさを癒そうと自分なりに努力してきて、たぶんもう何もなかったことに無理やりしてきたけど、やっぱりなかったことにはならなかった。
どこかの瞬間に思い出したら、なんだろう、屈辱とか悔しさとか寂しさとかすべての負の感情が押し寄せる。許せない気持ちを「もう今さらだよ」と処理しようとするけれど、どうやらそんな簡単なことじゃないみたい。
傷が、深い。
どうしたら消えるの?
しつこくて嫌な女なのかな。
あのときの原因はどこにあったのか。君のせいだと言われたその言葉を跳ね返したふりしてたけど、全部心の中に受け入れてしまってた。私のせいなのかと。気づいてもらえなかったけどいつもいつも私は精一杯傷ついていた。
気づいてもらえなかったことさえも今でも思う。きっとそれも私のせいなんだろうと。うまく伝えられなかった。うまく理解してもらえなかった。
だから私は与えられなかった。いろんなものを与えられなかった。私に原因があるんだろう。私の努力が足りなかったんだろう。
そういうふうに自分に原因を探してしまうのって性格なのかな。なんでこんなことになったんだろう。まったくわからない。
誰がこんな苦しい道を私に与えたの?
誰でもないよね。
自分じゃないの?
ぜんぶ自分が選んだ道なのに。
頑張ることにもう疲れたから真っ暗なところで目をつむっていたい。
下書きから出すことにしました。4月半ばに書いていました。これを書いてから2ヶ月くらい経ちます。このころはすごくしんどかった。だけどここ最近は泣くことも減って、心が落ち着いている日が増えました。
過去が変わったわけではなく心の傷が消えたわけでもないんですが、心が落ちそうになったときでも比較的早くもちなおせるようになりました。たぶん私の周りの環境が少し変わったからです。変わったら変わったでまた別の迷いが生まれるんですが、それでも少し心は楽になっているんだと思います。
「No title #3 」も下書きにあって、こっちのほうが内容が重いかも。でもこれも出してしまうつもりです。
ここのところ重い文章は公開するタイミングを逃していたんですが、なんとなく、この救いのなさそうな文章も誰かの心のどこかに届くかもしれない。
毎日エッセイに書いているような普通の生活を送っている私でも、楽しそうな文章を書いているほかの誰かでも、文章の裏側に、たくさんの見えない苦しみを抱えているんだと誰かに届けたいなと思いました。泣いているかもしれない誰かに、とても苦しいのは「自分だけじゃないんだ」と思ってもらいたい。
それぞれに持つ悩みは違うけど、何かに悩んでいる人は多いから。
先日公開した『私はどこから間違ったのかな。』の文章も、心をさらけ出したものだけど、それでも詳しく書けないこと、さらけ出せないことが裏側に7割くらいあって、あれは見せられる部分の3割程度です。
きっとみんなもいろんな感情を文章の後ろ側に隠して書いているんだろうなって思います。
いつも温かい言葉で支えてもらってありがとうございます。『私はどこから間違ったのかな。』にもたくさんコメントをいただいて、うれしかったです。私の書いたもので、何かを考えるきっかけにもしてもらえると光栄です。
お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨