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子供の「死にたい」にどう答えるか。

もうけっこう前から子供の不登校が増えているとか、無理をさせないようにすべきとか、子供たちの心をどう救うかみたいな話が論じられている。

昔と比べ、今の子供たちがより繊細になっている原因がどこにあるのかよくわからない。

でも昔と今の大きな違いで言えば、今の子供たちは常に流れ込んでくる情報に翻弄され、不安を駆り立てられ、そして空気を読むことを強要される無言の圧力の中に日々身を置く、そんな世代だ。

そういう過酷な学校での日々を経験したことのない私たち大人は、彼らの苦労を想像しかできず、スマホを片時も手放せないハードさを体感できない。だから彼らを育てる難しさに直面している。

いざ朝、起きない子供を無理やり起こして学校へ行くように言うのか、あるいは今日はゆっくりしたらいいよと休みを与えるのか、リアルでteenagerを子育てしている親にとっては1日1日が迷いの連続である。

何も言わなくても、嫌でも何でも学校には当たり前のように行くものだった時代、もし不登校の子がいればその子が特殊で特別に映ったあの頃とは違う。

無理しなくていいという風潮が今の日本を取り巻き、だから子供は簡単に逃げるようになるのか、いや、逃げ場を作ってあげないと、この子は潰れるのかと混乱した気持ちを抱えながらも、皆と同じように学校へ向かえる子供を親は望む。

うちのteenagerもなかなかの不真面目なので、朝、起こすのに苦慮することが度々起こる。

勉強とか部活とか、そういうなんだか頑張っておかないとお先真っ暗になりそうだと映る未来に押しつぶされそうになる気持ちをどう奮い立たせてあげられるかなんて私にはわからない。

時期的なものなのか、勉強へのプレッシャーなのか、友達関係に何の問題もなさげなうちの子でも「死にたい」と漏らす日はある。

「死にたい=嫌なことからちょっと逃げたい」なのか、「死にたい=本当に命を終わらせたい」なのか、難しい年頃の子供の心の奥底を見誤らないことを母親一人に負わせるのは酷な話だ。

●私の返答

その頃、私はとりあえずこう答えていた。

「私も死にたい。でも死ぬのは痛そうだから、死ねない」と。

どう答えるかは対峙する子供によって正解が違うから、私の答え方が人にオススメできる答え方だとは思わない。でも、大人だって疲れているし、そもそもなぜ生きているのかも見えないときは多い。一緒に疲れて死にたくなることだってあるんだと、共感し合うのが私流だ。

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#エッセイ #子育て #死 #ティーネイジャー

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