理由は「忘れてしまうから」

はじめに。

なぜ、コラムを書こうかと思ったかというと、
「忘れてしまう」からだ。

あるとき、あんなに苦しくて、悲しくて、悩み苦しんだ家族のことも、
どんどん忘れていってしまうことに気づいた。

「忘れる」

それは、人間に本来備わった、最強の能力にして最弱の弱点だ。
「忘れる」ことができるが故、人はどんどんと新しい情報を処理できるし、新しい物事を次々と創造できる。

反対に、最弱のポイントとして、
「忘れてしまう」が故、同じ失敗や過ちを繰り返すことがある。
そして、忘れたくない大切なことや想いですらも、忘れていってしまう。
(もしくは、記憶を都合よく書き換えてしまう)

とはいえ、所説では、人間は「忘れる」ことができないと、
生きていけないのだとか。

すべて覚えていると、情報を処理できなくなり、
悲しみや寂しさなどネガティブなストレスに
耐えきれなくなってしまうのだそうだ。

しかしながら、それもこれも、人間が生きていくためであり、
未来に向かうためだ。

人間は過去も未来も生きられない。
いま、この瞬間を生きるために「忘れる」のだ。

「忘れる」ことを正当化したが、やはり私は抗ってみたいと思う。

すべていつかは「忘れる」からこそ、
すでに曖昧な自分の記憶のかけらを拾い集め、
家族のこと、私の人生のことを、
誰のためでもなく、自分のために、記していこうと思うのだ。

自分の人生を真正面から受け止め、未来に向かうために、
これからの人生をしっかりと自分の足で歩んでいくために。

と情緒的になるのはここまでで、
重苦しい話はそこそこに、
自由にテーマを決めてコラムを書いていきたいと思う。


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