どこまでが自分?

毎日がものすごいスピードで駆け抜けていってそれに必死にしがみついてる様な、小さい頃はそんな事も気にせずただひたすらに目の前に夢中で自分が前に進んでいるのか、はたまた後退してるかもわからないままとにかく進んでいた気がしている。

人間だから理想があって自分の思い通りに物事を進めたくて、だけど自分一人で生きている訳ではもちろんないので思い通りにいかない事だらけ。

人とも意見は割れるし、かと思えば大多数の意見と自分が一緒だと流されてると思われる事もある。

詰まる所何が言いたいかというと、自分から湧き上がる気持ちと他人の気持ちの区別が出来ずにいることがあるという事だ。

「優しさ」という言葉があるが、女性からよく聞く「どんな人がタイプですか?」という質問からの「優しくて〜」という回答の大多数は自分の都合に合わせてくれる、なんでも許してくれる、があると思っている。
*あくまで個人の意見でとてつもない偏見の上で書いています。

要はこちらが優しさのつもりでやっても迷惑がられる場合があるのだ。このパターンだった場合気に入られるには自我を消し、なんでも言うことの聞く召使いになる以外他ない。
そもそも大前提にルックスで合格を貰わなければならない。

残酷にもそれが現実だ。

ここで言いたいのは自分が優しさのつもりでやったことが相手にとって嬉しくなかった時にここまでしてあげたのにという怒りや残念に感じることがあると思う。
この優しさはきっと自分がされたら嬉しいからこうしてあげようと思って行った事だと思う。

しかしそれを受け取ってどう反応するかは相手の自由だし、勝手に与えた気になって見返りを求めてしまうと、違った時に自分がネガティブに寄ってしまう。

友達だからこうしてあげるとか自分で決めたにも関わらず自然と相手に無言の強要をして勝手に怒りや悲しみで苦しくなってしまう。

そこで一旦冷静に、相手に高望みしていないか、見返りがなくても自分ができることか考えることが大切になってくる。

とか偉そうにこう言っているが自分もそういった事を起こす。分かっているけど望んでしまうし、失望する。ある種人間の性なのかもしれない。

なんだかここまで書いといてそれが悪いことの様に聞こえるがそういう訳じゃない。それが人生だし正解なんて無数にあるし常識なんて人と同じで変わっていく。答えは自分の中で納得いかないと答えになれない。

人と関わって、会話をして、違いを確認して、自分が何を大切にしたいかを知る。

それをするために僕はまず「人見知り」という人と会話をしなくて済む魔法の言葉を手放すことから実行していきたいと思う。

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