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【名古屋コミティア62】試し読み『少女ジョイライド』冒頭部分

2023年3月26日(日) 名古屋コミティア62
スペースF-30 サークル『Lovers&Madmen』で参加します!

こちら頒布予定である拙著『少女ジョイライド』の冒頭部分となっております。
読んで貰えて、当日に会場でお会いできれば嬉しいです。
表紙絵はAI生成したものです。

以下、本文の冒頭部分となります。



「最近のテレビとか映画とかさあ」
「はい?」
メメは唐突に話題を変えた。いつだって彼女は唐突だ。テイは彼女のそんなところも好きだった。
「最近のテレビってさ、何と言うか、グロい描写が減ったと思わない?」
「あー分かります」
 テイは手を止めてメメに向き直った。
一方メメは顔も上げない。作業する手を止める事なく、そのまま話し続ける。
「グロい描写のある映画とかTVでやらなくなった気がしますね。ホラー映画とか」
テイは作業を続けるメメを見つめた。汗がメメの眼鏡に落ちて輝く。
夏の大気はむっとしていて、二人は汗だくだった。
「『エイリアン』とか『ジョーズ』とか、テレビでやらなくなりましたよね。私が小さい頃はギリギリ金曜ロードショーでやってましたよ」
「『幽々白書』の再放送もやらなくなったなあ・・・あれなんでだろう」
「やっぱりあんまりグロいかったりすると、子どもの成長に悪影響があるとか、そういう事言う輩がいるからじゃあないんですか。クレームが来るんですよ、きっと。」
そう言いながらテイは老いた母の事を思い出した。暴力的な漫画やゲームが凶悪犯罪を産むと本気で考えている保守的で愚かな母親だ。
〝だから定子はゲームなんてしちゃあ駄目よ〟
「あたし、別に小さい頃にそういうアニメとか映画とか好んで見ていたわけじゃあないけど」
作業を終えたメメがすっくと立ち上がった。
「男の首をチョンパするような大人に育ったのは何でかなあ?」
メメは男の首を掲げてみせた。農家が野菜を収穫したみたいに。
「・・・知りませんよ、そんなの」
テイは死体の二の腕を切り取るため、鋸に力を入れた。


 ある山奥に、その廃屋はあった。かつてはこの地方の名士が住んでいた家だったが、過疎が進み周囲の集落から人が去り、この家もまた売りに出されたとあって、今では見る影もなく荒廃している。
 そして今では、ある二人の女によって『趣味』の場として利用されるだけとなっている。
 その家の風呂場は、今日もまた血の沼と化していた。そこにぶちまけられた血と肉は、ちょうど男一人分。男の残骸は原形を留めていない。内臓という内臓がまるでオモチャ箱をひっくり返したみたいにめちゃめちゃに広がっている。
 夏の終わりの山林の中はただでさえ湿気でむせ返りそうなのに、家中に充満する血と肉の臭いが、それをさらに酷いものにしていた。ほとんど血で霧が立ちそうだった。
「メメさん・・・こいつの目玉、勝手に潰しました?」
「あー、ごめんごめん」
メメと呼ばれた赤いセルフレームグラスの女性が、制服姿の少女に謝罪する。
「今回、目ん玉は私の番だったじゃあないですか・・・」
制服の少女、テイは不満げに頬を膨らませた。彼女の制服は血みどろだった。
「テイ、許してよ。次は譲ったげるから」
「ならいいですけどー」
 血の沼のただ中で二人の女が戯れていた。
テイがメメの〝趣味〟に付き合うようになって半年が過ぎようとしていた。メメは既にこの行為を何年も続けてきていたようだが、今までに殺した人数について語る事は無い。世間一般のイメージとして殺人鬼というものは殺した人数を自慢したりするものだが、彼女はその辺には全く頓着していないようだった。そんな彼女を見てテイは「これが本当の殺人鬼ってものなのね」と何となく納得した。テイも五人を過ぎてから数えるのを辞めた。
 獲物はSNSで簡単に釣れる。「カレシがかまってくれなくてサミシイの。暖めてくれる人募集中☆」なんて書きこんでやれば一瞬だった。しかしながら、あまりにもアホらしい書き込みだ。まともな男ならそんな書きこみに反応などしない。しかし鈍いアホならよく釣れる。鈍いアホと言う事は、それだけ殺すのも容易だと言う事だ。
ここでなますにされている男もそんな鈍いアホの一人であり、日曜の駅前で待ち合わせたところ、昼間から二人とヤレるのだと大はしゃぎしていた。車での移動中、いかにも遊び人らしいその男は、口を開けてその中身をテイに見せつけた。彼の舌の上には合成着色料マシマシのグリーンのガムがあった。
「噛む?」
 テイは男をスタンガンで昏倒させたのち、泣き叫ぶ彼の舌をナイフでズタズタに引き裂いた。身の程を知って欲しかった。


「そういえば今日は試してみたい事があったんです」
「何?」
「学習マンガってあったじゃないですか」
「なんの話?」
「小学校の時とかに、図書室で読みませんでした?『古代ピラミッドのナゾ』とか『失われたインカ帝国を追え!』とか」
「あったあった。私も結構読んでたよ」
「あれにミイラの作り方が書いてあった事を思い出して」
テイは学生カバンから料理用の鉄串を取りだした。鉄串の先は奇妙にねじくれている。
「ミイラを作る時はまず鼻の穴の中に串を突き刺して、そこから脳みそをほじくり出すんだって・・・本当にできるか試してみたくって」
 鉄串の先は昨晩、彼女自らペンチで曲げたものだ。ここ最近のテイは死体いじりに工夫をこらし始めてきている。腹をかっ捌くだけでは満足できないところまで来ていた。
「脳みそほじくり出すって、そんなグロいこと学習マンガに書いてあったの? それこそクレームが来そうね」
「書いてあったんですよ。しかもイラスト入りで。大らかな時代だったんですかね」
「それでアンタは、小さい頃に読んだマンガ通りに脳をほじくり出そうってわけだ。私がマンガの作者ならその熱心さに感動で涙してるところね」
テイは切り落とされた首の鼻に鉄串をねじ込んだ。
「あっはは」
メメが愉快そうに笑う。
「結構奥までいくもんだねー」
「でもこれ以上はいかないですねえ」
鼻から鉄串を生やした生首は、子どもが戯れに箸を突き刺した果実のように見える。
テイは鉄串をぐりぐりと回し、もっと奥まで入り込めないか探った。彼女が鉄串を回すたびに鼻の穴がその方向に大きく広がった。しかしこれ以上進むそぶりはない。
「多分このまま奥を切り裂いて、そこから脳を引っ掻き出すんだと思うんですけど」
「切れそうにない?」
「この串じゃ無理かなー、甘かった」
「ちょっと場所空けて」
テイはメメが鉄串を使うのを代わってくれるのだろうと、横に身を引いた。その瞬間、メメは手に持った金属バットで勢いよく生首を殴りつける。血が跳ねて、メメの眼鏡に赤い飛沫が飛んだ。
「あー・・・」
テイが残念そうな声を出した。
 生首がラグビーボールめいて跳ねる。
「ちょ、ちょっと」
 メメはバールに持ち替えると、テイが止める間もなく、それを頭の割れ目に突き刺して、てこの要領でこじ開けた。ピンク色のプリンめいた内容物がたちまちぶちまけられる。
「あーあー、壊す前にもうちょい遊びたかったのに」
「でもこうすれば鼻の穴が脳ミソにどう繋がっているか分かるでしょう?」
「そりゃあそうですけどー」
「次に活かせばいいの! 次に! クソ男は星の数ほどいるんだから!」
メメがバールで脳ミソを掻き出していく。バールで触れられた部分は潰れてズクズクになった。ヨーグルトがスプーンで潰されていくみたいだった。
「脳ミソってさ、何だかアレに似てると思わない?」
「アレって?」
「ホラ、何つったっけなあー。アレアレ。高級食材?」
「分からないですねえ・・・」
「ホラ、昨日さぁ研ナオコが旅番組で食ってたんだけどなあ・・・見てなかった?」
「見てないです」
「ホラ、魚のさあ。なんていうの? 珍味?」
「・・・白子かなあ」
「そう、それだ」
 メメはぱっと顔を輝かせた。
「似てると思うのよー。ブヨブヨしてるとことか」
「言われてみれば・・・色こそ違いますけどね。でもまあ・・・」
 テイはバツの悪そうな顔をする。
「白子って、口に出すのも嫌ですけど、魚の精巣でしょ?脳の中身と精巣がそっくりって変な話ですよね」
「なあーんにも変じゃあないわ、少なくとも男に関しては」
「何でです?」
「男の脳の中身なんてSEXの事しか詰まってないでしょ」
メメはさも当然と言った顔をした。
「なるほど」
 テイは何となく納得した。

 死体の処理は一仕事だ。肉と骨に分け、肉は河に流し、骨は燃やす。血を水で流せば、死体は跡形もなくなる。
これらの処理はおそろしく時間と体力を使う。実際今回の獲物は金曜の夕方に待ち合わせをして、その夜のうちに殺し、土曜に朝から丸一日かけて解体したのだ。処理を終えて車に戻った時には、もうほとんどの日が沈み始めていた。
「寝てていいよ、疲れたでしょ」
 車の運転はメメの役目だ。
 一仕事終えた脱力感の中、テイはメメの車の助手席に乗り込んだ。死体の解体に費やしたために彼女の体力は限界にきていた。
 熱中するという感覚に乏しかったテイは、今まで疲れと言うものをあまり感じた事がなかった。何もかもが退屈で、ましてや勉強なんてものは退屈の極みであり、それに熱中などできなかった彼女は、疲れるという事さえなかったのである。
しかしメメと共に行う〝趣味〟は刺激的であり、彼女を大いに熱中させた。
 メメに出会う前は退屈すぎて眠っていたが、最近では疲れて眠る日々だ。
メメと出会う前か、とテイは考えた。
もう随分前な気がする。
メメと始めて会った日・・・確かあの日は木曜日だった。午前中の授業はほとんど寝ていて、午後の授業もやっぱり寝ていたっけな・・・。眠気の中で少女はメメと初めて出会った日を思い出していた。



春の陽光に照らされた二年二組にチャイムの音が鳴り響く。その音で、新見定子は目を覚ました。授業中に睡眠をとるのはほとんど彼女の日課になりつつある。
黒板の前で何やら身をくねらせているのは英語教師の錦だ。彼はテレビに出る有名予備校講師めいた大仰なジェスチャーでなにやら力説している。絵に描いたようなうさんくささ。
「いいかい? 参考書なんてものは見なくていい。僕の授業の要点さえカンペキに覚えればセンターでも通用する!」
クラスの皆が黒板を写す姿を見つめながら、
(ご苦労なこと)
と定子は思った。彼女にはこの教師の授業に聞く価値があるとは到底思えなかった。
授業が終わり、質問のために多くの女子生徒達が錦の周囲に集まっていく。錦はその堀の深いエキゾチックな顔とよく響く声で女子たちに人気があった。彼と話すため、無理に質問を考えている者さえいるようだった。しかし皆がこの英語教師に群がること自体、定子には信じられない。
錦が今までに三人の生徒と関係を持ち、うち一人を堕胎させているという事実。その事実を知るものが果たしてこのクラスにあと何人いるだろう?おそらく定子と、あと数人か。教師同士の噂話を聞いた定子はその事実を知っていた。
(どうせ錦は英語なんて女を口説く道具としか思ってないに決まってる)
そんな教師の授業を聞く価値なんてあるのだろうか。錦に群がる女子たちは蛇になつくカエルめいて実に滑稽だった。
「・・・腐れ教師」
定子はとっとと帰り支度を始めた。


授業が終わると定子は塾に向かう。退屈で眠るのは塾でも同じ事だ。講師の話なんて聞いちゃあいない。塾に行くのは自分の勉学のためでも何でもなく、あくまで両親を安心させるためだ。あの両親は塾さえ通わせておけば娘の成績は安泰だと思っている。とんだ思い違いだ。
自転車で塾に向かう道すがら、クラスメイトの男女がひと気のない児童公園に入って行くのが見えた。山に面した大きな公園であり、週末にはイベントも行われる。しかし小学校から遠い事も合って、平日はそこまで人もいない。デートにはぴったりだろう。カップルは自転車に二人乗りしながら公園の駐車スペースに入って行く。
二人乗り中に事故ればきっと面白いのに、と定子は思った。
カップルは揃ってスクールカースト上位の二人だった。
定子は二人の名前を思い出そうとした。
男の方は女を取っ替え引っ替えしてる奴。以前も別の女子とこの公園に入って行くのを見かけた事がある。お決まりのデートスポットなのだろう。
女の方は・・・確かチアリーディング部だったか。陽菜だか結奈だかいう奴。陽菜という名前の女子は学年に三人存在している上、結奈というのも二人いて、やたらややこしい。多分皆がややこしいと思っているはずだから、一人ぐらい改名してくれたらなぁ、と定子は思う。きっと感謝されるはずだ。
名前と言えば、定子は自分の名前が嫌いだった。
定子、という時代錯誤な名前は、陽菜だの結衣だのと言った、小(こ)洒落(じゃれ)た名前だらけの最近の高校のただ中にあって、逆に目立っていた。だいたい定子という名前自体、某有名ホラー映画の影響で付けるのが憚られる名前だと定子は思うのだが、両親はその辺に全く頓着がなかった。両親はホラー映画のような「低俗」な見せ物は蛇蝎のように嫌っている。その映画がテレビで放送されるような事があれば、翌日は格好のからかいの的だ。〝く〜る〜、きっとくる〜〟だなんて、クラスの男子にからかわれようものなら、その男子共々両親をぶん殴ってやりたかった。
老いた母に、優秀な父。定子と言う名前をつけたあの両親。定子を塾に通うように強制したのもあの両親だった。
〝演劇部?定子、高校で部活なんてやるもんじゃないよ。受験にさしつかえたらどうするんだい?父さんがいい塾を見つけてあげたからそこに通うんだ〟
父は定子の挑戦をことごとく否定した。それは一見親心からの心配からきているものにも見えたが、どうも定子にはそれだけではないように思えた。父はどうやら、定子を自分の想像の範疇に留めておきたいようだった。
〝剣道? やめておきなよ、あんなスポーツ、熱いし臭いしロクなもんじゃない。それより前から言っているように父さん達とテニスをしないか? 実は定子のユニフォームはもう買ってあるんだ〟
父は自分の想像通り、理想通りの娘を作ろうとやっきになっている気さえした。
そして母はそんな父に無条件で追従していた。母はスポーツなんてできないくせに父のテニスに付き合っていたし、何でもかんでも父の決定に従った。
銀行員で引く手数多だった父がどうしてあんな母のようなクソ面白味のないイエスマンを選んだのか分かる気がした。完全に自分の支配下におけるからだ。母は父を愛しているようだったが、父の方はただの従僕が欲しかっただけなのだろう。
かいがいしく父に尽くす母が定子にはたまらなく憎らしい。しかしそんな大嫌いな両親に食わせてもらっているのも事実だ。彼女は早く自立したかった。


塾でもしっかりと睡眠時間を確保した定子は、帰りにまた同じ道を通った。
街頭の光の中、公園の前で誰かがウロウロしている。見覚えのあるシルエットのような気がして、定子は自転車を止めた。先程の陽菜だか優衣だかが、怒りで顔を紅潮させながら歩いてる。
ああ男とケンカでもしたんだな、と定子は反射的に感じ取った。
どうやら男の方に置いて行かれたようだ。自転車がない。おそらく手ひどくフラれたんじゃないだろうか。
(あんな涙目になって・・・あの男は女を取っ替え引っ替えしてるんだから、自分もそうなるかもって想像できなかったのかな)
スクールカースト上位のクラスメイト。言うまでもなく、定子はそんな連中が嫌いだった。休み時間になると彼ら周囲に人が自然に集まる。いつだって彼らは話題の中心にいる。
それはいったいどんな気持ちなのだろうか。蔑まれた事がないのはどんな気持ちなんだろうか。逆にとるに足らないクラスメイトを蔑むのはどんな気持ちなんだろうか。
いじめられたことがないって、どんな気持ちなんだろうか。
そんな事を考えていると、定子を見つけた陽菜だかが、こちらにつかつかと向かってくるのが見えた。
じろじろ見すぎていたようだ。
(まずい)
そうこうしている間に陽菜だかは定子の目の前まで来ていた。
「何見てんの?」
怒気を孕んだ口調で陽菜が言った。
「ええっと」
「何見てんのよ!」
突然、陽菜が定子の顔を平手で打ちつけた。鞭で打つような音が辺りに響き渡った。
定子が驚く間もなく、陽菜は定子の制服の首元をねじり上げる。
「自転車、置いてきなさいよ」
陽菜の怒りに満ちた瞳が、痛みで泣きそうになってる定子を見つめた。
定子はクラスメイトを完全に逆上させてしまったようだった。
「なんで・・・いきなり・・・」
「じろじろ見やがって・・・! 腹立つのよ!」
くだらない、その辺にいるクラスメイトの一人。そう思っていた相手に定子は唐突に恐怖させられていた。
「あたしが置いて行かれた事がそんなに面白いの!?」
ひどい八つ当たりだと定子は思った。
確かに陽菜が置いて行かれたのは正直少し愉快にと感じた。しかし今の陽菜は、定子の態度に怒っているというより、怒りたいから怒っているだけに見える。
その時、一台の赤い車が道を通りかかった。
二人の近くに来ると、車はやたらゆっくりとした速度になった。
車のドライバーは窓から大きく首を出すと、見物でもするみたいに二人を見た。運転手は女性らしい。黒い長髪と赤いセルフレームグラスが街灯の光の中に照らされる。
「何見てんの、オバサン!」
見物されるのに神経を逆なでされたか、陽菜が叫んだ。
「べえっつにい」
怒らせたいのか、明らかに馬鹿にしたような口調で女性が返す。
「さっさとどっか行けよ!」
「言われなくても行くけどね」
そのまま車はスピードを上げて走りだし、カーブの先で見えなくなった。
陽菜がさらに強く定子の右手首を締めあげる。
「早く、早く、自転車から降りなよ。このまま引きずりおろされたいの」
定子は情けなかった。こんなクラスメイトごときに脅され、恐怖で泣きそうになっている自分が。
自分はこの陽菜にとって、こういう事をしても許される相手なんだ。そう思うとさらに情けなくなる。
定子はくやしさに身をよじった。
馬鹿にしやがって。
私は確かに友達も少ない。勉強もできない。スポーツはもっとできない。馬鹿にされて、下に見られて当然かも知れない。だけど、だからと言ってこんな風に脅されていいはずがない。
あんたはクラスの人気者かも知れないが、あんな学校で人気だからって、どれほどの価値があるって言うんだ。どれほどの、どれほどの——
「放して!」
定子は怒りのままに陽菜を突き放した、その時だった。
先程の赤い車が陽菜の体に突っ込んだ。
いつの間にか戻ってきていた赤い車が陽菜を轢きつぶしたのだった。
定子は、あの眼鏡のドライバーの「ひゅうっ」と言う口笛を確かに聞いた。
嘘みたいに吹き飛んだ陽菜の体がガードレールに叩きつけられる。
「げえっ」
陽菜の喉の奥からげっぷのような空気の漏れる音がした。この間抜けな一言が、彼女がこの世に残した最後の言葉だった。
赤い車は止まらない。そのまま陽菜の体に乗り上げる。ドライバーは車をピストン運動みたいに激しく前後させた。陽奈の頭蓋がタイヤに巻き込まれて消滅するのが、定子からはっきり見えた。
ひとしきり車を前後させた後で、車は止まった。
「よいしょっと」
軽やかな足取りで車からドライバーが降り立つ。赤み帯びた茶色に染められた髪、赤いセルフレームグラス、黒いリクルートスーツには皺ひとつない。
ドライバーは陽菜の死体を米俵みたいにかつぐと手早く後部座席に乗せる。おそろしく慣れた手つきに定子は目を見張った。まるで日課でもこなしてるみたいに、迷いのない動きだった。
大して服を血に濡らす事もなく死体を運び終えると、ドライバーは車に乗りこみエンジンをかける。
そんな中、定子は自分でも驚くような行動に出た。
気づけば、彼女は車の前に立っていた。
定子は車のフロントガラスに映る自分の表情を見た。泣き笑いのような、奇妙な表情だった。
「なぁに? 出せないんだけど?」
ドライバーが窓から顔を出して言った。
「手伝わせて下さい」
定子は、自分の発した言葉にやはり驚いていた。
手伝わせて欲しいって? なんで? 私は何を言っているんだろう?
ドライバーは訝しげな顔をした。
「手伝わせてってねえ・・・何? 共犯になりたいの? ちゃんと考えてモノ言わないと駄目だよ、アンタ」
「考えて・・・ええ、そうです。よく考えないと・・・でもその、乗せて欲しくって」ドライバーは定子の顔をじっと見つめた。
「分かってる? 乗ったらもう後戻りできないよ?」
女性の口調は優しげだった。まるで小さな子供に言い聞かせているようだった。
「分かってます!」
「捕まったとしても、別に庇ったりとかはしないよー?」
「分かってます! ・・・でも、その、今から死体を、その、捨てに行くんでしょう?人手がいるんじゃあないですか? あたしじゃ、物足りないかも知れないですが、手伝いたいんです!」
この時、眼鏡の女性は一体何について考えを巡らせていたのだろう? 車のライトで影になって定子からは運転手の顔は見れない。しかししばらくして彼女は呆れたように鼻で笑った。
「乗りなよ。そうこうしてると人が来ちゃうし」
定子は花が咲いたみたいに笑った。しかし何が嬉しいのか、自分でもさっぱり分からない。
彼女は素早く後部座席に乗り込む。隣には顔を潰された陽菜が座らされていた。陽菜の顔は原形を留めぬまでに轢きつぶされており、残った舌がまるであっかんべーをするかのように垂れ下がっている。
そんな陽菜を見て定子は、
「どうも」
なんとなく挨拶した。
「何て呼べばいいの?アンタ名前は?」
眼鏡の女性が前の座席から身を乗り出して聞いた。
「えっと、定子、定める子どもって書いて定子です」
「定子・・・定子ねえ・・・定・・・じゃあ、あんたテイね、これからテイって呼ぶわ」
「テイ・・・はは、定子よりはいいや。おねーさんの事はなんて呼べばいいですか?」
「私?私はねえ・・・メメ、メメって呼んでよ」
「メメさんですね」
「それにしても、定子ねえ・・・悪いけど今どき古臭い感じがする名前ね。最近なら陽菜とか結衣とか、そういう小洒落た名前が・・・」
「こいつ陽菜ですよ」
定子が顔のない死体を指さして言った。
「あ、そうなの」
車が走り出した。


 3


「うま・・・」
メメの料理が絶品だということをテイは知っているつもりだった。しかしそれでも声がでてしまう。それほど旨かったのだ。
「どう?」
「いやぁ。このアジフライ、ふかふかでサクサクですよ。うちの母さんも作ってくれるんですが、なんかいつも生臭くて・・・。」
「それって下処理をちゃんとしてないんじゃないかなー」
メメは恐ろしく料理が上手かった。少なくともテイの母親よりは遥かに。今日彼女が作ったフライも衣はまるで雪の上を歩くみたいにサクサクしてるし、噛めば噛むほど魚の旨味が口の中に広がった。
メメに人殺し以外の趣味があるとすれば、それはまさしく料理だった。包丁捌きはお手の物で、魚を捌くのが機械みたいに素早かった。まあ、魚よりもずっと巨大な人間を毎週のように捌いているのだから当然とも言えるが。
『趣味』の後の食事。テイはこの時間が好きだった。死体の処理というのはかなりの重労働で、やり終わった時にはそれなりの達成感と疲労感がある。この一仕事終えた後のメメの手料理、そしてコーヒーは格別だった。準備万端で臨んだ定期テストが、結果に微塵も不安なく終わった時みたいな清々しい気分。「今日の男もクソだったねえ」と感想戦をするのも最高だ。
二人は何とは無しにテレビを観ている。夜の情報バラエティで、タレントの不倫疑惑や離婚騒動なんかが取り上げられている。情報通という体の芸能コメンテーターがしたり顔でなんだかんだ言った後、それに合わせて「えー!」だの「へぇー!」だの、ガヤの声が入る。
「録音でしょ、このガヤの声。必要かなっていつも思うんだよね」
メメがアジフライを咀嚼しながら言った。口がもごもごとハムスターめいて動く。
この人はかわいいなぁ、とテイは思った。
「これは多分親切のつもりでやってるんですよ」
「親切?」
「ここが笑いどころですよーとか、驚くところですよーとか、観てる人たちに教えてるんですよ」
「なるほど」
「教えないと、そういう風に受け取ってくれないんじゃないかって、作ってる人も不安なんじゃないですか」
「気持ちは分からんでもないわね」
「問題は、とりあげているタレントの不倫話なんか私は歯クソほどの興味もないって事です。人の好いた惚れたなんて放っておけばいいのに。チャンネル変えて下さい」
「でもね~、他の局も大した番組やってないんだよね。ネトフリで映画でも観る?」
メメがチャンネルに手を伸ばしかけた時、番組が行方不明事件の報道に切り替わった。
「あれっ、このおっさん・・・」
二ヶ月前に失踪したと言う資産家の男。その金満そうな豚面は見覚えがあった。三人ぐらい前の獲物だ、とテイは思い出していた。四人前だった気もするが。
男は五十七歳。地元では有名な資産家で、旅行中に失踪したという。報道陣は知る由もないが、旅行と偽って女を買おうとくりだし、運悪くメメとテイの毒牙にかかったというわけだった。
テレビは金満男の金満そうな屋敷の前から中継しており、三十歳年下だと言う妻が執拗にマイクを向けられている。彼女が迷惑そうに顔を隠しているに構わず、報道陣といえば「誘拐犯から連絡などなかったか」だの「旦那さんと不仲だったという話があるが」などと、しつこく質問を繰り返していた。明らかに妻は夫の件について疑われているようだった。
「奥さんには悪いけど、ダンナはとっくの昔に灰と塵になって飛んでってるんですよね」
テイが意地悪く笑いながら言った。
「奥さんに悪い? 悪い事なんて何にもないわよ。三十も年下だよ? 遺産目当てに決まってんじゃん。遅かれ早かれ殺してたかも。それを無料でアウトソーシングしてあげたんだから、むしろ感謝されて然るべきじゃない? 遺産の百分の一ぐらい謝礼に貰って然るべきじゃない?」
十分の一は多すぎて可哀想だから百分の一ぐらいがリアルでちょうどいいと思う、とメメはぼそっと続けた。
テイは金満男を殺した時の事を思い出していた。ひどく太った豚面で、金持ちのくせにびっくりするほど品がなかった。大口を開けてゲラゲラ笑うたび、下水道と煙草のヤニが混ざったようなひどい匂いがしたし、歯の間には昼食に食べたのかニラの切れ端が見えた。
メメはそんな金満男を縛って自由を奪った後、頸動脈にネイルガンを数発ぶち込んだ。
男の首からは、まるで演芸場の下手な水芸みたいに血が吹き出したのだった。血の匂いは何度も嗅いできたが、この男の血はとくに臭う気がした。
本当に豚みたいな男だった。今回いなくなったことに関して、奥さんは本当に感謝してたりして、とテイは思った。
テレビでは、キャスターやらコメンテーターやらがしかつめらしい顔で報道を続けてる。警察のOBと言う白髪の男が、誘拐の可能性も事故の可能性も考えられる、と実に中身のないコメントをしている。そしてその白髪男も絵に描いたようなしかめ面だ。
「みんな揃って真面目くさったしかめ面ですねぇ。深刻ぶっちゃって。失踪事件なんて珍しくもないから、内心なんとも感じてないと思うんですけど」
「それこそ観てる人に教えてるのよ。さっきの話じゃないけどさー」
「どう言う意味ですか?」
「視聴者もみんなこんなのは好奇心と野次馬根性で観ているわけじゃない?どうせ自分に関係ない話だし」
「まぁそうですよね、実際は」
「でもそれだと不謹慎だし、罪悪感がちょっとあると思うのよ。でも深刻ぶる事で、この事件に関して真面目に考えてるように振る舞える。これは視聴者に、深刻ぶって観ろって教えてるの。そうすれば不謹慎さが薄まるって。これも気遣いね。感心なこと。アホみたいよね」
「成る程」
テイはなんとなく納得した。
『狭山さんは一体どこに消えてしまったのでしょう。狭山さんの安否に関してはさらなる続報が待たれます・・・。』
ニュースキャスターが番組を続けるのを、メメは無表情に見つめている。だがそのうちに大きくため息をついた。
「あーあー。こんな風に報道されるとさぁ、まるで何か悪い事したような感じになっちゃうじゃん。やめてよねぇ」
メメがさも嘆かわしげに言った。
「あんなブタ男、なんの役に立つっていうの?ただのクソ製造機じゃないの! 私たちはある意味ゴミ掃除をしてあげてるんだよ? 趣味もかねて! 誰に頼まれたわけでもないのに! 感謝されるわけでもないのに! それなのにこんな風に報道されるなんて! こんなに悲しい事ってないわ!」
メメがミュージカルの俳優みたいに、大仰に悲しんでみるものだから、テイはあんまり可笑しくて笑ってしまう。
メメもまたそんなテイを見て、屈託無く笑う。
「ねーぇ」
メメがテイの首に手を回した。顔と顔が近い。頬同士が触れ合う。
「実際捕まったらどうする?」
メメがひどく楽しそうに尋ねた。まるで「ハワイに行ったら何する?」とでも尋ねるかのように。
「え~~」
テイは自分が捕まって、テレビに報道されるのを想像した。あの両親が報道陣に囲まれている絵が浮かんでくる。
〝この度は、娘が大変な事件を起こしまして、亡くなられた方には本当に申し訳なく思っております・・・〟
父がテンプレみたいな語彙に乏しい謝罪を述べた後、母が隣で泣き崩れるのだ。想像すると、なかなか愉快な光景だ。変な笑みがこみ上げてくる。
「なに笑ってんの~」
「私は良いんですよ、捕まったって。でもメメさんは良くないんじゃないですか?あんなに両親と仲良しなのに」
「まーねー、そうなんだよねー。それに職場の人にも迷惑かけちゃうし・・・」
メメの両親は離れて暮らす一人娘の事を溺愛しているようだった。段ボールにぎゅう詰めの米と野菜を頻繁に送ってくる、そんな両親。
昨日もまた、テイはメメが母親と電話で話すの見ていた。
〝いいの、いいの母さん、お米なんて送ってくれなくて。果物もいいよ、全部たべきれなくて腐っちゃう。でもありがとう〟
そんな微笑ましい通話をしていたのは、獲物の男が待ち合わせ場所に来るのを待つ車内だった。
メメは、殺人鬼でありながら、同時に家族、友人思いのどこにでもいる女性でもあった。残虐な面と優しい面が同居している。
それはテイにはとても奇妙に見える反面、同時に魅力的だった。
いつのまにか二人は食事をきれいに食べ終わってしまっていた。
「さて、片付け手伝ってくれる?」
メメの笑顔は晴れやかだった。

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