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「四知」と「模倣」…アイデアが浮かんだ!

関係ないでは済まない問題

以前、夜回り先生の水谷修氏の本とかタレントの田代まさし氏のお話を聞いたりして、若者とドラックの問題(若者だけじゃないけれど…)を考えたことがありました。

で、僕自身ドラックはやりませんし、やったことがありません。

ただし、それはただ運が良かっただけであり、自分がドラックにハマるような環境にいなかったという幸運だったということだとしか言いようがないですね。

自分も運が悪かったら、ハマってたかもしれない。

依存症関連で言うと、ゲーム依存の時期がありましたかね。

それで、ぼくはやらないと言う結論だけ言って、それを他人に押し付けるというのは、問題の解決にはならない気がすんですよ。

安全圏と危険ゾーンという概念で分けて、安全圏にいたひと、運悪く危険ゾーンにいてドラックを手にしてしまった人という区別だといけなんじゃないかと思う。

両者にはそこに哲学的応答がない。

断絶になってはいけないと思う。

ぼくはたまたま安全圏で暮らしていたからでしかない。

だから、ぼくもドラックの問題に向き合うと自己申告し、今日もやらなかったまたは、今日もドラックを絶ったと言える日を作る(もともとやってないですが)、それを記録に残していく。

それをただずっと続ける。

自分がドラック問題に関心を持って意識し始めて、この期間やらなかっただから、君もやめようよといういう作戦はダメか。

安全圏にいる人が降りていく感じ。

小説を読んで影響受けたよ

何がいいたかというと、小説で知りました。

古代中国の政治家に楊震という人物がいます。

この人は「四知」という故事を残しました。

それは楊震さんが、部下から賄賂をもらいそうになったときに、誰もみてませんよと言われましたが、それを断り、天が知り、地が知り、私と君が知る誰も知らないと言えるだろうかと言って断ったというエピソードが残っています。

天、地、自分、あなたで四者が知るということです。

悪いことも必ず露見しますが、いいことも誰もみていないわけでなく未来に残っていくという典型の話ですね。

ぼくは小説で読んでいく上で、それを「模倣」したいなと思いました。

現代でもお金にはクリーンでないとと思い「模倣」したいと思いました。

「模倣」というと模倣品って聞きます。

「模倣」というのはダメという意味ではないです。

いいことの伝播ですかね。

好循環

「いいものがある」→「影響を受け「模倣」になる」→「結果いい取り組みが増える」→「社会が良くなる」という好循環が生まれるかも?しれないです。

この手順で言うと、まずいいものがないといけない。

そのとっかかりとして、ドラッグをやらないを続ける活動と活動記録がと考えている感じです。

甘い見通しかもしれないですが…

ぼくとしては、毎日ドラックをやならかったらノートに「○」とつけるを続ける感じ。

簡単ですが、続けていくのは難しいかもしれない。

反発があるかもですが…。

トートロジーですが、ぼくもやらないを続け続け、今日やらなかったから明日も多分やらないと言えて説得力が出るんじゃないかと考察する次第です。

ぼくはイケメンじゃないし、障がい者だし、一般ピープルです。

「模倣」なんか起きないかもしれないですがw

自分でもできるドラック対策考えてみました。

自分でできることを考えました。

ご静聴、ありがとうございました。


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