見出し画像

優しいんだかドSなんだかわからない看護師さん

以前、小娘が怪我をしてリハビリをしたということをチラッと書いたが、今回はその時の怪我での入院生活中の話を綴りたい。

入院の経緯

大学で所属していたスキー部。東北の学生大会を終え、大好きな先輩2人と北海道の学生大会に参加した。この先輩お二方にはとてもお世話になりました。本当に心から感謝です。ありがとうございます🥺

予選通過を果たして本戦に向けての練習中に、事件は起こった。コブ斜面で転倒。プチっという音と共に、右膝に力が入らなくなる。結果、右膝前十字靭帯損傷し、入院と手術を余儀なくされた。当時19歳の大学1年生であった。

急遽入院・手術

神奈川県のとある病院に急遽入院が決まり、手術が確定した。母親の知人の紹介で、オリンピックのスキーチームのドクターをしたこともある権威ある先生のもとでお世話になることに決まった。

手術1週間前から入院をし、手術前の健康診断的なものを受け、手術準備に取り掛かる。そこであの看護師さんに出逢う。

残念ながら名前は忘れてしまったが、容姿はよく覚えている。スキンヘッドに眼鏡をかけた男性の看護師さんだった。

彼は手術前に何度か小娘のベッドまで来て挨拶をしてくれた。そして手術当日を迎えた。

まず手術室に入るまでだが、てっきりベッドに乗せられガラガラと押されていくのだろうと思っていたが、そのスキンヘッドの看護師さんと一緒に普通に自分で歩いて入室し、手術台にも自分で乗った。😂

そして地獄だった脊椎麻酔。
これが少しでも位置がズレたりすると下半身付随になったりするとかで、手術前に承諾の署名したことをよく覚えている。だから怖くて仕方なかった。痛くても絶対に暴れるなと。

ただ、この麻酔が強烈に痛い。
恐怖と痛みで、私はどうにかなりそうだった。そして涙があふれ、小娘は静かに手術台の上で身体を丸め込みながら泣いた。その時に、そのスキンヘッドの看護師さんが「大丈夫だから。あと少しの我慢だから。」と言いながらティッシュで涙を拭ってくれた。その時の彼が本当に優しくて、とても安心したのを覚えている。

その後、脊椎麻酔と腕から通された麻酔によって私は眠りにつく。

術後

地獄だった。

まず麻酔から目が覚めると、小娘の理性はぶっ飛び、買ってほしい物を買ってもらえなかった幼児のように泣きじゃくっていた。脊椎麻酔の激痛と恐怖の記憶に耐えられなかったのだろう。

そして、この日の夜はほとんど眠れなかった。脊椎麻酔を打った背中には、とてつもなく太い管が通り、そこから痛み止めの薬が流されていた。それによって痛みは多少抑えられるが、代わりに気持ち悪さと吐気が襲う。

小娘はナースコールし、痛み止めの投与をやめるようにお願いした。気持ち悪くて戻す方が、当時の小娘には苦痛だった。薬を止めて間もなく、激しい痛みが襲う。

そして何時間かに一回とてつもない痛みが電撃のように足に響く。必ずそれは看護師さんが来ると起こるのだった。その痛みの正体は…

恐怖の血抜きだった。

患部にはこれまた管が2本ほど通され、そこから血が患部に溜まらないようになっていた。イメージとしては空の注射器を引っ張ってササクレを抜くような感じで、処置をされる。これが本当に痛い。毎回看護師さんが来ると両サイドのベッドの柵をギュッと握って耐えた。

夜が明け、朝になり、両親が面会に来てくれた。小娘が信じられないぐらい泣いていた事、穏やかに昨日のことを笑い話にしながら話していると、スキンヘッドの看護師さんが部屋に入ってきた。

すると、
「お待ち兼ねの血抜きの時間だよ〜!」と嬉しそうにニタニタしながら話す。あの手術の時の優しさはどこへ言ってしまったのだろうか。

小娘は一気に身体が強張り、両サイドのベッドの柱をギュッと握り、痛みに備えた。すると思いっきり看護師さんが血を抜く。声にならない「ゔぅー」という呻き声を上げながら耐える小娘を、両親が同じように身体に力を入れながら心配そうに見守る…

血抜きが終わり、スキンヘッドの看護師さんが
「よく頑張ったね〜」と言いながら、部屋から出ていった。

それからスキンヘッドの看護師さんが部屋に入ってくるたびに、小娘は彼のニタニタした意地悪顔に、またかと肩を落とすのであった。

彼との思い出は手術室の中と、術後の血抜きの時だけだったので、所謂病棟に常駐する看護師さんではなく、オペ看護師さんだったんだと思う。

約1ヶ月程入院生活を送ったが、彼とは5日間程しか顔を合わせなかった。なのに、私の記憶にとても残っている。とても不思議で優しくてでもドSな看護師さんだ。

今もどこかでニタニタ笑いながら血抜きをしているかと思うと恐ろしい😂


写真は静岡県の伊豆半島を訪れた時に見た千貫門✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?