サド侯爵夫人

 戯曲の読みは退屈にはなるまい。 小説とは異なり、戯曲なら“わかる機会”は多い。 あぁ、動画で長大な音楽作品を聴くよりも意味ありげになるのはやはりありがたいことといえる。 長大な台詞も意味があり、しかも“美しい”のだ・・。
 どこかで書いてであろう。“言葉は自信だ”。 “自信は言葉から生まれる。 言葉が持つ断定力が推進させる力ーそれが正しい断定では決してないけれどー”(拙作のエッセ イより)
 そういうものだ。戯曲は溢れんばかりの言葉の洪水、そして演者の迫力のもとなされる。 とはいえ、人はいつもあのように淀みなく言葉を流せるのだろうか・・。
 演劇というもののリアルティを感じることができぬのはそういうことだ。 ある意味で作業用BGMでもよいかもしれない。格調高い言葉に酔いしれてしまうかもしれない が。それで脳内ドーパミンも出ましょうね・・ 小説は頭を使うものです。 小説は小説という材料を元に自己との会話をするようなものです。そうです。そうなのです。

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