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【アート解説】風神雷神図屏風

閲覧ありがとうございます。
M1です。

今回は有名な日本画
『風神雷神図屏風』
を解説します。


作品概要

作者 俵屋宗達
作名 風神雷神図屏風
年代 17世紀(江戸時代)詳細不明
作法 紙本金地着色

数々の転用がされる名作

風神雷神図屏風



何がすごい?

まずは全面に貼られた金箔でしょう。江戸時代の贅の限りを尽くした名作と言えると私は考えます。

日本画は独特の雰囲気を持っていることが特徴ですが、
本作はその中でも

最もインパクトのある作品のうちの一つ

と言っても過言ではないと私は思います。


日本人なら風神雷神図屏風や浮世絵などの絵が
プリントされている服を見たことあるのではないでしょうか。

それほどまでに日本人に愛されている背景には、
日本人の誇りとも言える魅力があるからだ
と私は思います。



俵屋宗達という人物

作者の俵屋宗達はとても謎多き人物です。

俵屋宗達はあまり記録に残っていることがなく、人柄や出生などは不明点が多いです。

歴史上の芸術家が評価されるには、その人物に関する情報が残っているかが重要です。

たとえば、あなたの実家の倉庫からとても古い絵画が見つかったとします。
そしてそれを鑑定に出したとして、
どのような作品だと良い値がつくでしょうか?

私が考えるに、
・その作者が有名か
・歴史的に価値があるか
の2点で評価は決まります。

つまり何が言いたいかというと、

無名の画家が描いた絵は売れない

と私は思うのです。

俵屋宗達は謎多き人物です。
特に記述が残っているわけでもないので、無名に近い存在だと私は思います。
(情報が残っていなくても有名になっている例はあります)

しかしそんな俵屋宗達が人気が出たのはなぜでしょうか。

私が思うに、

琳派(りんぱ)の始祖

であることが大きいです。

琳派とは日本画における流派で、日本では最も大きい派閥と言っても過言ではないかと思います。

そんな琳派ですが、
尾形光琳
という人物の名前が由来になっています。

尾形光琳の画風に似た派閥を琳派と呼んでいます。

この尾形光琳の師匠と考えられているのが、俵屋宗達なのです。



なぜ俵屋宗達が尾形光琳の師匠なのか

俵屋宗達が尾形光琳の師匠だったと考えられている理由こそが、今回紹介した『風神雷神図屏風』です。

実は

『風神雷神図屏風』は歴史上3枚残っている

のです。

今回紹介している俵屋宗達による風神雷神図屏風

元祖

琳派の由来である尾形光琳による風神雷神図屏風

雷神(左)の腕に巻かれた布の色が違う

初期琳派のひとり酒井抱一による風神雷神図屏風

風神雷神ともに、乗っている雲の雰囲気が違う


それぞれの相違点は軽く書きましたが、ほかにもさまざまな違いがあります。

もともと尾形光琳は琳派の創始者として注目されていましたが、
俵屋宗達の『風神雷神図屏風』が見つかると、俵屋宗達にも注目がいきました。

たとえるなら、

ピカソが憧れた人物の絵が見つかった!

というニュースが出たら、その絵の作者は人気が出ると思いませんか?笑


おわりに

今回は『風神雷神図屏風』について説明しました。

俵屋宗達は実は本名がわかっていなく、
俵屋さんをやっていた宗達さん
から名前が来ていると考えられています。

これはレオナルド・ダ・ヴィンチと似てますね。
(レオナルド・ダ・ヴィンチはヴィンチ村のレオナルドという意味)

レオナルド・ダ・ヴィンチは以下記事で詳細に解説しています。



今回の記事が良ければコメント是非お願いします。

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