コンゼルナ・アブケワ
粗筋
本文
うん。あのときのリベンジをさせてってこと。受けてくれたら、君に有利な条件を付けるからさ。つまりね、僕が勝ったらあのときと一緒、一万円でいい。僕が負けたら、十万円を払うよ。
自信満々だなって? まあ、なければ挑戦を思い立ったりしない。ちょうど今、帰省でみんないないからね。寮には僕ら二人だけだから、寮全体を使って、大掛かりなことすらできる。
面白そうだから受ける? ありがとう。これが済んだら、次は君が出題するといい。
これまでの勝利で一番気に入っているのは、君からの賞品がネットバンクのお金だったときだな。だから、あのときよりほんのちょっぴり、難しいレベルをお願いするよ。
準備できた。簡単に言うと、君が眠っている間に、僕が君の部屋から何か大切な物を持って行く。そのやり方を見抜いたら、君の勝ち。そうでなければ、僕の勝ち。当然、考えるための制限時間を設定するよ。一週間あげる。
うん? 自信の表れと受け取ってくれてもいいけど、実は、一週間後に僕も帰省するつもりなんだ。だから、もし君が今しかできない問題を僕に出したいのなら、早めに正解することだね、ははは。
じゃあ、詳しく説明するよ。今夜、君は君の部屋に、内側から全部の鍵を掛け、さらにガムテープでドアや窓に目張りする。その上で、ぐっすりと眠りに就いてくれ。僕は夜が明けるまでに、君の部屋の中の物を、何か一つ、持って行く。鍵は開いていない、ガムテープは剥がされていない。もちろん、窓ガラスが割られてる訳でもない。さあ、どうやって持ち出したのでしょうかってのが問題。
うん、何? 閉め切ると暑いから冷房を掛けていいか、だって? 当然、OKさ。その代わりって訳でもないが、事前に君の部屋を僕一人で見せてほしい。持って行く物をどれにするか、決めておきたい。
え? その段階で持って行くつもりだろうって? 違うよ、そんなずるはしない。うーん、どうしたら信じてもらえるかな。
よし、こうしよう。物色したあと、僕は十個の物を選び、君に提示する。その十個のどれかを、夜の内に持って行く。これなら、君が床に就く時点で、十個の物が室内にあると確認できるだろう。
よかった。条件を呑んでくれてありがとう。
じゃ、先に君から準備に取り掛かってくれるかい? 何をって、ドアを残して、あらゆる窓に、ガムテープで目張りするんだ。面倒だろうけど、僕が手伝うのはおかしいだろ。それこそ、剥がれやすいポイントを作って、トリックに利用するかもしれないぜ。
僕の準備が終わったら、出て行くから、ドアを閉め、鍵を掛けた上で、ガムテープを貼るんだ。
そうそう、途中で部屋を出たら、勝負は君の負けってことにしておくよ。だから、便所は先に行っておいて、それでも不安なら対策を立てるように頼む。ああ、逆に喉が渇くかもしれないな。勝負を受けてくれたお礼に、僕がおごるよ。自販機で適当に買って来ていいよ。
あ、あと、どうしても持って行かれたくない物、大切な物があれば念のため、どけておいてほしい。僕としても知らずに下手に扱って壊しでもしたら、詫びようがないからね。
これでよし。
君はそのベッドで、早く眠ってくれよ。一晩中起きていた、というのはなしだぜ。いくら僕でも、それじゃあ物を持ち出せない。疲れているから、バタンキュー、だって? そりゃ結構。しかし、バタンキューとは古いな。
あと、勝負を受けてくれた礼として、ヒントをあげよう。君が勝つためのヒントだよ。
それはね、「コンゼルナ・アブケワ」だよ。
意味が分からない? そりゃあヒントだから。すぐに理解できるようなら面白みもない何もないじゃないか。
それでは、勝負開始だ。じっくり考えてくれ。
* *
「自殺、でしょうかね、やっぱり」
「恐らくな。ドアも窓も内から施錠された上に、隙間にはガムテープできっちりと目張りされている。手段が流行りの硫化水素発生と来れば、まあ、決まりだろ」
「遺書が見当たらないのが、ちょっと気になりますが」
「確かにな。それに、ドアの外っ側に張ってあった紙、あれも気になるっちゃあ、気になる」
「何でです? 『硫化水素発生中 入室注意』というのは、極普通のように思えますけど」
「印刷された文字ってのが、気に入らない。手書きで事足りるだろ」
「今日日の若い奴は、プリンターがあれば、何でもかんでもプリントアウトで済ませたがるんですよ。普段、使わないような漢字を手書きして間違ったら、格好悪いですしね。死んだあとのことは、訂正が効かない」
「さほど難しい字が使ってあるとも思えんが……」
「自分としては、ガス発生のためのバケツが、ベッドの下に押し込んであったことの方が、やや奇異に映りましたよ。これまでの報告だと、洗剤と入浴剤を入れて混ぜたバケツを、傍らに置いていたという事例ばかりでした」
「うーむ、今度の野郎は、上がってくるガスを、確実に吸い込むために、寝床の下で発生させたんじゃないか? お誂え向きと言っちゃあ何だが、金属パイプのベッドで、下の空間は充分なスペースがあったようだしな」
「なるほど。気になる点はいくつかあっても、どれも納得できないことはない、って感じですね」
「仮にこいつが自殺に偽装した他殺だとしたら、どうやったかが分からん。言いたかないが、現場は密室状態ってやつだからな。しかも、鍵とガムテープによる二重の。管理人が保管していた唯一の合鍵は使われていないし、外にいながらガムテープを中に貼る方法もない」
「あ、掃除機で吸い付けるっていう推理小説がありますよ」
「ふん。そんなやり方で、あんなぴっちり、きれいに張り付くのか? 絶対にないね。だいたい、おまえ、報告に目を通してないのか。ガムテープには至るところに指紋が残っており、その全ては死んだ男のものと判明したんだぞ」
「そうでした。ていうことは、結局、自殺で決まりですね」
「ああ……」
まだもう一つだけ、気になる点があった刑事が、それを声に出すのはやめた。
(濃度が薄かったのは、何でだろうな。洗剤と入浴剤の混合液を、そこそこの量の水で薄める必要……分からん)
* *
夜明けまでに、あの部屋にあった君の物――命を持ち去った。最初に約束した、この持ち出した物を、君に返すことはできそうにない。その点、非常に申し訳なく思う。無論、一万円は受け取れない。謹んで辞退しよう。
だが、君に勝ち目がなかったとは言えないんだ。君が注意深ければ、ベッドの下の空間を隠す布きれ一枚をめくるだけで、そこにあるバケツを見付けられただろうに。そのための伏線として、君がベッド下に隠していた何冊かの雑誌を、本棚に押し込んでおいた。押し込んだというのは、正確じゃないな。丁寧に、目立たぬように差し込んでおいたんだが。
尤も、バケツの中身は、一見しただけではただの水と氷柱にしか見えないから、発見されたとしても、僕の舌先三寸で丸め込めたと信じている。涼しく過ごしてもらうためのサービス云々、てね。
それにしても、実験結果にほぼ沿う形で氷が溶けたらしいのには、感動すら覚える。部屋の造りや設備が全く同じ、夜だから日当たりは無関係といった辺りのことが、僕の部屋で行った実験の正確さを保証したと言えるかな。
夜中の二時から二時半の間に、仕切りとなっていた部分の氷が溶け、封入していた洗剤が溢れ出し、周囲の入浴剤と一気に混ざった。計画した通りだが、こんなにうまく行くとは、恐いくらいだ。
洗剤はこの寮に買い置きされていた物を使ったし、入浴剤は君のパソコンを使ってネットショップに注文し、君のネットバンク口座から支払った。受け取ったのは僕だが、配達員が顔を覚えているはずがない。入手経路から足が着くこともあるまい。本当に、ネットバンクのお金という賞品は、ありがたかった。今度の計画を実行する大きな推進力になったよ。
ああ、ヒントを役立てることはできなかったのかな? 意味に気が付いても思い当たらないなんて、君に限ってないだろうし。解読できなかったと受け取るよ。
あれはね、「混ぜるな、危険」の漢字をそれぞれ元とは別の読み方をしただけなんだ。だから「コンゼルナ・アブケワ」。よいヒントだと思わないかい?
――終
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