掌編小説『せんとう×たいせい』

        内容紹介

あの“赤い洗面器”に新たな解釈を? ちょっぴりシュールな一幕劇。


         本文

「赤い洗面器の男ってあるじゃない。落ちが語られない笑い話」
「え? もっと大きな声で言って。ここ、響いて聞こえにくいんだから」
「赤い洗面器の男の話! 知ってる?」
「あれのこと? 赤い洗面器を頭にのっけた男が洗面器の水をこぼさないよう、ゆっくり歩いて来る。それを見て『どうしてそんなことしてるのですか』って尋ねたら、男が『それは君の……』と答えるとこで尻切れとんぼになるやつ?」
「それそれ。やっと伝わった。あれに登場する男ってさあ、頭にのせた洗面器を手で支えているのかな?」
「うん?」
「普通は支えないと、いくらゆっくり歩いてもこぼれるよね」
「頭に器をのせて、水を運ぶ部族があったと思うけど。確か、両手とも放して運ぶ人もいたはず」
「でも洗面器じゃないじゃない。洗面器の底はつるつるの真っ平らだよ。水をいっぱいに入れて一滴もこぼさずに運ぶには、少なくとも手を添えなきゃいけないと思う」
「分かった。とりあえずそこを認めるして、どうなるの」
「特に何もない」
「なんだ」
「気になる点なら、他にも色々あるよ。洗面器をのっけてる人は男性に固定されてるのに対し、質問する人は男性だったり女性だったり、まちまちなんだよね。あと、この話の語りが、一人称なのか三人称なのかも分かれてる」
「そんなことまで気にするあんたが、赤い洗面器の男よりも気になるわ」
「えー、それはないよ。絶対、洗面器を頭にのせてる理由の方が気になる」
「……この話って、職務熱心といえばっていう前振りがあるんだよね」
「そうそう。つまり、赤い洗面器の男は職務として、摩訶不思議な行為をやっていたことになる」
「私は、そんな職務があるなんて信じられない」
「え、何て? 水しぶきの音で聞こえなかった」
「頭にのせた洗面器で水を運ぶ職務があるなんて、私には信じられないって言ったの」
「そりゃあ現実には多分ないだろうけどさ、これは笑い話なんだから、どんな設定でもあり」
「私が思うに、職務熱心と評されたのは、洗面器の男に質問をした人の方なんじゃないかしら」
「ほう」
「考えてもみて。往来を歩いてたら向こうから水をたたえた赤い洗面器を頭にのせた男が歩いてきた。普通、そんな人物に声を掛けるようとする?」
「現実にそんな場面に遭遇したなら、普通はスルーする」
「でしょ? なのに笑い話の中の人は質問をしている。勇気をふるってという形容もあったんじゃなかったっけ。そうまでして赤い洗面器の男の意図を探ろうとしたこの人は、職務だからこそ聞いたんじゃないかな」
「てことは、この質問者の仕事って……」
「真っ先に思い付くのは警官、もしくはそれに類する仕事よね。でも、仕事は別にあって、町内会の見回り当番という線もある」
「えっと、ちょっと待って、考えさせて……。警官の類を仕事としているのなら、不審人物を呼び止めて質問するのは当たり前。職務熱心とまでは言えない。だったら、警官ではない。一方、町内会の見回り当番が、不審人物を見掛けたらどうするか。『これは怪しいぞ』って心に留め置き、町内のみんなに注意を呼びかけるとか、警察に連絡するとかがせいぜいで、声を掛けて意図を問い質すのは危険な行為、と言えるかも」
「そうよ。単なる町内の見回り当番にも拘わらず、赤い洗面器を頭にのせた男に声を掛けるという行為。これは行きすぎの感はあるものの、職務熱心と言える」
「なるほどねー。主役は赤い洗面器の男ではなく、質問者だったという捉え方はユニークだなあ。でも……これで笑い話になる?」
「……赤い洗面器の男は、見た目通りに危ない人で、実は無差別殺人鬼なのよ。“赤”は血を連想するでしょ。“洗面器”は千の顔を持つ鬼に通じる」
「何のこっちゃ」
「だから、見回り当番の人は、殺人鬼に声を掛けて、殺されちゃったの。『どうして洗面器を頭にのせてるんですか』って聞いたら、『それは君のようなお節介の命を奪うためだ!』とか答えられてさ」
「ふむふむ。で?」
「で、職務熱心なのはいいが、度を超すとこうして命を落としますよっていう教訓を含んだ笑い話に」
「ブラックで笑えないよ」
「何よ。あんたが疑問点だけ出して、落ちを推理しようとしないから、即興でまとめてみたのよ。文句あるなら、何か落ちを言ってみて。斬新なのをね」
「いや、今のところ大した落ちは思い付かないわさ。質問する人が、洗面器の中身が水と分かったのは、洗面器の男よりも背が高いか、洗面器の男のいる位置よりも高いところにいたのかなあ、とかいう疑問ならいっぱいある」
「だめねえ。あれこれ準備だけはするけど、実行はしないタイプになっちゃうわよ」
「冗談きつい。その内、何か考えつくと思うよ」
「待ってられませーん。――ね、あなたはどう思う? 何かない? さっきから聞いてるだけなんて、ずるい」
 彼女は横を向き、“私”の顔を見つめてきた。
 “私”は頭上に赤い洗面器を掲げたまま、答えた。

 ――ここは銭湯。
 “私”を含めた三人で、横並びに座って、身体や頭を洗ってるとこ。ああ、平和だ。

 『銭湯×体勢』おわり

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