掌編小説『カードにはウラがある』

        あらすじ

著名なマジシャンがマジシャンになると決意することになった、ある大道芸人のネタとは。 ※小さな子供だった頃、実際に見たことを元に、短い話にしています。恐らく定番の手口だと思います。

         本文

 マスター・トジックは著名な奇術師である。彼に奇術師になる決心をさせたのは、若い頃のとある大道芸人との出会いであった。

「さあさ、よってらっしゃい、見てらっしゃい!」
 時は夕刻、威勢のよい声が、トジック(もちろんその頃は芸名なんぞなかったが、分かりやすいのでこれで通す)の耳に届いた。見ると、ちょっとばかり奇妙な風体の男が、露天みたいなものを出している。
 どこが奇妙って、その男はタキシードを着込み、山高帽をかぶっているのに、下駄履きなのである。しかもバンスネをかけ、つけ髭ならぬ描き髭まである。年齢は分からない。若いようでいて歳を食っているようにも見え、声には張りがあるがどこかしら老成している。
 いい具合に人が集まったところで、男は列べてある怪しげな物の一つを取り上げた。
「さあ、これは何だ? そう、電球だ。これには何の仕掛けもない」
 そう言って、彼は近くの数人に電球を確かめさせる。トジックも確かめたが、電球に不審な点はなかった。
「さて、ここに取り出したる見えない糸」
 見えない糸だから、誰にも見えない。
「あ、信用してないな。見えない糸が存在することを証明しよう。これを電球に巻き付ける。よっ!」
 気合いもろとも、芸人は見えない糸の両端を引っ張った。すると、電球が浮き上がった。宙に浮いているのだ。
「よく見えないぞ!」
 そんな声が飛んだ。
「おや、苦情が出たか。仕方ない。明るくしようじゃないの!」
 その声と共に電球に灯りが点り、輝き始めた。おおーっと歓声が沸き起こる。
 このあとも男は不思議なことを色々とやってみせた。水を注いでも破けない新聞紙のコップ。客のサインした紙がみかんの中から出て来る。徐々に枚数を減らしていくコイン等など。が、トジックに大きな影響を与えたのは、次の手品であった。
「ちょっと一息いれて、普通のやつを紹介してやろうじゃないの。これ、何の変哲もないプラスチック製のトランプ。間違いないね?」
 男はトジックに確かめさせる。一枚ずつ数字やスートが違い、裏模様は上下左右の区別すらない、極普通のカードトランプであった。
「ついでに手伝ってもらおう。では、こちらへ。かたくならずに願いましょう。このトランプを、好きなようにきってください」
 トジックはヒンズーシャッフルを十五回程度行った。
「それでいいんですか? では、お返しください」
 男がやや高めに手を構えていたので、トジックは上向き加減に手渡した。
「さてさて、この中から、お好きなカードを一枚、選んでくださるかな」
 種類が見えない山の状態の中から、トジックは下の方から適当にひいた。
「そのカードを、私には見えないように、皆さんにお見せしてちょーだい。あ、もちろん、カードの種類を覚えておいてくださいよ」
 カードはクラブの4であった。
「よろしいですかな? じゃあ、この山の一番上に置いてください」
 言われた通りにするトジック。
「ではもう一度、きってください」
 再び、トジックはヒンズーシャッフルできった。
「いいですか? それじゃあ、私がさっきのカードを当てて見せましょう!」
 男はすると、カードをトップから一枚ずつめくり始めた。最初はハートのエースだ。
「これじゃない」
 男は言うと、次をひっくり返す。今度はスペードの10。
「これじゃない」
 そのあとは黙々とカードをめくっていき、いよいよクラブの4が出た。
 しかし、男はここでも何も言わず、次のカードをめくった。まったく躊躇なく、数枚をめくっていく。もはや、見物している誰もが男の失敗を信じていた。
「うん?」
 男の手が止まった。そのとき場に出ていたのは、ハートの8。
「ようし、次に私がめくるカードこそ、あなたが選んだカードですぞ! おや、信じていないね? それならどうだ、次にめくるカードが選んだカードであることに、三万円賭けないかい? 当たっていたら、私が三万円いただくが、もし外れた場合は、そうだねえ、十万円払おうじゃないか」
 そう言われ、トジックは話に乗った。すでにクラブの4は出ているのである。見たところ、クラブの4が二枚あったとも思えない。これは絶対に勝てる賭けなのだ。
「ようし、賭けは成立した。皆さん、証人ですぞ。さーて、ご注目あれ! それ!」
 一声叫ぶと、男は手元の山のカードはめくらずに、何と、すでに場に出ているクラブの4をひっくり返したのであった! なるほど、男が次にひっくり返したカードは、トジックの選んだカードに違いない。男はやはり、大道芸人であった……。

 この後のことは言うまい。ともかく、これでトジックは奇術師になる決心をしたのだ、一つの教訓と共に……。
 教訓。絶対に勝てる賭けに手を出してはならない。

 おしまい

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