掌編小説『ロストボール』

        あらすじ

俺・二階堂は、小城のことを見下していた。運動音痴で勉強もいまいち。そんな奴が俺と同じ一流企業に入れただけでも驚きだが、社長令嬢と付き合い始めたという。俺は次第に我慢できなくなって、小城を排除しようと考えた。ゴルフ場での事故死に見せ掛けるのがよさそうだ……。


         本文

 こいつに俺が負けるはずがない。そんな自信ががらがらと音を立てて崩れ去った。
 小学生の頃から見下していた同級生の小城おぎが、業界大手の企業に俺の同期として入っていただけでも驚いたが、社長の娘と付き合い始め、社長からの覚えもめでたいと来ては、開いた口が塞がらなかった。
 最初は平静を装っていたが、小城が同じ部署に転属になり、出世コースに乗っているのを毎日目の当たりにするようになると、どうにも我慢できなくなった。
 精神衛生上よくないし、我が社のトップにいずれ小城が立つ可能性が高いなんて、不安でならない。だから、排除することに決めた。
 チャンスは意外に早く巡ってきた。
 社長の信条の一つに、商売にはゴルフの腕もある程度必要だというのがある。小城も初めてラウンドに連れて行かれ、回った後にだめ出しを食らった。だろうなと内心大いに頷けた。小城の運動音痴ぶりと来たら男子の中で最下位だった。いや、女子にもほとんど負けるだろう。五十メートル走は全力だと途中で止まるからと全くスピードが乗らない、遠投はいわゆる女の子投げで、上向きに浮くばかり。反復横跳びはリズムが狂って足がもつれ、跳び箱に激突すること数知れず、もちろん泳げない。ドッジボールだけは逃げ回ってよく生き残っていたっけ。
 一方、俺は勉強だけじゃなく、運動もできた。現在も定期的なトレーニングは欠かしておらず、飲み食いも摂生に努めている。ゴルフも仲間内では一番うまいと評判を取っている。それが社長の耳に入ったのか、小城を鍛えてゴルフを上達させてやってくれとの話が回ってきた。無論、喜んで引き受けた。
 と言うのもうちの社は保養施設としてゴルフ場も所有しており、小城を指導するなら二人で貸し切り状態にできるとのことだった。これは、事故に見せ掛けて小城を始末する絶好の機会だ。
 落雷直撃や熊に襲われるといった事故死に見せ掛けることを考えたが、もしも殺人事件として捜査されれば終わりだろう。雷を食らった人体がどんな変化をすなるのか知らないし、保養地のゴルフ場付近に実際に雷が落ちてくれないことには始まらない。熊にしても同様で、大掛かりな山狩りを行って、熊の姿はおろか熊が出たという積極的な証拠すら見付からなければ、熊の出没自体を怪しむであろう。
 他にもあれこれ想定してみたが、カート事故で死んだことにするのがよいと結論づけた。ゴルフ場の移動は歩きかカートだが、社長は小城にカートの操縦もうまくなってくれんとな、なんて言っていた。練習がてら、一人でカートの運転をして事故って命を落とした、という形にすれば、俺の責任はかなり薄まるだろう。社長の指示なのだから、誰も悪く言えまい。

 という流れで、ある日曜日の午後に決行したのだが。
 施設の中では最も急な下り坂の手前で、小城の乗ったカートが乗り上げるよう、タイヤの下に両手のひらに収まる程度の丸っこい石を放った。狙い通り、カートはバランスを大きく崩し、前転に近い横転を起こす。そのまま坂の終わりまで転がり、止まる寸前ぐらいに小城は放り出された。彼の上にカートが乗っかったように見えたとき、俺はよしっとガッツポーズをしていた。
 ところがだ。ぎりぎりで小城はカートの下敷きにはならず、隙間から這い出してきた。瀕死ではないが、負傷している。こめかみの辺りから赤い筋が垂れているのが見えたし、転がるゴルフボールの間を腕だけで這うのは足を傷めたからに違いない。
 始めたからには、生き残られては困る。小城はまだ俺の犯行ではなく、単なる不幸な事故だと思っているかもしれないが、小城の口から状況が語られれば怪我を負わせた責任がこっちに来るのはほぼ確実。やり直しは利かない。
 俺は焦りを覚えつつ、とどめを刺そうと、坂を滑るように降りて小城に近寄った。
 気付いた相手は、「助けを呼んでくれ。救急車」というような意味のことを口走ったが、かまわずにゴルフクラブのアイアンを振り上げた。頭か腹、どちらかに当たればいいといういい加減な気持ちだったからか、振り下ろしたクラブの先は小城の肩口をかすめた程度で、地面を叩いた。
 すると小城はどこにこんな余力が残っていたのかと思えるほど機敏に転がり、足を引きずりながらも逃げ出した。「ひええ」とか声を上げているが、震えて小さな音量だ。尤も、この広大なゴルフ場にいるのは今、二人だけなので、どんなに大声で叫んでも助けが来ることはないだろう。
 いくらか余裕の出て来た私は早歩き程度のスピードで追った。見失いさえしなければ、確実に追い付けると踏んだ。
 後ろ姿の小城はバンカーや池の間をふらふらと進んでいる。胸を圧迫でもされたか、両腕を身体の前に持って行って背を丸めがちにする様は、寒くて震えている風にも見えた。俺は楽に距離を縮め、あと十メートルもなくなったところで、「小城、観念しろっ」と恫喝気味に声を掛けた。
 振り返った小城は何かにかかとが引っ掛かって転倒、尻餅をつく。思わず舌なめずりをしたくなる展開だ。
「あんまり離れられると、事故死に偽装するのが面倒になるだろうが」
 今度は外すまいと、クラブを構える。
 小城はゴルフボールを投げてきた。余裕でかわした。
「何のつもりだよ」
 聞いたが小城は答えない。こっちだって答を期待してはいないが。
 と、また投げてきた。いつの間に拾い集めたのか、カート横転の際にたまたまあちこちのポケットに入り込んだのか、いくつも持っている。
「この、遠くへ行け!」
 へたり込んだままの姿勢で、精一杯投げる。小学生のときに比べたら随分ましで飛距離もそれなりに出ているようだが、如何せんコントロールがでたらめだ。これだけ近いのに全く当たらない。避ける必要すらない。だいたい、「遠くへ行け」じゃなくて「あっちへ行け」だろう。
 ボールを投げ尽くすのを待って、俺は改めて狙いを定めた。不自然な傷はなるべく付けたくない。カート事故の弾みでクラブの先端が頭を強打する可能性がどれほどあるか知らないが、絶対にないことじゃあるまい。でも、殴るのは一度きりに収めねば。
 追い詰められたと覚悟できたのか、小城は後ずさりをやめた。
二階堂にかいどう、おまえ。捕まるぞ」
 負け惜しみにしか聞こえない台詞を吐いた。俺はゴルフクラブを振り下ろした。確実に。

 小城の死は俺の主張が受け入れられ、思惑通り、事故によるものとして処理される気配だった。
 だが、三日後に一変する。
 小城はダイイングメッセージを残していた。もちろん俺は遺体を戻して事故に偽装する前に、奴が余計なことを書き残して身に着けていないか、念入りにチェックした。結果、何も出て来なかったから、安心して偽装工作を完成させたのだ。
「例のゴルフ場、水曜日は休みで整備に充てられているとか」
 刑事は俺の目の前で始めた。抑えてはいるが、ニヤニヤが止まらないって感じの表情をしている。
「ええ。知ってますよ」
「その整備の一環で、池を総ざらいする。池ポチャしたまんまのボールを回収するためですな」
 池ポチャ。
 悪い予感が走った。いや、もう分かったと言うべきだったかも。
「で、集めたボールの中にいくつかあったんですよ。『ニカイドウニヤラレタ』と書かれたり刻まれたりしたボールが」
 俺は小城がゴルフボールを投げてきた情景を思い起こした。あいつは俺に当てて抵抗するために投げてたんじゃない。
 告発を記したボールをできる限り遠くに放りたかったんだ!
 俺に当てたらかえって気付かれる。「遠くへ行け」で合っていた訳だ。池ポチャこそが、小城にとって一番いい結果だった。実際、あいつの投げたゴルフボールは全て、俺の背後の池に落ちたんじゃないか。
「水に浸かっていたとは言え、いくらか部分指紋が出たので、小城さんの物と照合中です。二階堂さん、何か言いたいことは?」
 遅まきながら認めざるを得ない。小城は成長していた。

 終

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