「鬼滅の刃」(遊郭編)から見る歴史-その1
2021年12月より『「鬼滅の刃」遊郭編』が放送されました。竈門炭治郎 立志編、無限列車編に続くアニメ作品の三作目で期待されていた方も多いのではないでしょうか。本記事では、そのメインテーマである「遊郭」についてどのような場所で、どのような人々が暮らしていたのかを史実と比較しながら紹介していきたいと思います。
遊郭とは?
まず初めに遊郭とはどのような場所だったのでしょうか。遊郭とは、塀や堀によって囲まれた公認の遊女町の事を指します。遊女町というのは、現代で言うところの風俗街のようなもので、安土桃山時代より存在しました。
鬼滅の刃に出てくる遊郭は「吉原遊郭」という実在した遊郭が舞台となっています。「吉原遊郭」は、約2万767坪の面積を誇り、全盛期では遊女を含めた約1万人が暮らしていました。周囲には忍び返しのついた黒板塀がめぐらされ、さらにその周りを「お歯黒どぶ」と呼ばれる幅が5m前後もあったとされる堀で囲われていました。江戸幕府は当初、遊女町を公認していませんでしたが、治安維持などを理由に繁栄を続ける遊女屋を管理下に置くためにこの「吉原遊郭」を設置しました。
閉鎖的な空間であった遊郭では独自の社会が形成されていました。所謂「夜の街」という印象を持っている方も多いと思いますが、祭りや縁日の日には子供や女性も出入りしましたし、観光名所としての一面もあったので様々な身分の人々が訪れる場所でした。本編でも昼夜を問わず多くの人が出入りしている様子が描かれていました。
遊女屋のシステム
次に遊女屋のシステムについて紹介します。遊女屋では基本的に、客が揚代(あげだい)と呼ばれる料金を払い遊女と遊びます。遊女屋には、「大見世」「中見世」「小見世」「切見世」などの種類があり、店の格や遊女の質によって料金が大きく変わりました。当然ながら、本編では遊女屋での客とのやり取りなどは描かれていないので詳しい説明は省きますが、作中に出てきたいくつかのシステムについて紹介します。
張見世(はりみせ)
張見世とは、遊女が道路に面した格子付きの部屋で客を待つことを指します。客は格子越しに眺め、会話を交わし好みの遊女を選んでいました。
花魁道中(おいらんどうちゅう)
花魁道中と聞くと華やかなイメージが強いですが、初期のものはそこまで派手なものではありませんでした。元々は「揚屋」という客を接待する店に出向く際に行われた行進の事で、あくまでも移動することが目的でした。江戸後期に入り、揚屋が廃れていくと、花魁道中はパレードしての意味合いが強くなり、贅の凝らされたものとなっていきました。
参考文献
・安藤優一郎「江戸の色町 遊女と吉原の歴史」(株式会社カンゼン,2016)
・佐賀朝、吉田伸之「シリーズ遊郭社会1 三都と地方都市」(株式会社吉川弘文館,2013)
・佐賀朝、吉田伸之「シリーズ遊郭社会2 近世から近代へ」(株式会社吉川弘文館,2014)
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