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天才的な閃き(第7感)はマジックミラーの向こう側「未知の世界」にある鏡映反転からの創造力


よく「鏡の中」では、
”左右”が反対になって見える
といいますが、
”上下”が逆さになって見える
ことはありません。
鏡に光をあてると光は反射します。
これは、鏡が光をはねかえして
いるからです。

誰もが知っていることですが、
なぜ、そうなるのかについては
日常の生活においては、
あまり気にしたことはないのでは
ないでしょうか。


東京大学名誉教授で心理学者の
「高野陽太郎 」氏によると
鏡映反転(鏡の中では左右が
反対に見える)の理由については、
プラトン以来、二千数百年にわたって
議論が続いてきたそうですが
いまだに定説はないとのこと。


なかなか定まらなかった理由として
誰もが”鏡映反転は1つの現象だ”
という「思い込み」をもっていた
ことでした。


たとえば、
左手に腕時計をして
鏡に向かってみたとします。
自分自身の視点から見れば、
鏡の中の自分がしている腕時計も
「左」のほうにあります。
実物の腕時計も「左」にありますから、
左右は反対になっていません。
左右も上下も逆にはなっていない
姿が映ります。


しかし、
鏡像(鏡に映った自分)の視点から
見るとどう映るでしょうか、
鏡の中で腕時計をしているのは、
鏡像の「右手」です。
実物の腕時計は「左手」にして
いますから、確かに左右が
反対になっています。


そのように見えるのは、
人間の認識の仕方に原因があります。
実は逆になっているのは、
左右でも上下でもなく「前後」です。
自分は鏡に向かっているのに、
鏡の中の人物はこちらを向いています。
この像を見たときに人間は、
”もし、自分が向こうから
こちらを見るとしたら”という
想像をします。


”神武以来の天才”と言われ、
2017年6月に引退を表明した
将棋の加藤一二三元名人は、
対極中に相手の背後に立って
盤面を見る癖がありました。


敢えて物理的にこうすることで、
文字通り相手の立場に立ってみることで、
初めて本当の意味で相手視点が
意識できるという点に相手目線で
考えてみることの難しさが
にじみ出ていると言えますし、


現実世界の中では回れ右をすれば、
上下を同じにしたまま、
”前後”と”左右”の両方(2つ)を
反転するように移動することは
できると思いますが、
前後だけ反転することは、
細胞レベルで組み替えるようなこと
でもしない限り、不可能です。
つまり、生きた人間には無理です。


だからこそ、鏡に映った像は、
現実とは重ねることができない
「非現実的なもの」であり、
すなわち、
鏡が左右をそのまま映すために、
現実の移動ならあるはずの左右反転がなく、
それにより「左右が反対」だと
思い込んでしまうわけです。


私たちは自らの遺伝子を
選ぶことはできません。
知能は遺伝が50%、環境が50%
といったように、
遺伝と環境という二つの固定化
された要因がそれぞれ独立して
個人の能力や形質を成り立たせている
と考えている人も多いと思います。


しかし、近年、
遺伝要因と環境要因は互いに
影響を及ぼしあいながら
私たちのあり方に影響している
という考え方のもと、
自らの行動や環境を変えることで
遺伝子の自分への影響そのもの、
さらには次の代に受け継がれていく
遺伝的傾向をも変えうる可能性が
示され始めているようですが、


「不安遺伝子保有率」が
8割を超える日本人は、
世界で最も不安を感じやすく、
そのせいか、孤独を恐れ、
必要以上に群れたがる人は多いです。


しかしながら、
「考える」という行為は
このような認識レベルに
劇的な変化をもたらします。
「変えること」=「考えること」
だとすれば、
それは、すべて変えるものの
対象になるということです。


目の間に起こっている事象は
誰にとっても同じこと、
でも、そこから一人ひとり
違う人生が発展していくのは、
ひとえにそれをどう捉えて
どのように発展させるのかという
個人の思考の結果が反映されて
いるからです。


これは、裏を返せば
AIの弱点にもつながりますし、
データや情報が十分でない世界で
行間を読むことに関しては、
AIは人間に劣ります。
人間はわずかな情報からいわば
勝手に想像、創造をすることが
できますから、


AIが得意なことについては
どんどんAIにやらせ、
人間は人間にしかできないことに
集中することで、
私たちの日常が豊かになって
いくと思います。
そのための最も強力な武器の一つが
「自ら考えること」ではないかと
思っています。


ただ、
『考える人』になるということは、
世の中では圧倒的な少数派です。


天文学の父と呼ばれる
「ガリレオ・ガリレイ」は、
「自然という書物は
数字で書かれている」と表現し、
”地動説”を通して宇宙を見ました。
20世紀を代表する物理学者
「アルベルト・アインシュタイン」は、
1905年に提唱した
「光量子論」において
光を”粒子”ととらえたように、


誰にも見えなかったものが
見えるようになる瞬間、
そこには誰も考えなかったことを
考えた人がいる、
つまり、
考えている人から
考えていない人はよく見えますが、
考えていない人からは
考えている人はそうは見えず、
”ただのおかしい人”にしか見えない
というマジックミラーのような
状態です。


つまり、見えないものが
見えるようになるメリットが
享受できるようになる反面で、
思考の世界に行くということは、
世の中で自立(自己実現)し、
孤高になることを意味します。


すなわち、
考えている側に回った途端に
周りから理解されることが
少なくなりますが、
自分が世の中の少数派であり、
理解されない存在であることを
十分に自覚して行動することで、
この住みにくさが解消される
だけでなく、
「自分で考える力」の使い所が
わかってくると思います。


たとえば、
映画「君の名は。」の中で、
翌日大災害が起きることが
わかっている主人公が村中の人を
避難させるべく大騒ぎしても
「見えていない」大多数の
周りの人の冷ややかな反応を
受けるという場面がありました。


これに限らずSFのストーリー
などでも予知能力や透視能力の
ある少年が、周りの大人に
自分しか見えていないことを
訴えても、まともに取り合って
もらえない場面があります。


これがまさに
見えないものが見えてしまった
人の個性です。
この辺りの感覚は知識の世界とは
正反対と言ってもいいでしょう。


知識や文書化されたもの、
形式知というのは目に見える形に
なっていますから、
知らない人からも知っている人
との差がよく見えます。


ところが、考えている人と
考えていない人との違いは
「目に見えていないもの」が
見えているかどうかなので、
”非対称性”=
(片方から反対側は見えるが
逆方向は見えない)が
存在することになります。


科学は長年、これらの「感覚」を
研究してきました。
人間がふだん使いこなしている五感
(嗅覚、味覚、触覚、視覚、聴覚)
についてはよく知られていますが、
「感覚」については
目・耳・鼻・舌などでとらえられた
外部の刺激が、脳の中枢に達して
起こる意識の現象などとされ、
意外に思う人もいるかもしれませんが、
五感とは「脳の力」のことです。


すなわち、
世の中で起きていることを知るための
センサーとして感覚があり、その感度、
もしくはセンシングした情報から、
どのような感情、想いを生じさせるのか
という「変換」が「感性」だと
言えるかもしれませんが、


ヒトの内面や特性に関しては
実に多くの研究がなされていて
未知の部分が多く残されている
領域でもあります。


コロンビア大学
ビジネススクール上級講師
「ウィリアム・ダガン」氏によると
「第5感」は、
誰にでもある共通の感覚に基づいて
当たり前の知見を生みだし、



直感と呼ばれる「第6感」からは、
個人的な経験に基づいた優れた
知見が得られ、
過去に何度も繰り返してきた
経験に基づいて迅速な意思決定ができ、
何も説明されなくても
状況がわかることがあるのも、
この「第6感」の働きです。


ただ、
これは一種の既視感(デジャヴ)の
形態をとっていて、これまでに
体験したことのある似たような状況を
記憶から呼び起こすため、
間違った判断につながる場合もあり、
何かに熟達した人たちは、
ある状況ではむしろ「第6感」によって
失敗してしまいやすくなるそうです。


つまり、「第6感」からは
新しいアイデアは得られないため、
直感が役立つのは、同じアイデアを
素早く、スムーズに繰り返す場合のみ、
特定の活動についてのみ、
向上していくものなのだそう。


ここで必要になってくる
新しいアイデアを得るのに役立つのが、
「なるほど、わかった!」という
天才の閃きを科学的に起こす
「第7感(思考のスキル)」です。


「第6感」が同じことをさらに
上手く行うのに役立つのに対して、
「第7感」からは
それまで気づかなかった、
あるいは、
誰も思いつかなかったような
新しいアイデアが得られます。
それは「新しい何か」と
「それを実践する方法」で
新しい自分に生まれ変わらせることも
可能にする感覚です。


「第7感」は、
私たちに人生ですべき、
本当に大切なことは何か、という
問いへの答えを見つけるのに
役立ちますし、単なる直感や
思いつきではありません。
それは長い間考え続けてきた
重要な問題を一瞬のうちに
氷解させてしまう「答え」を生む
脳のメカニズムです。
それによって生まれるのは、
それまで考えもしなかったような
斬新なアイデアなのです。


変化の激しい現代では、
ビジネスモデルも次々と
新しいものが求められていて、
まさに、今ほど多様で
独創的な閃きを生む思考法が
必要とされている時代は
ないのではないでしょうか。


”知識”は基本的に過去のこと、
対する”思考”というのは
「これからどうなるか」という
未来に向かって、
わからないことに思いを及ぼす
場面が圧倒的に多くなります。


”知っていること”が強みであるのが
知識の世界であるのに対して、
”知らないこと”が強みになることが
あるのが思考の世界です。


思考の世界と知識の世界では、
そもそもの「ギアの向き」が違い、
わかりやすくいえば、
前向きに走っている場合と
後向きに走っている場合の違い、
つまり、価値観や基本的スタンスが
全く逆を向いているということです。


ここで難しいのは乗り物と違って
これは頭の中の動きであるために
目には見えない、
「見えないものを見ること」が
考えることですから、
それまでの価値観を逆転させて
むしろ逆向きのギアにして
走り始める必要があるように
思っていますし、


”人間の「感覚」は一体、
いくつ存在しているのか?”
ある研究者との会話では
「50個くらい」は
存在しているのではないか
ということについての研究は、
常に進められているそうです。
「感覚」は私たちに、
人生にとって本当に大切なことは
何かを教えてくれる素晴らしい
人生のパートナーになってくれる
ということでしょうか。


人間にしかできない閃きは、
”一つひとつすべて違っている”
からこそ、
天才的(唯一無二)だと
いわれているのだと思います。


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